【SS】What thing is there beyond the partition

Last-modified: 2024-03-12 (火) 22:33:37

このSSはDCO機関に関連しています。

詳細

─それは、悪魔だった。

パーテーションのその向こう」がどのようにして危険な存在へとなっていったのか。リセタや博士たちの信条とは。そんなこんなを書き記したものである。

当該DCOの報告書を読んでから読むことを強くお勧めする。
また、本SSにはグロテスクな描写が含まれているので苦手な方は注意すること。(これでも自制した方ですが怒られたら消します)
誤字脱字や読めない漢字があれば言ってください。修正したりルビ振ったりします。

登場人物

リセタ
冷静沈着で、何事にも動揺しないようなクールな博士。たまにアークと喧嘩してたりするが。
アーク
リセタの同僚。よくエネルギー系の事故に巻き込まれる。
アルテ
新任の博士助手。比較的危険の少ないこのDCOに配属された…はずだったのだが?
マキナ
隣のサイトの研究員兼博士。
パープル
リセタの後輩。

コメント

本文

プロローグ

「『パーテーションのその向こう』の実験要員?全然いいぜ、任せとけ」
「…アークなら職員も必要ないか。あれ、倒れるだけだしな」
「話が違う。ちょっと一回話し合わない?」

リセタとアークがそのDCOに配属された後、どっちがどっちを担当するか決める時の話である。
基本リセタの方が調査書を書くのは上手なので、配属された瞬間から決まっていたようなものなのだが。

「にしても、今回のDCOはかなり優しい部類だな」
「起こりやすさの割にソーなのは納得いかないけど」

まあまあ…とアークがリセタを宥めていると、彼らに話しかける人がいた。
「どうも!『パーテーションのその向こう』に配属されたアルテと言います!リセタ博士とアーク博士ですよね?」

そのアルテと名乗った人物はDCOに初めて配属された博士助手。危険度が少ないこのDCOは、彼のような博士助手を育てるのにうってつけなのだ。
そんなアルテに、彼女らは答えた。

「ああ、よろしく頼む、アルテ博士助手」
「おう。よろしくな、アルテ!」

 *

そんなこんなで初めての実験日である。8月の█日。絶好の実験日和。
実験室に向かう道を、職員と4人で歩いている。

「なんで実験って博士が2人もいるんだろうな」
「簡単だ。独断専行しないようにだろう」
「それはそうなんだけどさ。それで博士が2人一気にダウンしたら結構辛くないか?」

それを聞いてリセタは考え込んだ。
「まあ…1人で動かれて事態がややこしくなった方が被害はひどいから…とかじゃないか?」
「結局独断専行じゃん」

アークは笑った。それにリセタは咳払いで答える。
「ほら、着いたぞ。入ってくれ」

アークが中に入り電気をつける。
実験準備室には、今回の実験で使うカーテン、監視カメラ用のPCしかない。奥に2つドアが見えるだけである。

「リセタ博士、実験記録室ってどっちでしたっけ?」
「右だ。ドアに書いてあるだろう」
確かにドアの文字は小さいが…緊張もあるのだろう。彼の小さい肩はこわばって、歩き方もぎこちない。
それもそうだ、彼にとって今日は初の実験なんだから。

リセタは職員と共に本実験室にカーテンを搬入し、彼女だけ出る。
そのまま監視カメラの映像を眺めた。
あいつらはうまくやっているだろうか。

「一応こっちのカーテンも閉めときますね」
アルテが暗室側のカーテンを閉める。

「なんでだ?ガラス張りでも部屋として認識されるんじゃないか?」
「アーク博士は報告書読んでないんですか?硝子魔法国でこの現象は起きないんですよ」

現象系DCOが発生する可能性は基本低いので、普通は国を基に考えることはないのだが…アークは、その新人の勘─ビギナーズラックとも言う─を信じてみようと思ったのだろう。
「なるほどな。じゃあそれでやってみよう」
彼がそう言うと、上からリセタの声が響く。
『追加実験してもいいんじゃないか?その実験が終わったらそのカーテンを開けた状態でやってみよう』
それを聞いたアークは、監視カメラに向けて承諾の返事を返した。

