阪神に行きたくない10ヶ条

Last-modified: 2021-06-01 (火) 23:06:34

1991年のドラフトを前に、阪神タイガースからのアプローチを受けていた田口壮(当時関西学院大学)が入団拒否の姿勢を示すために発表した声明のこと(後に撤回)。


10ヶ条の内容

1.自分は野球選手である以上、常に勝利というものを目標として野球人生を送りたい。
2.自分の夢は日本シリーズで優勝する事であり、阪神が日本シリーズで優勝することは、夢にしても出来過ぎている
3.中村監督*1が個人的にあまり好きな人種ではない。陰気臭いという感じがする。
4.球団がせこい。金儲けのことしか頭にないように見える。
5.フロントの二枚舌が酷いという。傍から見ていてもその信憑性は高いと感じられる。
6.ファンである川藤コーチが辞任した。他の阪神のユニホームを着た人間に打撃など教わりたくもない。
7.阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない
8.これほどまでに勝てないのは育成部門が悪いのではないか。自分も潰されそうで恐ろしい。
9.阪神沿線が肌に合わない*2
10.大物選手がロクな辞め方をしていない*3選手を大事にしない球団には入りたいと思わない

その内容があまりに辛辣かつ的を射たものであったため、大きな話題を呼んだ。
この会見に激怒した阪神は田口から怒りの撤退*4。田口は日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)とオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)にドラフト1位で指名され、抽選の末オリックスに入団した。一方田口から撤退した阪神はドラフト1位に萩原誠(大阪桐蔭高)を指名した。

後年になって田口は10ヶ条についてこう振り返っている。

「自分の中では当時も阪神が嫌いなどという思いはなく、若さゆえの至らなさが招いてしまったことです。オリックスの担当スカウトが大学の先輩だったこともあり、どうにかしてオリックスに行きたいという気持ちが強すぎました。そのときに発した自分の言葉がマスコミの方々に誇張されて伝わってしまったんです。今思えばなんにも言わなければ良かったのですが。当時は多くの方に迷惑をかけてしまいました。今でも申し訳なかったと思っています。」
https://www.excite.co.jp/news/article/E1440491331351/?p=4


その後

田口はオリックスでイチロー*5や本西厚博(のちに谷佳知)と共に鉄壁の外野陣を形成、名将・仰木彬監督の下で1995年リーグ制覇と1996年日本一に大きく貢献。さらに海を渡ると2006年カージナルス、2008年フィリーズでワールドチャンピオンに輝く。一方で田口が日米で現役だった1992~2012年の21年間で阪神が日本シリーズを制することはなかったので、結果的に田口の選択は正しかった事が証明された

前年の90年ドラフトでは亜細亜大学の小池秀郎(元近鉄→中日→近鉄→楽天)がロッテから1位指名を受けたが入団拒否*6している。その時に小池は「特に行きたくない球団」として阪神・ロッテを挙げていた。もっとも暗黒時代の阪神はドラフト有力選手に水面下で門前払いを受けることが多かった*7とされ田口の件は氷山の一角とも考えられ、当時のドラフト戦略の酷さにも繋がっていたともされる。


関連項目


*1 中村勝広氏のこと。なお田口が大リーグへ移籍した後の2003年に中村は、田口の古巣オリックスのGMに就任した。
*2 出身校の西宮市立平木中・西宮北高・関西学院大はいずれも阪急沿線にある。
*3 主力級だったバース掛布田尾岡田松永・仲田・真弓らは球団と揉めた末に全員引退か他球団への自主的移籍への道を選んでいた。
*4 この一件で阪神と関学の関係はさらに悪化。疎遠どころか断絶状態になっていた。しかし2000年代に入ってからは2006年に清水誉を、2018年に関学OBの近本光司を指名している。
*5 田口とは同期入団でドラフト4位。
*6 ちなみにロッテは元々ホンダ鈴鹿の湯舟敏郎(元阪神→近鉄)を1位指名する予定だったが直前で当時監督の金田正一が小池指名を強引に主張し指名したとされる。
*7 元阪神スカウトの菊地敏幸氏によると松坂大輔(現西武)にも断られていた。このことを阪神はずっと根に持っていたようで松坂がソフトバンクを自由契約になった後で入団テストを申し入れた際に逆に引退勧告をも突き付け断ったとされる。