終了、詰み、絶望などという意味の「終わった」を捩ったネットスラングの一つ。なんJにおいては以下の蔑称としても用いられる。
- 前阪神タイガース、現四国アイランドリーグPlus・愛媛マンダリンパイレーツの伊藤隼太選手兼任コーチの蔑称。本項で解説。
- 広島東洋カープ元監督・緒方孝市の蔑称。主に「オワタ采配」の形で使われる。詳細は緒方伝説参照。
【目次】
概要 
プロ入り前 
伊藤は中京大中京高を卒業後、慶應義塾大に進学。慶應では主将としてチームを六大学野球連覇に導いたり、2年連続大学日本代表の四番を務める等大活躍。大学の先輩に当たる高橋由伸と同じく走攻守三拍子揃った左打ちの外野手として注目され始め「由伸二世」との触れ込みで2011年のドラフト1位候補に挙がる。
しかしながらドラフト会議が近くなるに連れて評価を落とし、地元・中日を始めとした他球団は次々と撤退。そんな中、阪神は
という背景から、この2つの需要に当てはまる即戦力として伊藤をドラフト1位で指名。編成上のバランスの観点から見ても、2003年に鳥谷敬を指名したのを最後に2004年から2010年までの「黒田ドラフト」時代の阪神のドラ1枠は投手偏重の指名が続いていたため、野手の1位指名は切望されていた。
しかし、なんJ民はおろか多くの阪神ファンにさえ他球団の撤退ぶりなどを背景に伊藤は地雷扱いされており、加えて当時の南信男球団社長*1が伊藤と同じく慶應出身だったことから、「当時プロ輩出数の減っていた母校を救済するための贔屓指名ではないか」とも囁かれ、一部では『南くんの恋人*2』と揶揄されていた。この頃の阪神編成部では菊池敏幸*3ら東日本組は東海大甲府高・高橋周平(現中日)を、田中秀太*4ら西日本組は宮崎日大高・武田翔太(現ソフトバンク)を推していたが、大学の後輩にドラ1の箔をつけたかった南が独断で押し切って伊藤を指名したとされている。
プロ入り後 
そして入団後、伊藤に対するファンの懸念は不運にも的中。プロ入り後最初のキャンプでは初日から守備ではポロポロしまくり、打撃でも見るべき点がない*5という、なんJ民の予想をも上回る酷い有様を見せつけ、いきなり阪神ファンを絶望させた。
シーズンに入ってからも全てにおいて素人のようなプレイを連発し、走攻守三拍子揃った外野手という評価は大嘘どころか走攻守すべてで致命的なミスを繰り返す大問題児であった。もっとも阪神の球団史上初となる新人野手によるグランドスラム*6を放ちはしたものの全てにおいて1位の器どころか「指名する方が間違い」*7とまで言われる始末。金本の後釜はおろか背番号51の前任である桜井の後釜にも到底なり得ない不甲斐なさにファンの失望は大きく、名前の「ハヤタ」と『(走攻守で)終わった』を掛け合わせた「オワタ」や「終身名誉外れ1位」や「51番という選手」、ミート以外は一流の後輩・江越大賀が「4ツールプレイヤー」と呼ばれているのに対して、伊藤には長所が一つもないということで「0ツールプレイヤー」…などなど、数多の蔑称をつけられ早々に絶望枠認定されてしまい中馬民ネタの代表格となる。
このこともあり、なんJ民以下の選手鑑定眼を露呈した上に阪神の世代交代を遅らせた戦犯として南はとやかく言われる*8ことになる。
能力 
脚力こそ平均よりは早い部類に入るものの盗塁技術に難があり、一軍では結局通算盗塁数1回*9に対して盗塁死数6回(赤星式盗塁マイナス11)、という成績しか残せなかった。また、特にキャリア初期は走塁技術や判断力が酷く、牽制死・走塁死多数という散々な結果を残した。打撃面では体格が良く鋭いスイングをする割りに打球に力がなく、良くてあへ単、肝心なチャンスでは三振か内野ゴロがお約束という有り様で、2016年までは1度もお立ち台に立った経験がなかった。
しかし、何においても特筆すべきはその守備の酷さであった。当時の伊藤の守備の酷さと言えば、
- 絶望的なまでに空間認識能力が低く平凡なフライの落下地点に入ることすらままならない。ライトへのファールフライを追いかけて、そのままフェンスに突っ込んだこともあった(それもファールグラウンドの広い甲子園球場で、である)。
- ただエラーするだけならまだしも、打球の追い方を知らないのか他の野手にも迷惑を掛けている。上本博紀を2013年のWBC日本代表との強化試合で交錯し6ヶ月の戦線離脱(上本自身かなりのスペランカー体質ではあるが)に追いやり、田上健一は2014年春季キャンプで激突した末、病院送りにされている。
- 2013年5月8日に右翼で出場し8回表に先制2点バースデーアーチをかっ飛ばすも、9回裏無死でファウルフライ落球、2死になってからフライ落下点を派手に誤りフェンス激突同点タイムリーを献上し名誉返上。
(試合は勝利)
- 2014年8月だけで3度の落球(全て失策付かず)。「難しいことは言いません。外野手ならフライは捕りましょう。」と書かれる。
- 連続無失点記録を伸ばしていた藤浪晋太郎を、自身3安打2打点の活躍もあり8-0でリードしていたのに、センターからライトに移動した直後に伊藤の軽率な守備で後逸(記録は三塁打)と上本の適時失策で無失点記録をストップさせた挙句、この回だけで藤浪の勝ちまで消滅。なんなら4回にも打球判断を誤ってボールが頭上を越えた。さらにヘッスラで怪我しており途中交代。
試合には勝利したものの、左手親指亜脱臼のため翌日登録抹消。
- プロ野球では普通は守備機会の多いセンターに上手い外野手、守備機会の少ないレフトに下手な(≒打力が期待される)外野手を配置するが、伊藤は打球判断・風読み・球際の強さ・スピンがかかった変化する打球処理いずれもプロレベルとは言い難い*10ので、落球されるよりはマシという理由で仕方なく長期間センターを守らされていた*11。もっともセンターは真正面に飛ぶ打球が多いため、前後の感覚を把握しにくいと赤星憲広は指摘している。センター前への打球を後逸することがある理由の一つかもしれない。
- 肩も大学時代は強肩と評価されていたが、キャリア前半ではそもそも肩を披露する以前の問題だったのと、2016年の右肩関節唇の損傷以降はプロでは弱い部類に劣化してしまう。送球精度も良くはない。
- 当時の阪神の中では、元々守備は不得手な上に衰えと故障で満足にスローイングすらできない金本知憲、故障で投手を断念し外野手に転向したばかりの一二三慎太、そして若くて健康であり中学時代から外野手一筋の伊藤が外野の三大糞守備として比較の対象となった。
キャリア後半になると、守備力はやや上がったものの普通に守備難であることには変わらず守備難外野手の代名詞となっていた。
ちなみに、守備範囲が狭すぎて打球に触れることすらあまりできなかったためか、NPBでの伊藤の失策は記録上は1である。
そして阪神退団へ 
2017年と2018年こそ代打の切り札として起用されたが*12、その後は再び不振に陥り2019年以降は他の選手の活躍もあり一軍出場が全くなく、ついに2020年を以て阪神を戦力外になり、本当の意味でオワタとなったのであった。