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Last-modified: 2009-09-13 (日) 17:30:18

第五十九景 幻影肢

失うことから 全ては始まる。

「流刑小屋だな まるで」
「惨めなものよ 三百石の武家屋敷に暮らせし者が」
「己なら腹を切る… 恥を晒して生きのびるなど武士に非ず」
「堕ち果てし也… 濃尾無双!」

掛川領 粟本村

駿河藩の命により自死を厳禁された岩本家の事情を知らぬ領内の士は
生きのびた源之助を軽蔑し 誰一人援助の手を差し伸べなかったため
手負いの虎と乙女は法外な家賃を払いとある農家の納屋を住まいとしていた

刀を研ぐかのように三重は源之助の肉体を磨いていた
"来るべき日"のために

「斬ってくださいまし」

「ナマンダブ ナマンダブ」

「う う う」

かつて秘太刀を開眼した廃堂に入るなり 源之助は呻き声を漏らした
左腕の痛みに耐えかねたのだ 痛むのは切断された部位ではない
その先にある肘であり 手首であり 指先なのだ
存在しない部位が痛む 狂おしいまでのもどかしさ
首無し菩薩に祈るように 秘奥義の"掴み"を行うと
なまめかしく感じるのだ 存在しない手が蓋をしているのを
これは幻影肢と呼ばれる症状である

 ぎぃぃぃ

家老の子息 孕石雪千代である
「三重どのは風邪など召されておらぬか? 顔色が優れぬな源之助
つーかあり得ぬだろ 俺の親父が腹を切ったのに 何故 お主が生きておる?
お主が当道者に敗れた所為でござるぞ」

カシュ

「お許しくださいまし」
「面上げい」
「俺はどうしてもお主が許せん…」

「やっぱ半端ねえな藤木源之助」

親父…

雪千代の流した血溜まりの中に 失った左腕が鮮やかに存在した

源之助が事実をありのまま 孕石家に報せたところ
雪千代の死は"病死"と藩庁へ伝えられた
家老の子息が生き恥を晒す臆病者に敗れるは武門の恥