「では被験者、カーテンを開けてみてくれ」
アークがマイクに向かって言う。実験の始まりだ。

基本的に職員たちには前もってDCOの情報を伝えない。そうすることで彼らは何の抵抗もなく実験に参加してくれる。機関員たちが職員を操るのは簡単だ。なぜなら、職員たちには「釈放」の2文字しか頭にないのだから。
彼も例外ではなく、カーテンを引っ掴むと勢いよく開けた。
刹那、彼はガラスにもたれかかったかと思うとそのまま頭を抱えて頽れた。

程なくして、彼は立ち上がった。

「調子はどうだ?」
アークが問う。
彼はなんともない、と答える。少し食い気味な様子で。

「じゃあもう一個。カーテンを閉めてくれ」
彼がカーテンを閉めるのを確認すると、今度はアルテにカーテンを記録室側のカーテンを開けるように伝えた。

少しの後、アークは再度カーテンを開けるように職員に伝えた。
彼は少し躊躇いがあったようだが、意を決したのかカーテンを開ける。

しかし、何も起こらない。
彼は戸惑った。カーテンとアークを交互に見る。その博士は現在起こったことを書き記しているようで、こちらには見向きもしていなかった。居た堪れなそうにたじろぐ。

幾分か経った後、
「よし、これで実験は終わりだ。もう1人の博士が扉を開けてくれるはずなのでそれを待つように」

職員は胸を撫で下ろした。これでようやく娑婆の空気を吸えるはず…!

リセタはドアを開ける。
「よし、出ていいぞ」
職員はお辞儀をしながら外に出てきた。彼はリセタに問う。
「あの、これからどうすれば…」

それにリセタはまあまあ、と口を開く。
「あまり焦るな。第一、任期は数週間と言ったはずだろう?あんたはまだ来たばっかじゃないか」
その言葉に彼は項垂れた。

リセタははそうだ、と付け加える。
「あんたの実験を見てくれたあの博士、優しそうじゃないか?」
「ええ、まあ…はい」
「誘導尋問じゃないから安心してくれ…あまり大きな声じゃ言えないけど、次のあんたの担当は『フレキシブルなゴムボール』だ。あの博士の管轄だし、何より楽しいとこだぞ」

彼はその言葉で少し希望を見出せたようだ。元気よく頷いた。

…今から死地に赴くことになるとも知らずに。

本編

「リセタ、これ」

リセタがBtDのレポートをまとめていると、 キーボードの上にアークが報告書を投げてきた。
普段のリセタならその横にあったコーヒーが入っているマグカップを犯人にぶん投げる所だったのだが、色恋にうんざりしていたリセタはBtDの報告書を投げ出したかった。そんな中キーボードの上に突如現れた報告書は、まさにアガペーのように感じていた。

が、彼女は神を信じてなんて毛頭ないので、すぐその報告書に目を通す。
後のアークが言ったことだが、その時のリセタは妙に落ち着いていて逆に怖かったらしい。

その報告書とは、『パーテーション』の定期報告だった。稀にだが、倒れた後打ちどころが悪く死亡してしまうような事故が起こる可能性があるらしい。民間では無理だとしても、機関内では事故防止を徹底しないとなとリセタは思った。もっとも、一介の博士にどうこうできる内容じゃないが。

「…トイレ行ってくる」
そう言ってリセタは席を立とうとしたら、アークが軽口を返してきた。
「淑女でしょ~お花摘みとか言っとけよ~」
「はいはい女尊男卑男尊女卑」
「プラマイゼロじゃん」

リセタはコーヒーをぶちまけた。

 *

「これからの実験計画だ。目を通しておくように」
リセタは『パーテーション』プロジェクトのメンバーに書類を配ると、淡々と言った。
彼女は一応何度も確認したが、まだミスはないかと書類に目を通している。そんな中、質問の声が上がった。

「この『部屋の大きさによる当該DCOの変化』はどうやって測るんですか?このサイトの実験室は全て同じ大きさですけど…」
「アテがある。そこに書いてあるように明後日に手配できたから…そうだな、明後日空いている人は?」

手を挙げたのはアークとアルテだけだった。
「…わかった。私と一緒に行ってもらうぞ」

今日は8月の17日。絶好の会議日和。

 *

翌々日、3人は近隣のサイトに訪れていた。
リセタから待つように言われた2人は、サイトの入り口でおとなしく待っていた。2人とも持ち前のコミュ力で気まずくなることもないようだ。リセタが見たら羨望の的だろう。
しばらくするとリセタが戻ってくる。

