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Last-modified: 2008-05-07 (水) 21:25:55

第六景 鎌鼬

掛川領 小夜の中山峠 卯の刻

 

小夜は"さえぎる"という意味の「塞」であり
中山は「境界」を示す言葉である

 
 

沓掛からの登り坂の途中にある丸石は悪霊をさえぎり
旅人を守護(まも)る塞の神であったが
ある時 このあたりでお石という妊婦が菊川の里へ働きに
行っての帰り にわかに腹が痛み出し苦しんでいたところ
通りがかりの侍がこれを見つけ介抱していていたが
その時一陣の風と共に鎌鼬と呼ばれる悪霊がこの侍に乗り移り
それ以来丸石は女の声で夜な夜なうめくようになったのである
――石言異響異聞(いしげんいきょういぶん)

 
 

藤木源之助と伊良子清玄が夜泣石に黙とうを捧げているのは
妊婦の霊を供養するためではない

 
 

ぬふぅ

 

舟木道場の兵馬数馬は
その日も同時に達した

 

相手を務めた男娼の身体には
いくつもの痣が残り
骨を折られた者もいる

 

誰がそれをとがめられるだろう
この双子こそ宙空の兜を両断するほどの
業前を持つ日坂最強の剣士なのだ

 

「兄者 そろそろ嫁を貰って親父殿を安堵させてやってはいかがかな」
「己とおまえ二人の相手をする嫁だ」
「ワハハハ」
「ワハハ」

 

酒と色におぼれた後は汚れを落とす意味で日坂宿にほど近い
日乃坂神社に参拝してから帰宅するのが常であった

 

「ヤ」
「ム」
「何奴! 舟木道場の数馬兵馬と知った上でか」
「立ち会いたくばあらかじめ時と場所を
 告げておくのが武士(もののふ)の作法(ならい)」
「我ら武士にあらず」
「中山峠の鎌鼬なり」

 

舟木兄弟の刀は波遊兼光(なみおよぎかねみつ)と呼ばれる
大業物(おおわざもの)である

 

背中合わせの上段に構えた双子の姿は
まさしく一心同体
二刀を携えた金剛力士のようである

 

「兜割り   藤木…」

 

己の方が速い 己の方が……

 

相討ちでは困るのだ 相討ちでは……

 
 

ふり上げた刀を勢いよく下ろすだけの双子の剣法だが
その間合いに入ることは死を意味していた

「早よ来い 陽が昇ろうぞ」
「臆したか鎌鼬 いや 虎眼流」
「掛川の藤木か」

 

『虎眼流が刀をかついだら用心せい』
兵馬は父一伝斎の言葉を思い浮かべた

 

何が出来るというのだその間合いから
遠い! 遠すぎる

 

「兄者」
「遠い かすりもせぬわ かすりも…」

 

虎眼流に「流れ」と呼ばれる特殊な"握り"がある!
遠間から放たれた横なぎの一閃の最中(さなか)
源之助の右手は鍔元の縁から柄尻の頭まで
横滑りしていたのである
切先は予想以上に伸びていた
精妙なる握力の調節が出来なければ
刀はあらぬ方向へ飛んで行ったろう
「流れ」は虎眼流中目録以上の秘伝であり
道場稽古で使用することは禁じられている

 

兄 兵馬が討たれた時
弟 数馬にも異変が生じた

 
 

虎眼流は最小の斬撃で斃(たお)す
三寸切り込めば人は死ぬのだ

 

「伊良子」
「ゆすげ」

 

「藤木 伊良子 両名とも仕遂げましてございまする」
「い いくぅ」