La Argentina

Last-modified: 2024-01-29 (月) 21:53:44

ラ・アルヘンティーナ 

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性能諸元

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基本性能

※アップグレード済み、装備、迷彩、エリートなし

Tier5
生存性継戦能力18032
抗堪性・防郭防御5%
・火災浸水耐性10%
・装甲防御6%
・魚雷防御4.5%
主砲射程9.99km
機動性最大速力29.45ノット[kt]
最大出力への到着時間12.67秒
転舵速度7.3度/秒
転舵所要時間6.9秒
隠蔽性7.8km



・派生艦船

派生元Córdoba
派生先Almirante Cochrane



・兵装

主兵装口径,搭載基数×門数装填時間ダメージ(防郭率)砲塔旋回速度
152mm L/50 QF Mk.W, 3基×3門8.50秒AP弾 504(150%)10度/秒


魚雷口径,搭載基数×門数(片舷指向門数)射程雷速最大ダメージ装填時間浸水率魚雷管旋回速度
533mm TR Mk Ⅳ, 2基×3門(3門)7.20km61.13kt347248秒17%25度/秒


対空砲種類ダメージ射程
大口径
小口径
40
54
3.30km
1.50km



・艦艇スキル

種類効果持続時間クールタイム使用可能回数
戦闘指示:観測射撃主砲装填時間-10%
主砲最大散布界-10%
主砲AP弾貫通力+10%
20秒30回主砲を命中させる条件を満たしさえすれば∞
対空警戒Ⅰ大口径対空砲ダメージ+75%
小口径対空砲ダメージ+75%
20秒75秒2回

・艦艇の特技
緊急修理
修理班を使用した際に回復するHPが20%増加する

ゲーム内説明

巡洋艦ラ・アルヘンティーナはイギリスの1926年計画に基づいて建造された。本艦はイギリスのアレシューザ級軽巡洋艦をベースに設計され、様々な変更が行われている。ラ・アルヘンティーナは1939年にアルゼンチン海軍に編入された。

解説

・主砲
152mm砲を3連装砲塔に収めて3基9門構成。砲配置は艦首に背負い式で2基6門、艦尾に1基3門のオーソドックスな配置。この砲は3連装砲によくある「砲弾が纏まって飛んでいく」特徴を備えており、敵駆逐艦や軽巡洋艦に対して高い威力を発揮する。ところが「アリシューザ級」でもある「重慶」と比べて装填時間がやや長めで射程も短い。このため斉射を外した場合、敵は本艦の射程外にさっさと避難してしまうというケースも多く…9門の砲で如何に正確に敵艦に命中させるかを問われる事になる*1。後述する艦艇スキル「戦闘指示:観測射撃」の使いどころが重要となる。砲塔旋回速度は10度/秒と標準的。

・魚雷
533mmクラスを3連装魚雷発射管に収めて片舷辺り1基づつ搭載。片舷斉射可能数は3射線である。前級の色々と残念な性能の魚雷が改善され、装填時間はそのままに単発火力・雷速・浸水率が向上、特に射程に至っては同じ「アリシューザ級」ながらも格上の「黄河」魚雷(6km)を上回る7km台と国際標準に一気に追いついた。単発火力も「重慶」魚雷を上回るので必要十分と言えるだろう*2。魚雷発射管旋回速度は元が英巡なのでこのティア帯としては非常に優秀で扱い易い。

・対空
素の対空値は94とやや微妙。前級には搭載されていなかった大口径対空砲が搭載されたものの、ダメージは40しか無いので素の状態ではコケ脅しである。しかし本艦は後述する艦艇スキル「対空警戒Ⅰ」を手に入れたので、狙われていると感じた際には使用する事で敵の攻撃成功率を下げる事が可能。ただし敵航空機の漸減は期待しない方が良いだろう。

・装甲
軽巡洋艦の装甲に期待するのは止した方が良い。何せ元が英巡だから全く期待できないためだ。幸い耐性についてはこのティア帯では一律なのでその恩衛を受けて国際水準を保っては居る。しかし軽巡洋艦の耐性は無いも同然なので被弾・被雷はなるべく避けたい。