「入ってくれ」
その声に応えて、彼らはサイトに入った。

「でか…」
「おっきいですねー!」
サイトの研究室に入った彼らは、そろって口にした。目の前にあるのは10x10x10mの立方体。

そんなこんな言っていると、その箱の中から人が出てきた。
「ふふふ…すごいだろうすごいだろう」
箱が大きすぎるのもあって、ドアが非常に小さく見える。したがって、彼女も小さく見える。本当に小さいのかもしれないが。

「自己紹介がまだだったね。私は…まあ、マキナとでも呼んでくれると嬉しいな」
「よろしくお願いします、マキナさん」
アークとマキナは握手を交わす。すると、マキナはその腕をそのまま引っ張った。
「えっ」
「もう職員と区切り板は入れてあるよ!そこの子も、早速実験、ゴー!」

リセタはその様子を傍観することしかできなかった。だがため息をついて、まああの2人なら大丈夫か、と彼女は予め用意された監視カメラのモニターに張り付いた。

「見なよ!暗室側は自動的にシャッターが降りる仕組みになってるんだ」
「おぉ、すげえ」

マキナが自身の作品を紹介しているのを、リセタはカメラ越しに見る。なるほど確かにこれはすごい。仕切り板をこちらから動かすわけでもなく、さらにそれと連動してシャッターまでもが動くとは。

そんなマキナたちの様子を、シャッターの間隙から見る職員は、大変不安そうな顔をしていた。
アルテがそれを見たのか、
「実験、早くしたほうがいいんじゃ…?」
と提案すると、マキナも動いているところを見て欲しいのか二つ返事で承諾した。

「よし!じゃあまずはどういう風に実験する?」
「なら…暗室側の体積が10m3から始めよう」
「了解!」

マキナがパネルに何かを打ち込むと、仕切り板とシャッターが動き出した。職員がそれを見てびっくりしていたものの、壁が遠ざかっていくのを見て安心したようだ。
重い音を立てて動きが止まると、次はアークが指示を出した。

「では被験者、あなたから見て右のカーテンを開けてくれないか」
職員は何の躊躇いもなくそれを開ける。すぐに膝をつき、項垂れた。
「何も変わらない、か…」

今回記録をつけるのはアルテのようだ。様子を見つつ、必死に記録用紙に書き込んでいく。職員が立つタイミングとアルテが書き終えたタイミングが同じだった。
アークはそんな彼の様子を見ると、そのタイミングでマキナに暗室の体積を増やすよう伝えた。
「被験者は左の壁まで移動してくれ」

移動したのを見ると、マキナが仕切り板を動かす。職員はその様子を見ると、すぐに動いている壁から反対方向の壁に縋り付いた。マキナはそんな様子がおかしかったのか、吹き出した。
「これ、押し潰しちゃうくらいまで行くとどんな反応を…」
「マキナさん」アークが咳払いをしつつ止める。
「…わかってるって」

壁が止まると職員も安堵したようだ。

そんな行為を5回ほど繰り返すと、明らかに職員が立ち直る速度が遅くなっていることに気がついた。アルテの筆記が終わってから数十秒経たないと立ち上がらなくなったのだ。アルテの書くスピードがそんなに速くなったわけでは決してない。実際、アルテがストップウォッチを使用して測っているのだが、最初の頃とは40秒ほど差があった。現在の暗室の体積は250m3である。

それから更に3回。
「今からの暗室の体積はどれくらいでしたっけ?」
「500m3。半分だな」
「ありがとうございます!」

ここでアークは職員に喋る。
「これが終わったら一回休憩にしよう」
職員は一瞬目を輝かせ、頷いた。
「…では被験者、カーテンを開けてくれ」

職員がカーテンを開ける。何も起こらない。
アークが椅子の背に凭れる。何も起こらない。
アルテがその様子を書き留める。何も起こらない。

待てど暮らせど状況が変わらないので、アークが実験を終了しようとした、その瞬間。

大きなツメが職員を貫いていた。

血糊は目の前の防弾ガラスにべったりと張り付いて花弁を形成し、ツメが到達してひび割れたガラスは花托のように見えた。
アルテは反射的に他所を向いた。
「…アルテ、外に出とけ」
アークはそのツメから目を離さずに言った。

