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Last-modified: 2009-07-25 (土) 01:07:03

第三十二景 地獄極楽

岩本家に到着した

 

藤木源之助

 

小刀に添えられた右手は
屋内戦への備え

 

血の臭いのする方向へ急ぐ

 
 

この光景に出くわしても
源之助の鼓動は乱れなかった

 

虎の中の虎である

 
 

血まみれの三重の脈を計り
外傷のないことを確認すると
縁側に伏した師を発見

 
 

「先生・・・」

 

「藤木・・・
 おかえりなさいませ」

 
 

気道に詰まった血泡を
吸い出さんとする虎子

 

報せを受けて駆けつけた役人
大沼官兵衛の見たものは
遊女のごとき深紅の着物で
血海の中に座する娘と

 

屍の血をするる若党

 
 

岩本家は閉門となった

 

目撃者として岩本虎眼の乱心と
伊良子清玄の正当防衛を役人に証言した
濃尾道場の金岡雲竜斎は

 

この後 江戸に大道場を開いていたが
その資金の出所は定かではない

 
 

駿河大納言 徳川忠長
「掛川の虎を仕留めた当道者とは汝か」

 

賎機検校
「清玄、名乗るがよい」

 

「賎機家用人
 伊良子清玄と申しまする」

 

「見たいな、汝の剣技」

 

駿河藩士 卯月修三郎は
新婚十九日目の妻 小夏が
藩主忠長に夜伽を命じられたことを不服とし
藩外への逐電を試みたものの捕縛
忠長の閨房に奉仕した娘の中には
五体満足で帰れぬ者が多数いたため
やむにやまれぬ行動であったろう

 

「斬れ」

 

忠長がそうつぶやくと
卯月修三郎の縄が解かれ
大小が与えられた

 

「卯月
 目の前の侍と立ち合え
 勝てば小夏にお咎めはない」

 

「立ち合いまする」

 

「おぬし
 盲目だな・・・」

 

盲目の侍にも自分同様の理不尽な事情があるに相違ない
卯月修三郎はそう察した
それにどう見ても
戦闘する姿勢ではないのだ

 

(不憫なれど妻のため・・・)

 

(許・・・)

 
 

「あなた!!」

 

紅い花が咲いた時
忠長の鼻腔が開いた

 

「お目を汚すばかりの」

 

「何流か」

 

「無明逆流れ」