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Last-modified: 2010-05-27 (木) 01:14:24

第七十六景 独眼竜 どくがんりゅう

戦国生き残りの老将 独眼竜 伊達政宗
その右目は 折木が刺さり 飛び出したため 食したとうそぶき
壮年を過ぎてもその怪物性は いささかも衰えを見せない

 

政宗の江戸屋敷に大御所秀忠を招待した折
酒井忠世
「上様はそなたの所有する名刀「鎬藤四郎吉光」を所望しておられる」
前日 秀忠の側近がそう伝えた このような仕来たりがあったのである
鎬藤四郎吉光は関白秀吉の遺品であり 将軍家に献上する宝物としてふさわしい品である
「上様に献上つかまつる品は家臣たるこの政宗が決定いたす
 それを上様の方から童子のごとくねだるとは 将軍家の威信に関わり申そう」
これなどは目玉を食すよりも豪放な逸話であろう

 

「大納言秘記」によれば真剣御前試合の一年前 半ば隠居して仙台黄門となった伊達政宗が
京へ参る途中駿府を訪れ 徳川忠長と謁見したと記されてある
両者は公式の対面の後 本丸の西北隅にある蘇鉄の間において 密なる面会をした

 

仙台中納言 伊達政宗
駿河大納言 徳川忠長
「伊達の親父様 ますますご壮健になられたような…」
「大納言殿も立派になられましたな」
「秋葉山の猿どもが 今日は水を打ったように静まりかえっておりまする
 独眼竜のひとにらみがよほど恐ろしいと見ゆる」
「いや 驚き申した 大納言殿のご尊顔 信長公に似てこられた」
信長は忠長の大伯父にあたる

 

「時に親父様 駿府には主家を失った牢人たちがあふれ返り 毎日のように禄を求めて当家に売り込みに参る次第」
「ほう」
政宗は初耳という顔をした
世情をにぎわす牢人問題について知らぬ筈はないが うかつな発言は控えねばならない
元和以降 徳川幕府の為に懲戒廃絶または減封を受けし大名家 十七家三百四十万石
それによって生じた牢人者は二十二万余に及ぶ
それらについて言及することは 公儀への異心を唱えることになりかねないのだ
「仕官を求める輩あまりに多く面接も間に合わぬゆえ しかるべき日 彼らの武芸を見極め腕の確かなる者を召し抱えようかと」
「上覧試合にござるか いや名案じゃ」
「真剣を用いまする
 そこで親父様に折り入ってお願いがござる
 武名高き伊達の御家中の方にも出場して頂き 手本となる働きを見せてもらいたい」

 

ドクン ドクン
独眼竜政宗の胸が高鳴った
駿河大納言ほどの身分の者が膝突き合わせて語る以上 たかが上覧試合のごとき矮小な話ではないのだ
ドクン ドクン
“しかるべき日”とは大御所(秀忠)様崩御の日…
“真剣御前試合”とは駿府が決起し御当代(家光)を傾け奉らんとの意
その折仙台六十二万石の挙兵を連判できるかと問うておる!

 

政宗の目に 忠長の顔がいよいよ魔王信長と重なってきた

 

戦国時代 自己の野望の悉くを秀吉 家康に封じられてきた その夢は埋み火のごとく政宗の胸中にくすぶっている

 

「いかが」
「大納言殿 先日江戸から仙台に“蟇肌”なる竹刀が贈られて参った」
「ほう」
「忠宗(政宗の世嗣)のところではもっぱらこれで稽古しておりまする
 “真剣”の扱いを覚えたる者は 一名たりともおりますまい」
「ご謙遜を」
「ただし
 この政宗のみ 一浪士として馳せ参じまするぞ
 老いたりとはいえこの腕…」
ズンッ

 

木剣であった
これが現在の政宗であることを 明確に示したのだ

 
 

ズズ… ズズズ
ドサァ

 

仙台中納言との謁見の日 三名の近侍が手討ちになったと記録にある
さらにこの同じ月 島津家 黒田家より 真剣試合に不参加との返事が届いた

 

五位鷺士津馬
「前田中納言殿も驚き入ったる腰抜け 毛利少将殿も将軍に対する畏怖が心魂に徹しておるやに見えました」
江戸に送り込まれた密使の報告を聞くと 驕児の双眸は尋常ならざる凄味を帯びた

 

このままでは天下大乱など起こらずとも命の弦が危うい
三枝伊豆守信綱
血を欲する殿のお心をお鎮め申し上げるため 血の宴を催さねばならぬ…

 

家中の者でかねてより遺恨のため果たし合いを願い出ていた者 隠密の疑いで誅殺しようと考えていた者などを
一括して上覧試合の対戦者を選び出した
御前試合に出場する二十余名の剣士たちは 魔王の激情を鎮めるための 生贄である