中谷将大(元阪神→ソフトバンク)の成長が感じられない阪神ファンの嘆き。
概要
入団~2015年
福岡工大城東高時代、強打の捕手として評判だった中谷は2010年ドラフトで阪神タイガースに3位指名され入団*1し「ポスト城島」を期待される。
ルーキーイヤーには二軍でまずまずの成績を残すが捕手としては出番がなく、オフに捕手登録のまま外野手転向。翌年入団の伊藤隼太共々金本・新井らの後釜たる和製大砲候補として期待されるも、2015年までは二軍でもスラガガーと化し、一時期は「和製メンチ」などと言われるありさまで一軍での出番はほとんどなかった。
2016年~2017年
金本監督1年目の2016年は64試合の出場で4本塁打・14打点・打率.266という成績を残し、髙山俊らと共に「超変革」の象徴となった。
2017年には公式戦の開幕を初めて一軍で迎え、一塁手や外野手として4月中旬からスタメンに定着。4番にも起用され、7月には一軍公式戦2桁本塁打を達成。自己最多の133試合に出場して規定打席に到達し、打率.241・20本塁打・61打点・99安打・OPS.751という成績を叩き出し、飛躍のシーズンとなった。
2017年終盤以降
しかし2017年終盤から打撃不振に陥ってしまい、翌2018年は右打ち教の影響を特に受けてさらに悪化。
以降も打撃不振から脱却出来ず、矢野政権では外野守備力の高さから守備の人と化してしまう*2。
2021年は二軍でも不振に陥り、完全に一軍での出場機会を失い、7月に二保旭とのトレードでソフトバンクに移籍。しかし2022年オフに戦力外となり、現役を引退した。
以上の点を踏まえ、ブレークした2017年の終盤以降、不振から立ち直れず阪神ファンをガッカリさせてしまう事が多かったことにより、この嘆きが言われるようになったとされている。
前例「中谷育たんかった」
奇しくも中谷将大から遡ること13年前、阪神には同じ苗字の中谷仁(なかたに・じん)*3が1997年ドラフト1位指名で入団*4した。こちらも捕手で守備に定評がある傍ら現役時代は一貫して非常な打撃難であり二軍でも打率2割を超えない有り様だった上に怪我に悩まされる*5等の面から最後まで目立った活躍をすることなく選手生活を終えており、見事なまでに「中谷育たんかった」という前例を作ってしまっている。
反面スコア的には目立った活躍こそなかったものの、97年の入団から阪神、楽天、巨人*6と3球団を渡り歩いた現役生活は15年*7を数えるなど細く長い現役生活*8を歩んだほか、原辰徳の推薦でWBC日本代表に選ばれブルペン捕手を務める、母親*9や後輩投手を労わる*10など人格的には優れた面もあることから、全く評価されていない選手という烙印は押し難く、その点を原は「中谷がスコアブックに残らない面で残していったものを我々は受け継いでいかねばならない」と評している。
そして中谷仁は現役引退後学生野球資格回復が認定され、2017年から母校智辯学園和歌山高校野球部のコーチに就任、翌2018年の第100回全国高校野球選手権大会終了後に監督に就任し、2021年の第103回全国高校野球選手権大会で智辯学園和歌山高校が21年ぶりの優勝を成し遂げ、こちらのほうは「中谷育てた」となったのである。
余談「なかたにそだたん」と「なかたにいくたん」
ソーシャルゲーム『アイドルマスターミリオンライブ!』には「中谷育(なかたにいく)」というキャラクターが登場するが、上記の中谷将大が思うように成績を残せていないという内容のスポーツ記事において、「中谷育たん…」(なかたにそだたん)という見出しがつけられた際、「なかたにいくたん」*11と読めるとしてその方面のファンの中で話題になったことがある。更に当ゲーム中*12でもアイドルのスキルレベルを最高まで上げる際には運が絡む為、こちらもゲーム中で「中谷育たん…」という呟きが生じることもあるなど、さらにネタ度が上がった。