・機動性
素の最高速度は29ノット台。前級よりも速度は増しているのだが「重慶」よりもやや速度が遅い。加速は優秀だが舵の効きは「重慶」に劣り、軽巡としては軽快とは言い難い。

・隠蔽性
素の被発見距離は8km弱とやや隠蔽が良くない。

・生存性
HPそのものは素で18000台と虚弱体質。その上に隠蔽や速度などで同格に劣り、かつ軽巡の強みである速度や旋回性能にも劣っているため正直生存性は高くはない。しかし魚雷が強い巡洋艦であるパン巡をも上回る魚雷を持っているという強みを活かす事ができれば、試合をひっくり返す事も不可能ではない筈だ。

・消耗品
「改良型ディーゼルエンジン」「高級船員食料」の搭載を推奨。残り1つはお好みで。

・艦艇スキル/艦長スキル
艦艇スキルとして「戦闘指示:観測射撃」「対空警戒Ⅰ」を使用可能。
「戦闘指示:観測射撃」は本艦の主砲の装填時間がやや長めなこともあり、前級までと比較して命中弾数を稼ぎにくい。さらにスキル使用ボタンの左側に表示される「溜めゲージ」は、溜まり切る前の状態で一定時間命中弾が無いと時間経過に伴いゲージが減少する仕様。このため本艦においては「ゲージが溜まりにくく、冷め易い」という状況を経験する事になる。ティアが向上して前準備に必要な命中弾数が増えてくるとこの状況は発生し易くなるので、今のうちから試合時間全体を見越したゲージコントロールとスキルの使いどころを研究しておくと良いだろう。

・装備
 ・兵装「主砲改良Ⅰ」
 ・防御「推力改良Ⅰ」「操舵装置改良Ⅰ」
 ・適正「推力改良Ⅱ」「操舵装置改良Ⅱ」
※魚雷発射管の旋回は十分に速いので、兵装は主砲を強化してあげたい。防御と適性は共に船体の機動力を補える選択が無難だろう。

・エリート特性
 ・巡洋艦近代化改修 HP+2%、対空火力+5%、主砲旋回速度+7%
 ・護衛特化 主砲旋回速度+7%、最高速度+3%、対空火力+5%
 ・功績 EXPアップ+10%
※消去法で「護衛特化」をお勧めしたい。

・総論
 速度や旋回性能に優れる「アリシューザ」級の船体に、格上の「フィジー」級を思わせる3連装砲塔を搭載し砲火力を向上させた艦である。元となった「アリシューザ」級の「重慶」が連装砲3基6門構成であるのに対し、後発の本艦は3連装砲3基9門構成と単純計算では1.5倍の砲数を搭載している事になる。また魚雷についても「重慶」魚雷の火力と射程を上回るものを搭載しており、カタログデータ的には相当な重武装艦という事になる。ところが重武装の代償ゆえに色々な部分で「重慶」に劣っており、戦場において何かと後手に周りやすい。このため自身が軽巡洋艦ではあっても、索敵や占領が得意な系統ではなく「中距離における火力支援が得意なやや鈍重な艦」である事を念頭に置いたうえで立ち回る必要がある*3。しかし本艦に乗る多くの艦長は軽快かつ高隠蔽を持つ「重慶」と同じような扱い方をしがちであり、それ故に弱いという評価を受けやすい。ティア帯ゆえにやむを得ない部分は多いが、きちんと艦の特性を踏まえた上で扱ってやればそれなりに強い艦と言える。

戦闘名誉章

レベル123
報酬艦艇exp2500
シルバー50k
艦艇exp2500
シルバー50k
艦艇exp2500
シルバー50k
ミッション内容10戦プレイ10回勝利15隻巡洋艦撃破

