T-60

Last-modified: 2017-02-25 (土) 00:27:25

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Tier 2 ソビエト連邦 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP150
車体装甲厚(mm)35/15/25
最高速度(km/h)45
重量/最大積載量(t)6.07/6.3
本体価格(シルバー)3,300
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
T-70
(1,150/39,300)
T-60
(130/3,300)
60
(310/3,500)
T-60 M1942
(315/5,370)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
T-60GAZ 20212.7 mm DShKT-60T-4015071-TK-3
70AP2281,000178.95
1.70
0.56
5215/15/1537280300
60GAZ 20220 mm TNShT-60 enhancedT-6017071-TK-3
70AP
APCR
28
39
12
12

G
113.21
1.70
0.53
5525/25/2538300300
T-60 M1942GAZ 20237 mm ZiS-19T-60 enhancedT-6017071-TK-3
70AP
APCR
HE
58
92
19
40
40
50

G
113.21
1.70
0.52
5525/25/2538300300

解説

  • 概要
    WolfPackで追加されたTier2のソ連軽戦車。
    偵察用に開発された車両に、さらなる攻撃力を狙った軽戦車である。
     
  • 火力
    装弾数の多い(1弾倉50発)12.7mmDShK重機関銃を初期搭載。その他に2種類の機関砲が開発できるが、性能は今ひとつ。
    最終パッケージを開発することで、精度と貫通力に優れた強力な37mmZiS-19が搭載できる為、こちらをお勧めしたい。
     
  • 装甲
    車体正面装甲は73度の強烈な傾斜を持ち、優れた防御力を発揮する……と言いたいが、傾斜部分はたったの13mmしかないので、角度を加味しても41mm程度の防御力しかない。
    しかし73度の入射角は強制跳弾角度の70度より大きく、2度の標準化を踏まえてもフランスの25mm砲までなら問答無用で無効化できる計算になる。だが少しでも撃ち下ろされると入射角が70度を割り、普通に貫通されてしまうことも。
    また、37mm砲などに撃たれると標準化の関係で31mm程度しか防御力が無くなってしまう。
    あまり過信はせず、遠目からの機関砲限定で強固な装甲、とでも思っておこう。
    ちなみにスペックの35mm装甲は車体下部面や操縦手視察口のある面部分だけである。
    車体側面は垂直15mm装甲であるため機関砲すら貫通する。持ち前の旋回性を生かして側面を晒さない立ち回りを心掛けたい。
     
  • 機動性
    速力は平均的だが優れた旋回性能を持ち、軽快な立ち回りが可能である。
    しかしエンジンのトルク不足のため加速は今ひとつであり、いわゆる走り偵察にはあまり向かない。
    ちょっとした登り坂でも大幅に減速するため、起伏の大きい地形では注意が必要だ。
    背の低い車体に小さな砲塔がオフセットで配置されており、隠蔽率は優秀。 
    視界範囲は改良砲塔で300mとBT-2よりは優れているが、偵察車両としては平均的だ。
     
  • 総論
    同Tierのソ連戦車と比べると、機動力ではBT-2に、砲性能ではT-26に劣る。
    偵察車両としても攻撃車両としても中途半端な性格は否めない。
    加えて俯角の少なさによる地形適応力の不足と、やや鈍い砲塔旋回性という弱点を持つ。
    しかし上記の点に注意し、隠蔽率の高さや小回りの効く機動性、機関砲を弾く正面装甲を活かせば、本車両ならではの強さを発揮できるだろう。
    前線での待ち伏せや主戦場での裏取りなど、一撃離脱を心がけたゲリラ的な機動戦でこそ輝く戦車である。
    素直なレスポンスを活用し、臨機応変に活躍してもらいたい。

