伍話

Last-modified: 2007-09-21 (金) 13:28:10

 任務が終われば、後は帰るだけである。パーティーの一夜を、どこか寂寥感を含んだ気持ちながらも楽しんだ一行は、一晩を城で過ごし、翌日にニューカッスルからの疎開民に混じってアルビオンを脱出するという運びとなった。
 危険は付いて回ったものの、終わってしまえばあっさりとしたものである。ついぞ大暴れしていたのは源之助だけであった。彼の無言の迫力に押され、道中誰も手を出そうとすら思わなかっただけの話だが。
 納得できぬのはルイズである。使い魔一人の活躍で任務が成功しました等と、彼女からすれば間抜けな話と言えよう。それも、フーケの頃より続いて二度目なのだ。
 自身の力の無さが憎かった。宛がわれた寝室のベッドに身を横たえる彼女は、悔し涙でその枕を濡らした。
 その時、いっぱいいっぱいになっていた為か、源之助に伝えるべき事を彼女は忘れていたのだが、それはまた後ほど明らかになる話。
 年頃の娘である。多感ゆえに感情を露にする事も多かろう。
 同室の隅では、極力押し殺した嗚咽を耳にせぬ様、ルイズには背を向けてベッドの上、瞑目しながら正座する源之助の姿が。
 主である彼女が涙する原因が彼には分からぬが、それを見てみぬ振りする情けが、源之助にもあった。

「すぅ……」

 主より先に眠る事は、源之助にとって許されぬ行為である。殊更ルイズから何を言われている訳でもないが、彼としては当然の事だった。
 ルイズの寝息を確認し、慣れぬベッドに四苦八苦しながら潜り込もうとした源之助の耳に、不意にノックの音が飛び込んだ。
 夜分遅くに一体何奴? 枕元に置かれた大小を手に取りつつ、扉の前に立った彼の前に現れたのは、傷付いた鼻が異様な迫力をもたらしている、ワルドであった。

「ルイズの使い魔君。少し、いいかな?」
「?」

 婚約者であるルイズにならばともかく、一体この自分に何の用があると言うのだ?
 身分と立場により、彼の言葉に従わざるを得ないのが源之助だ。先行する彼の後を追い、辿り着いた先は、密集した貴族派の兵が一望出来る、城のバルコニーであった。

「ルイズの使い魔である君には伝えておかねばと思ってね」

 振り返り様、ウェールズの部屋で見せていた重苦しい雰囲気を一転させ、にこやかな表情を見せるワルドは、そう言って無表情で立ち尽くす源之助を見据えた。
 このワルドの奇妙な態度には、源之助も不審に思った。あれだけ負の気を撒き散らしていた男が一体どういう心変わりであろうか?

「実は明日、ルイズと僕の結婚式があるんだよ」
「!?」

 寝耳に水である。源之助はルイズから、そんな話を一切聞かされていなかった。
 さしもの源之助の無表情も、驚きによって崩れざるを得ない。見開いた彼の目を見、ワルドは並びのいい歯をむき出しにして笑った。
 笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙を剥く行為が原点である。ワルドの笑顔の裏にある真意はまさに攻撃的であったと言えよう。
 謀略であった。虚無と言う力を秘めたルイズを我が物にせんとする、ワルドの謀なのだ。ウェールズに事前に話を仕込み、結婚式の段取りを取り、更には源之助と言うある種圧倒的存在を自身の中でもてあまし、やや弱ったルイズの心に付け入ったのだ。
 顔に傷を付けられると言ったハプニングがあったものの、裏で随分と念を入れてルイズを口説き倒した彼の勝利と言えたのかもしれない。固まる源之助の姿を見る事で、ワルドは失った何かが少し取り戻っていくのを感じた。
 追い討ちとばかりにワルドは口を開く。
「帰りはグリフォンで帰るのだが、君まで乗せるには少し苦しいかもしれなくてね」
「…………」
「式の出席は諦めてくれないか? イーグル号からせめて彼女の級友と祝ってくれたまえ。風竜を連れていた子がいるが、何も危険な地に長居する事もあるまい? ともかく、君とは今日でさよならだな」

 源之助は、無言のまま頷くしかなかった。
 その無表情から、鼻血が一筋。
 主の結婚とはめでたき事の筈。だが、何故か今の源之助の手には、いつしか師、虎眼に握らされた焼け火箸の温度が蘇っていた。
 悠々と手を振って去ろうとするワルドの背後に、源之助は小さく低い声をかけた。

「ワルド殿、ルイズ殿をお頼み申す」
「…………ふっ」

 その言葉に、涼やかな笑みをもって振り返り、源之助に答える。

「ゲンノスケ」
「?」

 初めて名前で呼ばれた事を奇妙に思う源之助。続けざま、手をすっと横に振り、芝居がかった仕草を見せてワルドは続けた。

「若旦那様と呼べ」