史実

格納

 アルゼンチン海軍は1926年計画においてイタリアに「トレント級」重巡洋艦2隻の建造を依頼。これによりイタリアの造船所内において1927年に2隻が起工し、共に1931年に竣工。約2か月の航海を経てアルゼンチンに到着した。続いて3番艦を建造しようとしたものの、何らかのトラブルがあってイタリアでの建造は中止。
 やむなく1934年計画において英国での設計・建造を依頼する事になったのが本艦である。タイプシップは「アリシューザ級」軽巡洋艦としつつも、練習巡洋艦としての機能も追加されていた。起工は1936年1月、進水は翌1937年3月、竣工は1939年1月である。竣工後は例によってアルゼンチンまでの航海を経て同年4月に就役。1940年3月には地球を1周する練習航海に出発、その際に日本にも寄港している。また、第2次世界大戦においてアルゼンチンは中立国として参戦しなかったことから大戦中に損耗する事も無かった。戦後においても永く練習航海艦として使用され、退役したのは何と1972年であった。

小ネタ

艦名の由来

 本艦の艦名「ラ・アルヘンティーナ (La Argentina)」はスペルを見てもらえば一目瞭然だが直訳すると「ラ・アルゼンチナ」であり、日本語的には「アルゼンチン号」とでも言うべき名前となっている。
 また余談になってしまうが、アルゼンチンという国名は銀のラテン語読みであるARGENTUMからARGENTINA(アルゼンチナ)とされたが、これは首都ブエノスアイレスがラ・プラタ(スペイン語でプラタは銀を意味する)川の河口に位置している事、そして国名をスペイン語由来でなくすることでスペインからの支配の脱却を表すとされている。

南米のパリと呼ばれたブエノスアイレス

 日本においてアルゼンチンの話題が出る事はあまり多くないだろう…何せ現代においては金融不安など悪い方のニュースばかり聞こえる国だからだ。ところが意外なことに19世紀末における時点ではアルゼンチンは大変に豊かな国であったのだ。順番に説明していこう、まずそれ以前のアルゼンチンは細々とした牧畜を営んでおり羊毛や皮革製品といったものを輸出しているに過ぎなかった。ところが19世紀後半に入ってイギリスの資本が入る事により鉄道網を始めとするインフラが整備され、国の東北部に広がる広大な草原地帯(パンパ)が大規模な農地になった。これは当時改良されたばかりの農業技術を活かして灌漑設備が整備され、今まで作物を造る事が困難であった土地においても農業が可能になった為である。そして収穫された作物は整備された鉄道網を通じて沿岸部に運ばれ、そこから船で海路を伝ってヨーロッパ中に運ばれた。作物の対価として受け取った潤沢な資金はアルゼンチン全土を好景気に沸かせた…首都ブエノスアイレスには片道8車線という世界一広い大通りが造られたり、世界3大劇場の一つに数えられるコロン劇場を建てる等ヨーロッパを模した街造りが行われた。その結果、ブエノスアイレスは「南米のパリ」とまで呼ばれる程の壮麗な街並みを誇るまでになった。
 しかし時代の転換点は意外なところから訪れる…アルゼンチンを始めとしてインドやその他の地域から運ばれてくる海外産の安い農産物により自国の農産業が壊滅的打撃を受けて不況に陥っていた英国において、産業構造の変革が起きて工業化が進み始める。この動きは英国だけでなくドイツやフランスにおいても同じ傾向が見られ、これらは後に第2次産業革命と呼ばれる工業化社会の到来へと繋がって行く。ところがアルゼンチンにおいては農作物の輸出が上手く行き過ぎた影響で、世界的な工業化の波を軽視する向きがあった。更に大規模な農業を行っていた事から大地主の利権が大きく、工業化を進めるという事は彼らの利権を奪う事にも繋がったことから世界的な流れに取り残されてしまった。工業化の進んだ地域は労働者が交代制で24時間365日製品を製造し続けるのに対して、農業はどんなに効率的に行っても1年に数回の収穫が限度である…つまり基礎的な生産力が全く違うのだ。工業化の波に取り残されたアルゼンチンはやがて輸出産業においてもヨーロッパの後塵を拝すことになり20世紀初頭において先進国の地位を譲り渡す事になるのである。