史実

T-60軽戦車

本車は、ソ連の偵察用戦車で、水陸両用偵察戦車のT-40の改良型として水陸両用機能を無くし、事実上まったく別の戦車となっています。
T-60はアストロフ技師が中心となり、T-40をベースとした陸戦型T-40S(Sは陸地の意味)の試作を、1940年から開発チームを結成して進めています。
武装を37mm砲に強化する筈でしたが、生産が間に合わず20mm機関砲SchVAKを搭載したため、T-40の劣化版になってしまいました。
下部転輪は初期にはスポーク式で、中期生産車ではディスク式になり、後期にはゴム節約のためリム式鋼製になった経緯があります。
オーソドックスな軽戦車にまとめられているソ連戦車には珍しく、左右非対称な形状をしていて、砲塔を左側に、エンジンを右側に配するレイアウトになっています。
車体正面装甲に強い傾斜角が与えられていて、ドイツ戦車のように中央に独立した操縦室を持っているのが特徴となっています。
T-40より水陸両用機構をなくしたため軽くなったものの、偵察用戦車なのに同行するT-34中戦車より機動性が無いという欠点が露呈してしまいます、また、トーションバー・サスペンションのT-40のシャーシを元にしてはいるものの、履帯の狭さと低さから、沼地や雪原に弱かったこともあってT-70を開発するきっかけとなりました、後に車体は、ZiS-3師団砲を砲塔を取り去った後に、戦闘室を設けて搭載したOSU-76の改造ベースにされています、これがT-70の開発でSU-76を開発する基礎となりました。
戦闘重量6t、エンジンは液冷で出力70馬力、路上最大速度は44km/hを発揮。
最大装甲厚は20mmでしたが、後期生産の42年型は車体前面と砲塔に増加装甲が施され、なかなかの重装甲となっています。 
T-60には当初から1万輌という1941年7月よりモスクワのザボド37工場に大量生産の命令が出されましたが、モスクワ前面にドイツ軍が迫る危急の時であり、疎開により遅れつつもゴーリキー市のGAZ、キーロフ市のザボド38工場、ボドルスク市のボドルスキー機械工場が加わり、4つの工場で順に量産に入り、1941年11月から1942年までに6,924両が生産されました、この生産量はT-40よりはるかに多く、2年間で222両しか完成しなかったT-40とは対照的な、驚くほどの生産力を示しています。
1941年の12月15日にモスクワでソ連軍の反撃が始まった頃、それまでに損耗していたT-34やKV-1の穴埋めとして、戦車不足を補うために1944年まで実戦投入されていましたが、ドイツ戦車にかなうはずもなく、十分な活躍ができませんでした。
しかし、疎開中の工場でT-34やKVといった強力な戦車が大量生産され数を揃えるまで、これら軽戦車は時間稼ぎの戦いを止めるわけにはいかず、レンドリースで送られてきたイギリス製戦車と共に、翌年のドイツ軍の夏季攻勢でも投入され続けたそうです。
T-60の欠点は乗員が二人しかいないため、車長の仕事が多くなり、射撃がスムーズに行えなかったのが原因であるといわれています。 そのためか、「二人兄弟の墓」というあだ名まで付けられていました。

味方からもその価値を疑われたT-60は、これを捕獲・調査したドイツ軍の報告でも「華奢で戦力価値なし」、「捕獲しても使い道が限られる」とされ、武装や砲塔を撤去して、大砲を牽引する装甲トラクターとして用いられました。

しかし中には、この戦車でソ連邦英雄の称号を得た者もいました。
1943年1月、第5号パショーロクの戦いで、第502重戦車大隊所属のVI号戦車ティーガー3輌を発見した戦車長ディミトリー・オサーチュク中尉と操縦士のイヴァン・マカレンコフ曹長は、これらを挑発しておびき出し、隠れていた味方の野砲陣地に近づき横腹を向けさせ、2輌を撃破させるのに成功しています。

また1942年のドイツ軍夏期攻勢(ブラウ作戦)では、T-60が車体の小ささを生かし、背の高い草の原を抜けて密かにドイツ軍歩兵に接近、奇襲をかけ大きな損害を与えたことが記録されています。

本車をベースにカチューシャ・ロケットランチャーを搭載した自走砲型・BM-8-24が量産されますが、対空自走砲や、グライダー付き空挺戦車(アントノフ A-40)なども試作されました。

~人兄弟の墓というありがたくない揶揄は、アメリカからのレンドリース車両M3リー中戦車やイギリスから送られたグラントにも使われていて、こちらは7人兄弟の墓と呼ばれていました。

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