アルテは黙って立ち上がり、実験記録室のドアを開けようとするものの、ドアは押しても引いてもびくとも動かない。アークはそんな様子を見て、即座に実働部隊を呼んだ。
「こちらアーク、サイト-██研究室、大型実験室内部にて『パーテーションのその向こう』の実験中に閉じ込められた!至急救援願いたい!繰り返す…」

アルテはリセタがなんとかしてくれるだろうと踏んでいたが、ドアがガンガン鳴るのを聞いてそんな甘い考えは捨てた。ドアの向こうにいるのは確実にリセタだろう、実働部隊がこんなにも早く到着するわけがない。
アルテの額に汗が流れる。外からも中からも開けられない、一体どうすれば。

「アルテ、大丈夫だ。すぐに実働部隊が来るし、相手は防弾ガラスを貫通できない。まだガラスに突き刺さってるツメを見ればそんなの一目瞭然だ」
「そ、そうだよ!私の見立てでは…あと20分くらいは耐えそう!」
マキナもアルテを励ます。
10分もあれば実働部隊は来る。アルテは持ち直した。

しかし、アルテはアークの方に向き直ってしまった。それは即ち、ツメの持ち主の方向を視界に収めることになる。
そして、ガラスの向こうでは黒い物体が諸手で胸の無い職員を掴み…おそらく食べているだろう情景を見てしまった。

「ひっ──」

そんな彼の青ざめた顔を見たアークはツメの方に向き直る。驚愕のあまり目玉が落ちそうになる程に目を見開いた。
食べるのか、こいつ、人を──

すぐさまアークは上に報告しようとした。が、通信系統が全てダメになっている。
(こいつのせいか?…明らかに種類も形而上じゃあないし、だとしたら…)

後ろでは嘔吐(えず)くような音が聞こえる。あれだけ凄惨な状況を見てしまったのだから仕方がない。唯一気になる点としてはツメがアルテの方を見ていることである。しかし防弾ガラスは健在だ。
リセタもこの状況を記録しているだろうが、通信がイカれている以上防犯カメラも繋がらない可能性がある。アークは必死に今現在の状況を記録用紙に書き込んでいた。
そうだ、あいつの外見を…と本実験室を覗き込むと、そこには一部が無い肢体と鮮血で(形作)られた花しかなかった。

アークはようやくこの状況が終わったかと安堵した。

ところ変わって記録室の外。リセタは監視カメラの映像を見ながら記録をつけていた。
先程ドアを開けようとしたが、ノブすらびくともしない上にあちらの悲痛な叫びは聞こえるものだからもどかしさでいっぱいになっていたし、自分の無力さを嘆いていた。

その監視カメラの映像というと、これも凄惨なものだった。リセタが音声をシャットアウトした程だ。もっとも、音声を切断したくらいではその情景から溢れる惨さは全く弱ったりはしないし、音声の記録が停止したりもしないのだが。
普段調子者のアークが全く喋らなくなってしまったほどには事態は緊急だ。こちらからも実働部隊の要請を済ませてある。まさか危険性が殆どないDCOで実働部隊を要請する羽目になるとは。

そうやって時間を浪費していると、そのDCO(と呼んで差し支えがないのかはわからないが)はまた新しい行動を見せ始めた。職員の体を食べ始めたのである。彼女は夕ご飯が食べられなくなりそうだとげんなりしながらそれを書き留めた。
この行動によってアルテはカメラの視界からフェードアウト。マキナは部屋の隅に退避。アークはDCOの様子を死に物狂いで記録している。

あいつはいつもそうだった。リセタは心の中で独りごちた。保護員だった頃からずっと、記録を第一に動いていた。リセタが最初から博士助手で入った時、彼は保護員としてこの機関に入ったのだ。今にしてみればすごい進歩である。
それなのにまとめるのは下手なんだよな…とリセタが感傷に浸っていると、DCOは消失していた。

「漸く終わったか…」
リセタは呟いた。アークもDCOがいたところを見上げていないことを確認すると、先程までの緊張は消え去ったようだ。
立ちあがろうとしたその時。画面の中でマキナが何かを叫んでいる。リセタは不審に思い音声をつけた。嘔吐くような声が聞こえる。しかし、そんな中1つの声が場を(つんざ)いた。

