Dicker Max

Last-modified: 2023-08-31 (木) 15:45:42

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Tier 6 ドイツ 駆逐戦車 (課金戦車)

公式紹介ページ

スペック

車体

HP650
車体装甲厚(mm)50/20/20
最高速度(km/h)40
重量/最大積載量(t)24.99/26.7
本体価格(ゴールド)3,200
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

Dicker Max
(3,200G)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Dicker MaxMaybach HL 120 TRM 11210.5cm K 18 L/52Dicker MaxDicker Max650FuG5 mit 20 WS.E.
272AP
APCR
HE
169
227
53
300
300
380
26600
10G
650
6.45
2.3
0.36
35--/--/--26400620

解説

  • 概要
    Tier6ドイツプレミアム駆逐戦車
    IV号a型10.5cm対戦車自走砲「ディッカー・マックス」(太ったマックス)。
    Pz.Kpfw IV Ausf. D?をベースに試作された駆逐戦車である。
    PC版とは違いマッチング優遇は無い。
     
  • 火力
    • 10.5 cm K 18 L/52
      同格のNashornに比べて貫通力、精度、弾速などで劣っているが単発火力では大きく上回り、格上戦車に対しても十分なダメージソースとなる。
      それ以上に特筆すべき点として俯角が驚異の-15°を誇り、かなり急な斜面でもハルダウン戦法に利用できる。
       
  • 装甲
    全周薄い上に、オープントップなので下位の自走砲すら油断出来ない存在になってしまう。
    装甲が全く当てにできないだけに被弾面積を極力抑えられる位置取りを心掛け、前線は味方に任せて一歩引いたところから援護に徹しよう。
     
  • 機動性
    Pz.Kpfw IV Ausf. D?に比べエンジン出力が大幅に低くなっているため、機動力に難がある。
    通常の移動に困るほどではないが、傾斜や陣地転換を行う時は不便となる。
    また旋回性能も低く、軽戦車などに回り込まれると自分一人では対処できない事が多々あるので味方から孤立しないよう注意しよう。
     
  • 視界
    全駆逐戦車中トップタイの圧倒的な視界を有する。
    マッチング上、同等の視認範囲を有するのは一部格上軽戦車くらいであり、隠蔽率も駆逐戦車として最低限の数値は確保しているため、先に相手に発見されるという事はほぼ無い。
     
  • 総論
    同格では並ぶ物の無い視認範囲と高い単発火力、突出した地形適応力は、少々の数的不利は軽く覆しうるポテンシャルを秘めている。たとえ劣勢になっても諦めず、待ち伏せからの先制攻撃を狙おう。
    俯角を生かしてハルダウンすれば、粘り強く戦うことができるだろう。

史実

元々はフランスのマジノ要塞を破壊する為のバンカーバスターとして10.5cm砲を搭載した装甲自走砲を1939年、クルップ社によってPz.Kpfw.IV Ausf Eの車体を利用して開発が始まった。
1940年6月21日、フランスの降伏により戦闘は終了し、この装甲自走砲は完成する事はなかったが、対戦車用車両として開発方針を変えた。
1941年1月に2両のプロトタイプが完成。同年3月31日にヒトラーの前でデモンストレーションを行い、発注される事となった。ドイツ軍による試験が行われ、これに合格すれば1942年の春頃に本格的な生産が行われる可能性があった。
開発中は10.5cm K (Pz.Sfl.IVa)と名付けられていたが、1941年8月13日に10.5cm K (gp.Sfl.)と名称が変更されたが俗称であるDicker Max(太ったマックス)としても知られている。
戦闘試験の為に2両のプロトタイプは第521駆逐戦車大隊へ配備され、地中海の戦いで使用された。
その後は第3機甲師団に所属を移され、主に東部戦線でソ連軍を相手に戦っていたが、1941年12月17日から開始された1度目のヴォルホフ戦線で1両は事故で動けなくなった所に砲撃を受け弾薬庫の誘爆により失われた。
もう1両は1941年末まで戦闘に参加し、成功を収めた。
1942年初頭にクルップ社に戻され同年7月のブラウ作戦に参加出来るよう改修され、再び第521駆逐戦車大隊へ戻された。
残った1両の行方は依然として所在が不明なのだが、1942年11月~12月の第521駆逐戦車大隊のレポートに使用可能の報告がされていない事からブラウ作戦中に失われたと推測される。

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