ケイ・イガワ

Last-modified: 2022-01-22 (土) 14:27:44

井川慶(元阪神→ヤンキース→オリックス)の蔑称の一つ。

阪神時代

井川は2001年に先発ローテーションに定着し防御率2位、2002年から5年連続二桁勝利、最多奪三振3回、2003年には20勝を挙げ沢村賞獲得など、当時のNPB最高レベルの左腕とも言える成績を残していた。
2004年は大事なところで踏ん張れなかったり援護を簡単に吐き出す場面が目立つようになり、2005年には2軍落ちを経験したり33-4の戦犯の一人となるなど、この2年間は防御率が3点台後半にまで悪化していたが*1、2006年は防御率が2点台に回復するなど若干持ち直しており、この勢いを背景に2006年オフ、予てより希望していたポスティングシステムでのメジャーリーグ挑戦を発表し、ヤンキースがポスティングの落札金約2600万ドル、年俸400万ドルの5年契約+出来高で契約。入団会見では「アイアムケイイガワ」とカタカナ英語で自己紹介など話題性もあった*2

しかし、もともと井川の投球にはコマンド(狙ったスポットに投げる能力)不足という弱点が存在しており*3、果たして成功するのかどうか阪神ファンすらも危惧していた*4

渡米後

その危惧は初年度の2007年から的中。14試合で2勝3敗・防御率6.25という散々な投球で信頼を失い、2008年は登板2試合のみで0勝1敗・防御率13.5とさらに悪化、2009年以降は一度もメジャーに昇格出来ないまま*5 5年契約を終えてしまう。
結局5年間でわずか16試合しか登板することができず、期待を大きく裏切る結果となってしまった。

そのあまりの期待外れっぷりは10年以上経った現在にも尾を引いており、2017年には米メディアによって「メジャーリーグの歴史に残る27のワーストFA契約」の13位に選出されてしまう。また、ヤンキースファンが事あるごとに「Igawa」「Kei Igawa」を引き合いに出して選手を批判したり、チームを自虐的に表現したりする様子もTwitterなどの投稿で見られるようになった。なんJでもこれらを翻訳したスレがたびたび立つようになり、特に米国時代の井川を指し「ケイ・イガワ」と呼ぶようになった。*6

一部スレッド

本人のその後

2011年オフには契約年が満了したため、オリックス・バファローズが獲得して日本球界復帰を果たすも既にピークは過ぎており*7、4年間で僅か7勝にとどまり戦力外通告*8を受けた。
約1年をリハビリに充てて2016年12月からは国内独立リーグであるBASEBALL FIRST LEAGUE・兵庫ブルーサンダースに所属。2017年シーズンで2年ぶりの公式戦マウンドに登板し11勝0敗、防御率1.09、奪三振94で最多勝・最優秀防御率・最多奪三振のタイトルを獲得する力の差を見せつけるも1年で退団。
その後は引退は宣言せず「休養」と称した野球浪人状態になった。とはいえ41歳になっても肩肘に故障なく投げ続けており公式戦には出ずとも引退という訳でもないご様子。
ちなみにサッカー好きかつゲーマーの井川はサッカーゲーム『ウイニングイレブン』『WORLD CLUB Champion Football』などでeスポーツ界参戦を狙っているという話もある。
また、TBS系列の『炎の体育会TV』に出演した際に「生涯年俸30億円」と紹介されると、「その一部はヤンキースからネコババしたけどな」と総じてツッこまれた

メジャーのその後

  • ヤンキースのエース格として活躍していた田中が炎上した時には「ケイ・イガワの再来」「イガワが登板した」などと書き込まれた
  • 日本ハムからポスティングでエンジェルスに入団した大谷翔平に対しTwitter上で「大谷はイガワの再来になるだろう」「大谷はイガワとニシオカを足したようなやつだ」などと書き込まれる
  • マリナーズと契約直後の菊池雄星が「先発左腕であることや渡米直前の投球内容が井川を思い出させる」という理由で「田中(田中将大)もいれば井川もいる」「ノーモアイガワ」と否定的な見方を示されていた。シーズン突入後は(シアトルの俺達の活躍もあり)成績不調に陥り、各所で「Kei Igawa II」「Kikuchi is Kei Igawa*9と呼ばれる始末となってしまった。
  • 2019年オフにニューヨークポスト紙が発表した「メジャー30球団最悪のFA補強ランキング」の特集記事でメーン写真で登場し、ヤンキース史上ワースト1位に認定された

余談

井川がチームに貢献せずに大金を得た様子から、沢村賞コピペ内では「詐欺師」扱いされている。また「井川の件は、高年俸で獲得したマイク・グリーンウェル及び、メジャーからのハズレ助っ人を掴まされた阪神の仕返しだ」といった趣旨のレスがされることもあるが、メジャー時代のグリーンウェルはレッドソックス一筋で、井川が入団したヤンキースとは全く関係がない

関連項目


*1 2004年9月14日には9回2死の完封目前の場面で高橋光信に同点3ランを打たれたり、2005年の9月6日には不甲斐ない投球内容で敗戦を喫し首位を走っていたチームも2ゲーム差まで迫られるなど、特に中日戦での苦闘が目立った。
*2 一方でこのMLB挑戦には背景があり、2007年シーズン開幕後に阪神ファンの迷惑行為が相次いでいたことから、井川自身が公式サイトで渡米前から阪神ファンの行き過ぎた行為に不快感を示していた(現在は閲覧不可)とコメントしており、これがMLB志向の要因の一つであったことを明らかにしていた。
*3 特に井川の決め球ともいうべきチェンジアップを投げた時にその傾向が強かった。一方、コマンドが低い投手として他には野茂英雄や石井一久がいるが、彼らはそのままのスタイルで成功した特異なケースである。
*4 メジャー移籍する少し前に行われた2006年の日米野球に登板した際の成績は6回2失点、被安打5、与四死球6、被本塁打1。クオリティスタートを達成しているため一見好投したようにも思えるが、与四死球の数が際立って多かったことも不安視する大きな要因になっている。
*5 ただし、これついてはヤンキースが井川に対する信頼の低さゆえに飼い殺しにしていたという側面もあり、井川本人は「下手投げにしなければメジャー昇格させないと無理難題を押し付けられた」「08年の3A最多勝を正当に評価してもらえなかった」と上原浩治のYouTubeチャンネルで語っている。なお、当時ヤンキースにはマイク・マイヤーズという左の下手投げ投手がいたが、歴史上日米どちらのリーグにおいても左下手投げ投手は殆ど存在せず、日本プロ野球界においては永射保(元西武)が活躍した程度である。
*6 ちなみに、MLB時代のベースボールカードにて、井川の「井」が欠けて、「川慶」になってしまったこともある。
*7 直球の球威が大幅にダウンしており、しかも阪神時代には見られなかった故障癖が定着していたことも一因。
*8 このためオリックスの失敗補強例として挙げられる。
*9 元々、井川と菊池はコントロールアバウトなパワータイプ左腕であることなど共通点も多い。