『アルテくん!あぶない!!』

マキナが叫んだことにより、己らが未だ窮地に陥ったままだということを理解した。
アークは一瞬状況が飲み込めずマキナの方を向いたが、すぐにその反対方向─アルテの方向に顔を向けた。
すると、“それ”がツメを振り上げているのが見えた。それはかなり大ぶりな予備動作だったが、一旦動き出すと稲妻のように素早かった。

アークはアルテを突き飛ばそうとする。しかし、現実とは無情なものだ。そのツメの速さには保護員上がりの彼でさえ到底敵うことはなかった。

アークは状況を飲み込むことができなかった。目の前の博士助手は腹を貫かれて嘔吐と空気が漏れ出る音と呻き声が合わさったとても名状し難い音を出している。彼の吐瀉物はだんだんと赤くなっていった。
横隔膜すらやられたのだろう。彼は力無くもがいた後、沈黙した。
アークはそれを黙って見ることしかできなかった。彼の脳内がクリアになる頃には、その後輩は既に事切れていた。

“それ”が串刺しの遺体をゆっくりと掲げた。その五体はぶらんと垂れ下がって、まるで柳のよう。“それ”はアークに屈辱を塗りつけるように、まじまじと、貫かれた鳩尾を、吐瀉物と涙に塗れた顔面を、粗相が走った脚を、押しつけるように彼の視界内に入れた。彼の白衣はさまざまな色に着色され、それと同時に彼の尊厳も台無しにしていったが、彼はぎりっと奥歯を噛んで踵を返すとまた記録用紙に書き込んでいった。
元々アルテが書き込んでいたものだ。遺志は俺が継ぐ。アークは未だ心折れず…いや、折れているかもしれないが、そんな状況においてもなお機関員としての責務を全うしようとしていた。
保護、収容、監視、処分、記録。機関の第一理念だ。前のよっつができないのなら、最後のひとつをやるまで。

マキナは部屋の隅で膝に顔を埋めながら周りの風景をシャットダウンしていた。しかし、音から判断するに確実にアルテはやられてしまったのだろう。ここにいても、どうせ死ぬだけだ。どうせなら、何も知らない状態で緩やかに死にたかったものだが。こうやって絶望感を抱きながらいつ来るかもわからないカウントダウンに怯えるのはとてもじゃないが嫌だ。
そう彼女は思う。いっそのこと、あいつを煽って怯える時間を減らそうかとも考えたが、彼女には勇気も気力もなかった。

“それ”はアークに対し煽りが通用しなかったことに苛立ちを覚えたのか、手にあった人間の頭を噛みちぎり、残りを床に叩きつけた。その血飛沫はマキナにまで飛んだものの、彼女は微動だにしない。“それ”は癇癪を起こす。先程叩きつけたものを粉々にし、見るからに地獄絵図に仕立て上げた。しかし、誰も反応をしない─否、反応ができなかった。
その実、アークは“それ”に対し怒りを抱いていた。後輩を殺し、その無惨な姿を自分に見せつけ、(あまつさ)えその体を好きに弄び──あまりにも死者を冒涜しすぎている。その怒りを記録用紙にぶつける。

彼は後輩を弄ぶ(なまぐさ)い音が聞こえなくなったと思い横目で確認する。すると“それ”は口の中に残っていた頭の欠片の味が良かったのか、大口を開けて先程までめちゃくちゃにしていた残骸を飲み込もうとしていた。
やめろ、それだけは。弔えるものも弔えなくなる──
それを叫びたかったが、体が動かない。本能的に、今は動くと死ぬ、とそう体が警鐘を鳴らしている。

その瞬間。
パァン、と火薬の音が耳を劈いた。思わず音の出所に振り返る。マキナが機関制式の拳銃を構えているのが見えた。
「こんな状況になった以上、死んだって構わないけど、でも」
彼女は銃を乱射する。
「後輩の尊厳だけは守ってみせる!」
そんな彼女の心の中は、エゴに塗れた自分に嘲笑していた。それが自殺行為であることも、こんな極限的状況から抜け出したいがためにその行為をしたことも、彼女は理解していた。しかしそれでも、死ぬ時位は花を持ちたいし、何より後輩の尊厳を守りたいのは本音だ。よく知らない相手だが、とても可愛いし今まで頑張ってきたであろうことは容易に想像ができる。
それゆえに。彼女は守りたいと思ったのだ。彼の入れ物(からだ)を。

