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Last-modified: 2007-03-30 (金) 10:38:15

第十二景 瞬 ―またたき―

      にく   は
清玄の背肉は爆ぜ
真珠のような白い
胸椎をのぞかせている

 

「うぅう」

 

正気か この深手で立ち合いなど
やれるものか

 

よ 寄るな

 

「やめにいたすか 秘奥の伝授
 やめにいたすか 清玄」

 

やめ…

 

「牛股どのとの立ち合いにて木剣を止め
 不覚を負うたは清玄の未熟
 先生の御具足姿を見て なぜ気付かなんだか
 戦場と心得て事に臨むべきでございました」
「やめにいたすのだな」
「先生…
 この日のため 清玄は精進して参りました」
「何のこれしきの」

 

虎眼流の秘伝を貰い受けることは
己がのし上がるためになくてはならぬもの
三重を貰い屋敷を貰い
藩士となっての城勤め
虎眼流をしゃぶり尽くした上で 
そいつを踏み台にして…
天下の伊良子清玄となる!

 
 

野心である
野心がモルヒネのように
激痛を麻痺させているのだ

 
 

「藤木  あれ以来だな」

 
 

二年前 伊良子清玄の指搦みによって
藤木源之助は敗れた

 

それ以来両名は剣を交えていない

 

させなかったのは師範牛股である
やれば稽古ですまない
藤木とはそういう男である

 
 

木剣であっても太刀をぶつけ合わないのが虎眼流
真剣はたやすく折れるという理由による

 

互角に見えた双竜の攻防であったが
この時点で一方が優勢となっている

 

源之助の額の出血はまもなく目に到達する
その隙を逃す清玄ではない

 
 

藤木… 己さえいなければ 三重くらいは貰えたろうに
あとは待つのみ お前の両の目がふさがる時間を

 
 

しかしこの時 清玄が注視すべき部位は
源之助の顔ではなかった

 

清玄の注意が顔面に集中している隙に
源之助は木剣の握りを変化させていた

 

猫科動物が爪を立てるが如き異様な掴み

 

源之助の脳裏に蘇るものは
この新手を生み落とした日の屈辱か

 
 

藤木…
お前は這え

 

俺は跳ぶ

 
 

顎先をかすめただけの藤木の木剣は
それ故に清玄の脳を充分に震盪せしめた

 

清玄の天才をもってしても
避けきれぬ神速を生み出したものは
奇しくもかつて自分がへし折った二本の指である