Cheng An

Last-modified: 2024-02-19 (月) 15:53:53

成安 (丁型海防艦 第40号)

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性能諸元

編集時 ver.4.3

基本性能

※アップグレード済み、装備、迷彩、エリートなし

Tier1
生存性継戦能力9328
抗堪性・防郭防御5%
・火災浸水耐性10%
・装甲4.50%
・対水雷防御4.50%
主砲射程8.10km
機動性最大速力19.03ノット[kt]
最大出力への到着時間8.31秒
転舵速度8.31度/秒
転舵所要時間3.60秒
隠蔽性8.40km



・派生艦船

派生先Long Jiang



・兵装

主兵装口径,搭載基数×門数最大ダメージ(火災率)装填時間砲塔旋回速度
100mm L/40 Type98, 2基×2門HE弾 350(4%)5.50秒15度/秒

ゲーム内説明

第2次大戦中に大日本帝国海軍用として建造された小型の海防艦であり、1947年に中華民国に引き渡されました。

解説

・主砲
100mm砲を連装で2基、計4門搭載。砲の数4門という構成は他国同格と比較して平均的である。他国同格よりも小さめの口径ということもあり、HE弾ダメージは330と最低クラス。装填速度が他国よりも速いかというと…そういうわけでもなく逆に5.5秒かかってしまう(他国は大体5秒装填)。よって、瞬間火力とDPMともに同格の橋立の砲をマイルドに劣化させた程度に落ち着く。射程も同格と同じ8.10kmであり、特段優れた点は見当たらない。

・装甲
装甲4.5%は他国同格内の低い方の平均と同じである。防郭防御5%、火災浸水耐性10%、対水雷防御4.5%はこのティア帯における一律の値であり、優劣は無い。

・機動性
最高速度19.03ノットは同郷の橋立(18.76)よりは速いものの、ブービー賞である。加速は8.31秒と橋立(8.28秒)より少し遅い程度。しかし、特徴的な点として舵の効きは8.20度/秒と優秀で転舵所要時間も3.6秒と短い。

・隠蔽性
このティア帯で隠蔽を意識する人は居ないとは思うが、隠蔽が良いグループ(8.4km)と悪いグループ(9km)に大別され、本艦は前者に属する。

・生存性
素のHPは8800と同格最低クラスであり、同格との撃ち合いにおいて若干不利と言える。とはいえ、このティア帯の艦艇は装甲がほぼ無いので被弾するとガンガンHPが削られてしまう上に、敵弾を回避できるような機動力が無いので大きな優劣は存在しない。

・消耗品
「改良型ディーゼルエンジン」「高級船員食料」の搭載を推奨。もっとも、このティアなら何も積まないという選択肢もあり。

・装備
兵装は射撃システム改良1もしくは主砲改良2をお好みで、防御もお好みで、適正は推力改良2が無難か。

・エリート特性
・船体強化 HP+4%
・エリート砲術員 主砲装填速度-3%、主砲旋回速度+7%
・功績 EXPアップ+10%

・総論
ティア1の船なので他国とそう大きな違いは存在しないが、船体の特徴的に日本の艦に通じるものがあり、速度は出ないが機動性に優れる(元々日本艦だから当然ではあるが)。砲については少し前に実装されたブラックスワンやオルランはDPMが高く、本艦の調整がどうなるのか注目されたが常識的な範囲内に抑えられている(逆に性能を抑え過ぎて装填速度が劣っているので、気になる場合はエリート特性と装備で補ってあげると5秒台までは短縮可能)。まずはこの艦で新しいツリーに挑む腕試しをしてみよう。

史実

元々は日本で設計・建造された丁型海防艦の1隻「第40号海防艦」である

 元々は日本で設計・建造された丁型海防艦の1隻「第40号海防艦」である。
 丁型海防艦は、丙型海防艦と並行し建造された海防艦である。丙型と同じく御藏・鵜来型海防艦を切り詰め排水量を減らし、量産性を高めた船であった。丁型海防艦ではそれに加え生産性に難点があったディーゼル機関をタービン機関に変更するなどして工期の短縮を行っている(燃費が良いディーゼル機関を採用しないという決定をするほど、船団護衛用の艦が不足していた)。
 建造は143隻が計画され、63隻が戦時中に完成し25隻が戦没。工期最短は第198号の74日。艦名は番号で、偶数が割り当てられている。本艦第40号は大戦を生き残り戦後は日本近海の掃海に従事。1947年8月に姉妹艦第104号と共に賠償艦として中華民国へと渡り「成安」として同国の海軍に配属された。(PC版wikiより)

小ネタ

艦名の由来

 本艦の艦名の由来は中国の河北省邯鄲*1にある「成安県」と推測される。
 なお邯鄲の名は神話の時代に「女媧」がこの地の山中で粘土を捏ねて人間を造ったという伝説に登場するくらいには古く、殷の時代には既に都市が形成されていたとされる。またこの地は秦の「始皇帝」の故郷でもある*2が、邯鄲の話をしていると話が終わらなくなってしまうのでここまでとしたい。
 話を戻すと成安県は邯鄲の中で、漢の時代に設置された斥丘県が元になっている。南北朝(六朝)時代に南朝の1つである北斉により成安県と改称され、唐において一時的に斥丘県に戻されるもののその後は概ね成安県である。

主砲口径の謎

日本海軍時代は12cm単装高角砲、中華民国(台湾)海軍時代は米国製の5インチ(127mm)砲が主兵装だったが、ゲームでは何故か同格内で最小口径の100mm砲に改められている。

編集用コメント

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  • 小ネタを編集 -- 2024-02-19 (月) 15:53:53

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  • 橋立に近い何かを感じる。 -- 2022-05-18 (水) 15:00:08

過去ログ

過去ログ一覧

*1 日本でもこの地が舞台の「邯鄲の枕」の話は有名だろう。知らない人のために簡単に解説すると、この話は唐の時代に書かれた「枕中記」の中の1つの話で盧生という名の無名の若者が趙の都の邯鄲において導師から枕を借り受ける…夢から醒めると栄枯盛衰を極めた自身の人生は、実は粟粥が煮えるまでのほんのひと時の夢だったというお話。
*2 秦は趙に対して子楚を人質として出したが、大商人の呂不韋は子楚の非凡さを見抜き監禁先から救出。自身の愛人すら与えて何不自由無く過ごさせたという。この時に生まれた子が「政」…後の「始皇帝」である。「政」は父である子楚が王になる前の数年間を邯鄲の富豪の元で過ごした。