銃を撃つ。それが改造したものだからなのかは明確ではないが、“それ”はたじろぐ。明らかに当たってはいる。効いているかは定かではないが。
しかしながら、猛きものも遂には滅びぬ。彼女は刹那の内に詰められた“それ”のツメに対応できず、頭を貫かれて即死した。
急所を吹き飛ばされ、確実に即死であろうことが救いだ、と思うのはエゴなのだろうか。

残るはアークしかいない。殺されるのも時間の問題だろう。アークはそう思った。
一旦ペンを置き、“それ”と対峙する。目が合うも、何をしてくることはない。
暫くぼーっとお互いを見つめ合うも、彼は報告書に向き直ろうと椅子を引いた。さっきまで立って書いてたのだ。腰が疲れるのも無理はない。
そこに座ろうとするが、座る寸前で椅子を破壊され後ろに転げた。お陰でアークは床の鮮血によって血塗れになった。“それ”はそんなザマを見て愉快なように見える。なんと意地の悪いことか。彼は徐に立ち上がると、それすらも記録した。

しかし、ペンを動かし始めると“それ”はアークの腕を報告書ごと抉り飛ばした。お陰で報告書は消し飛び、アルテとアークが今まで積み上げてきたものが全てお釈迦になってしまった。
「全員、ダメか…」
わかっていた。アルテが脱落した時点で。俺ら全員は確実にここで終わると、そうアークはわかっていた。だが、報告書だけは、それだけはどうしても失いたくなかった。これは機関員としての宿命か、それとも一人間としての意地、プライドか、果たして。
しかし、不思議と怒りは湧かなかった。その代わりにか、どくどくと腕から血が溢れる。失血性ショックは辛いんだろうな。アークはそう思って目を閉じた。いつか来る終わりに備えて。

 *

イベント(虐殺)終了と同時に実働部隊がドアを蹴破って入ってきた。
彼らは凄惨な状況を見ても外面は動じていなかったが、明らかに動きがぎこちなく見えた。

「リセタ博士…」
リセタがその状況を心ここに在らずといった感じで見ていると、後ろから声がかけられた。
「その…心中お察しします。失礼かもしれませんが、記憶消去をご希望の場合はお申し付けください」
実働部隊の1人だ。かなりな装備を着込んでいるあたり、それなりの階級なのだろう。
「…いや、大丈夫だ。少なくとも、このDCOを完全に保護するまでは」
彼はそのリセタの決意に圧されたのか、はたまたそんなものいらないと言われたのが驚きだったのか、少し目を見開き、そうですか、と言って離れていった。

処理班を待っている間、リセタはその現場に踏み行った。
床は赤にところどころ黄色や白が混ざって乾き切った油彩絵の具のようにこびり付いており、壁には模様だけ見たら綺麗な赤の曲線が散らばっている。匂いなど考えたくもない。

遺体の方はというと、一名を除いて原型がない状態となっていた。骨すら丸めて肉団子にする様はおおよそスズメバチを連想させる。尤も、それを食べることではなく、ただただ遊ぶことのために作るのには醜悪の2文字しか浮かばないが。

リセタは唯一身元確認が取れる人物の近くに行く。ピシャ、と靴が音を立てた。彼の周りはまだ血が乾いていないようだ。
彼女はそのそばに膝をつく。
「アーク、ごめんね…」
彼女は今日、初めて涙を流した。ファンタジー物語なら、その涙で彼女の側にいる死体は息を吹き返すことだろう。しかし、現実にそんな魔法はない。
彼の血に塗れた白衣を、ほんの少しだが涙が上書きしていく。彼女は、彼を掻き抱いた。その先のない腕が、彼女を抱き返すことは、決してない。

処理班が到着するまで、彼女はずうっと、冷たくなってしまった肉塊を抱いていた。

8月の19日。今日は絶交の実験日和だ。

エピローグ

「エスカトス」。それは、神出鬼没で一般の目にいとも容易く触れ、その気になれば国家すら余裕で滅ぼせるほどの異常性を持ったDCOにつけられる区分である。
リセタは、それが『パーテーションのその向こう』にこの区分が付けられたことに罪悪感を覚えた。