母を訪ねて三千里

 ここから先は完全に蛇足となってしまうが、上記のアルゼンチンの歴史的な興亡・転落の流れを踏まえた上で観て欲しい作品がある。それが世界名作劇場の第2弾として高畑薫監督の元製作された「母を訪ねて三千里」である。この作品はブエノスアイレスまで出稼ぎに行ったまま音信不通になった母を探すべく、主人公のマルコがイタリアのジェノバから単身アルゼンチンに渡って母の足取りを追う物語となっている。この作品の原作である「クオーレ」において原作者のエドモンドは「何故マルコの母が裕福な筈のヨーロッパの北イタリアから南米のアルゼンチンまではるばる出稼ぎに行くのか?」という点を明らかにしていない。しかしそれはエドモンドがイタリア人の作家であり、当時不況の真っ最中であったイタリア人の労働者が好景気に沸くブエノスアイレスまで出稼ぎに行くのは良くある事であった為、改めてそれを説明する必要は無いと判断したと考えられている。しかし日本においてTVアニメ化するにあたっては補足が必要であった事、および原作そのままでは1年間の放送に足るだけの話数を造れない事から脚本の深沢一夫が様々な部分を追加している。その結果、TVアニメ版においては父親は借金して建てた診療所を離れる訳には行かず母親が単身アルゼンチンまで出稼ぎに行った事、父も兄も仕事の都合で母親を探しに行けるのは弟のマルコだけであったという独自の設定が生まれたのである。また原作では13歳であったマルコがTVアニメ版では10歳に変更され、作中における旅路の困難さを更に過酷にする演出が行われている。

練習航海

 本艦の就役は1939年4月だが、翌1940年3月には若い士官達の訓練も兼ねて世界一周を試みるという練習航海に出発。同年6月には日本の横浜港・神戸港を訪れている。

日露戦争における縁

 本艦が練習航海中に日本を訪れたという事は上に述べたとおりである。しかし何故日本とアルゼンチンとの間にこういった絆があるのか、不思議に思われる艦長も居るだろう。
 それは日露戦争(1904年~1905年)の頃に遡る。当時アルゼンチン海軍はチリとの紛争を行っており、戦力増強のためにイタリアに装甲艦の建造を発注していた。ところが紛争は思いのほか速く終結し、建造開始したは良いが当時最新鋭の装甲艦2隻を持て余すという状況に陥ってしまう…そこに目を付けたのが日露戦争に備えて軍艦をかき集めていた日本海軍であった。双方の利害が一致した結果、アルゼンチン海軍は装甲艦2隻の売却を決定。日本海軍は期せずして完成間近の最新型装甲艦2隻を入手する事になり、それぞれを「日進」「春日」と命名。完成した「日進」「春日」はアルゼンチン海軍の建造担当官である「マヌエル・ドメック・ガルシア大佐」に指揮されてイタリアから遠路はるばる日本に回航されて来たのである。
 なお「日進」「春日」の到着は日露戦争の開戦直前であり、海軍参謀であった秋山真之は後に「この2隻がいなかったらと思うと私は今でも戦慄せざるを得ない」という懐古を述べている。こういった経緯もありガルシア大佐は「日進」に観戦武官として搭乗、日本海海戦における勝利を見届けアルゼンチン帰国後に詳細な報告書を提出している。この報告書には当時の日本海軍で行われていた砲撃等の技術的な内容から戦術に至るまでが記載されており、アルゼンチン海軍における重要軍事機密として永い間秘匿されていた*4。こういった縁によりアルゼンチン海軍は皇紀2600年祭(1940年)に合わせた表敬訪問を行ったのだ。

編集用コメント

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  • 総論と戦闘名誉賞を記載 -- 2023-11-04 (土) 17:53:35
  • 小ネタを追加 -- 2024-01-29 (月) 21:53:44

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*1 ところが同じような砲を持つ「ケーニヒスベルク」のほうが砲弾ダメージが高く装填も短いため使い勝手としては「ケーニヒスベルク」搭載砲に劣っている様に感じやすい。
*2 とはいえ優秀な隠蔽と舵で両舷の魚雷を扱い易いパン巡と異なり、本艦はやや速度や隠蔽・舵に劣るため全く同じような運用はやや厳しい。
*3 ちなみに本艦のような前方火力が強いが鈍くさく脆い系統の艦はティア5だけでなく、7と9でも乗ってもらう必要があるのでそのつもりで。
*4 現在では軍事機密扱いではなくなり、アルゼンチン海軍歴史博物館にて一般に公開されている。