阪神に行きたくない10ヶ条

Last-modified: 2020-10-15 (木) 14:25:48

1991年のドラフトを前に、阪神タイガースからのアプローチを受けていた田口壮(当時関西学院大学)が入団拒否の姿勢を示すために発表した声明のこと(後に撤回)。


10ヶ条の内容

1.自分は野球選手である以上、常に勝利というものを目標として野球人生を送りたい。
2.自分の夢は日本シリーズで優勝する事であり、阪神が日本シリーズで優勝することは、夢にしても出来過ぎている
3.中村監督*1が個人的にあまり好きな人種ではない。陰気臭いという感じがする。
4.球団がせこい。金儲けのことしか頭にないように見える。
5.フロントの二枚舌が酷いという。傍から見ていてもその信憑性は高いと感じられる。
6.ファンである川藤コーチが辞任した。他の阪神のユニホームを着た人間に打撃など教わりたくもない。
7.阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない
8.これほどまでに勝てないのは育成部門が悪いのではないか。自分も潰されそうで恐ろしい。
9.阪神沿線が肌に合わない*2
10.大物選手がロクな辞め方をしていない*4選手を大事にしない球団には入りたいと思わない*5

その内容があまりに辛辣かつ的を射たものであったため、大きな話題を呼んだ*6
田口自らの意志*7ではなく、当時阪神と険悪だった大学関係者が田口の阪神入団を阻止するために用意したとも言われるが、田口らは現在もこの10ヶ条について一切口を閉ざしているため未だに真相は闇の中である*8

 

この会見に激怒した阪神は田口から怒りの撤退*9。田口は日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)とオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)にドラフト1位で指名され、抽選の末オリックスに入団した。


その後

田口はオリックスでイチロー*10や本西厚博(のちに谷佳知)と共に鉄壁の外野陣を形成、名将・仰木彬監督の下で1995年リーグ連覇と1996年日本一に大きく貢献。*11田口が日米で現役だった1992~2012年の21年間で阪神が日本シリーズを制することはなかったので、結果的に田口の選択は正しかった事が証明された*12

前年の90年ドラフトでは亜細亜大学の小池秀郎(元近鉄→中日→近鉄→楽天)がロッテから1位指名を受けたが入団拒否*13している。その時に小池は「特に行きたくない球団」として阪神・ロッテを挙げていた。もっとも暗黒時代の阪神はドラフト有力選手に水面下で門前払いを受けることが多かった*14とされ田口の件は氷山の一角とも考えられ、当時のドラフト戦略の酷さにも繋がっていたともされる。

関連項目


*1 当時の阪神の監督、中村勝広氏のこと。故人。なお田口が大リーグへ移籍した後の2003年に中村は、田口の古巣オリックスのGMに就任した。
*2 出身校の西宮市立平木中・西宮北高*3・関西学院大はともに阪急沿線にある。
*3 同校での田口の1学年後輩に「涼宮ハルヒシリーズ」の作者である谷川流がおり、同校は「涼宮ハルヒシリーズ」の舞台である「県立北高校」のモデルであるとされている。
*4 主力級だったランディ・バース掛布雅之田尾安志岡田彰布松永浩美・仲田幸司・真弓明信らは球団と揉めた末に全員引退か他球団への自主的移籍への道を選んでいる。その後も退団に関してダレル・メイに大豊泰昭・今岡誠赤星憲広新井貴浩西岡剛鳥谷敬ヤンハービス・ソラーテなどゴタゴタ続きである。もっとも赤星に関しては選手生命どころか今後の人生に関わる怪我によるものなので、引退は妥当との意見が多い。
*5 これに関しては田口自身がメジャーから復帰した後、皮肉にも古巣のオリックスで経験することになる。
*6 30年近く経った2020年現在でも2、7、8、10は当てはまっている。
*7 この時を含めて海外FA行使時とNPB復帰時に阪神入団の可能性が3度もあったがオリックスへの義理もあったかいずれも断っている
*8 田口はその後当時の野球部監督から叱責を受け「監督から野球以外のことで叱られたのは初めて」だったという。
*9 この一件で阪神と関学の関係はさらに悪化。疎遠どころか断絶状態になっていた。しかし2000年代に入ってからは2006年に清水誉を、2018年に関学OBの近本光司を指名している。なお田口から撤退した阪神は同年のドラフト1位として萩原誠(大阪桐蔭高。1991年夏の甲子園で同校が初出場初優勝した時のメンバー)を指名している。
*10 田口とは同期入団でドラフト4位。
*11 2006年カージナルス、2008年フィリーズでワールドチャンピオンに輝いている
*12 2019年時点で通算1勝5敗。2003年2005年2014年の3度日本シリーズに出場して3度とも敗北。阪神日本一はバース掛布岡田のクリーンナップが猛威を振るっていた1985年の1度きりであり、セントラルで最も少ない。ただし2003、2005のように優勝チームの中でも歴代屈指の強さを誇るチームと当たってしまうなど、運のなさもある。
*13 ちなみにロッテは元々ホンダ鈴鹿の湯舟敏郎(元阪神→近鉄)を1位指名する予定だったが直前で当時監督の金田正一が小池指名を強引に主張し指名したとされる。結果論になるが湯舟を指名できた阪神はまだしも湯舟を逃し小池に入団拒否されたロッテは二重に損をすることになった。
*14 元阪神スカウトの菊地敏幸氏によると松坂大輔(現西武)にも断られていた。