彼女は、自分が降格処分すらされないことに不審感を抱いていた。明らかに『パーテーションのその向こう』にエスカトスがついたのは自分の責任だ。自分があんな実験をして血の味を覚えさせなければ。
しかし、そうは言っても詮無いことだ、と彼女は1人納得していた。やるべき仕事があるのだから、そちらを優先させなければならない。

そんな中、リセタは上から無理やり休暇を取らされてしまった。

 *

何もやることがないと、人間鬱になるものである。リセタの場合尚更。
あの事件に巻き込まれた3人の顔が思い出される。それが最後には──

リセタは考えるのをやめた。これ以上自分を追い込んでも無駄だ。
やらかした自分をあまり責めることのないよう、これは自宅謹慎だと自分に言い聞かせた。
あの事件のおかげでアルテは博士に昇格できたのだ。これは凄いことだ。とても不謹慎だが。かなり不謹慎だが。

「はぁ…」

閑話休題。
第一、リセタは多くのDCOたちを抱えているのだ。アークが持ってたDCOだって仮としてだがリセタに引き渡された。これを選別して他の博士たちに引き継ぎ処理を行わなければならない。そんな忙しい時期真っ只中だったのに、上は休暇を取れと言ってくるのもありリセタにとってかなり辛い時期だった。事件もあるし。

また事件に話が繋がってしまった…とリセタはまたため息をついた。ずっと思い出してしまう。
仕事で気を紛らわそうと考えていたのに、休暇だなんてタイミングが悪すぎる。これがあったから休暇とかだったらもう機関内にパーテーション置きまくってやると考えるほど、彼女は追い詰められていた。
サバイバーズギルティーだとわかっていても、なかなかどうして、自分が悪いという考えを捨て去ることができない。

「…まあ、悠久休暇じゃないだけマシか…」

リセタはそう独りごちると、また暫くの睡眠を始めた。

 *

「リセタ博士、大丈夫なんですか?」
濃紫色の髪をした博士─その髪に準えてパープル博士とよく呼ばれる─は、彼女の上司に言った。彼女は昔のリセタの部下であり、リセタをかなり慕っているのだ。
「…どうしてだ?」
「よく言うじゃないですか。「Idle hands are the devil’s workshop(人間、暇だと何をしでかすかわからない)」って。まだ仕事に忙殺されていた方が気が紛れるんじゃ…って思って」
「…あいつは記憶消去を拒んだ。そういう事だ」
上司は無機質に答える。
「そうですか…」

だめだ。今日業務が終わったら、リセタさんに会いに行かないと。彼女はそれを一旦のモチベーションにし、業務を即終わらせる方針で頑張ろうと意気込んだ。

「おいパープル。今日ずいぶんやる気じゃねえか」
先程の上司が話しかけてきた。
「そりゃあそうですよ。今日リセタ博士に会おうと思ってるので」
「…そうかい。それはそれとして、追加タスクをお前にやるよ」
彼はそう言うと、付箋を彼女のPCの真横に貼り付けた。そこには「実験記録-partition-03」と書かれている。下にもパスワードと思しき文字列と、期限が書かれている。
「これは?」
「リセタの尻拭い…もとい、手伝いだ。この映像を元にして実験記録を作成しろ」
そういうと彼は去っていった。
尻拭いって言ったなあいつ。許さねえ。パープルの仕事に対するモチベがさらに上がった。

パープルはささっと今やっていた仕事を終わらせると、早速「実験記録-partition-03」の映像を探し始めた。
「どれどれ…」

フォルダをどんどん下っていく。実験記録…partition……あった、03だ。クリアランスは勿論満たしているので、そのファイルをダブルクリックする。案の定パスワード入力画面が出てくるので、付箋に書かれたものを入力する。
すると再生ボタンが出るのでクリック。そのまま再生された。

……

『見なよ!暗室側は自動的にシャッターが降りる仕組みになってるんだ』
『おぉ、すげえ』

これは…アーク博士と誰かが話している。そしてアルテ博士だ。
生前の姿は久々に見た。

『今からの暗室の体積はどれくらいでしたっけ?』
アルテ博士かわいい~、とパープルはこの後起こることも知らず楽観していた。否、知っていたが現実逃避していた。
アークとアルテがおり、「リセタの尻拭い」と言われるような実験記録だ。あのこと以外あり得ないだろう。
『500m3。半分だな』


……

そろそろだ、と思い、まずはここまでの記録をつけようと思った。すると、パソコンに通知が来る。上司からのメールだ。
〈言うのを忘れていた。これは措置用に物語風で書いてくれ。できる限り怖さを煽れるように頼む。〉
パープルは、またそんな無茶を…DCO機関の博士は起きたことそのままは書けるけど文才はないんですよ…とか思いつつ〈できる限りやってみます〉と返した。

じゃあもう前後ろは適当に書いちゃってもいいだろう。脚色万歳。アーセタ万歳。
ていうか措置でこれ出しちゃってもいいのかな…まあ上司のせいにするとして、言われた通り書こう。彼女は定時になるまでそれを続けた。

 *

結局のところ終わったのは虐殺が始まるまでである。期限は1週間ほどあるので問題はないのだが。
DCO機関はアットホーム(要出典)な職場なので定時で帰ってもよい。その分明日頑張ればいい。リセタに会えるのだからモチベも回復するだろう。このままリセタが家で缶詰だとパープルの方が先に首を括ってしまう。

そんなこんなでリセタ宅──ただの寮なのだが──に到着した。インターホンを押す。
するとすぐに彼女は出てきた。かなり精神逝ってそうな表情だ。
「アミちゃん。久しぶりだな」
パープルという名前は便宜上博士として呼びやすいだけである。
「も~寂しかったですよ。しかもリセタさんの仕事めっちゃ回ってきたんですからね。ほとんど片しておきましたけど」
「…ごめん。ほんとにありがとう」
「リセタさんは悪くないよ~」

そのまま家に上がるように言われ、パープル…もとい、アミはリセタの家に入った。
リビングまで案内されると机を囲んで彼女たちは床に座った。

「それで、何の仕事が回ってきたんだ?」
「うーん…『エウレカ』とか、『ビヨンド・ザ・ディメンション』とかの管理が簡単なものばかりでしたよ。あーでも…」
そこで途切れさせたアミにリセタは怪訝な表情を浮かべた。
「でも?」
「『パーテーションのその向こう』の実験記録のまとめを書かされてて…」
それにリセタは沈黙で応答した。
アミは内心、いっけな~い墓穴墓穴☆と現実逃避をしかけていたが、すぐ話の腰を戻した。
「大丈夫ですよ。誰もリセタさんがわるいとは思ってないので。予測不可能だからDCOって言われるんですよ」
「理性では分かっていても。でも、本能じゃあ理解できないんだ…」

俯いたリセタにアミは擦り寄る。
「…もう。リセタさんは真面目すぎなんですよ。もっと感情を表に出してもいいんですよ?」
「…」
「ほら。ここにかわいいかわいい後輩がいるじゃないですか。もっと頼ってください、リセタさん。このままじゃああなたが潰れちゃいますよ」
「…じゃあ、今からすることは忘れて」

何をするんですか?というアミの問いは口から出ることはなかった。彼女はリセタに押し倒されたのである。いや~ん襲われる~と内心少し、ほんの少し期待していた彼女だったが、すぐにその思考は撤回されることになる。

「…生きてる…」

そんなリセタの悲痛な言葉に、彼女も涙を禁じ得なかった。
「私もリセタさんと同じ、後方支援的なポジションなので。困ったらいつでも言ってください。私が老衰以外で死ぬことなんて有り得ませんよ」
アミがそう言うと、リセタはアミをぎゅうと更に強く抱きしめた。
そんなリセタの背を、アミは優しく摩った。

 *

「よっしゃあ働くぞ~!」
パープルはデスクに着くや否やそう叫んだ。
周りはついにパープルが壊れた…と小声で話していたが、そんな声すらも気にしない。
だって、昨日のおかげでモチベが爆上がりしたのだから。



そうやってパープル──私は、この物語を書き連ねました。
これにてこの物語は終わりです。この文章は機関員にしか公開されませんが、それでも読んでくれて本当にありがとうございました。
──パープル博士

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