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Last-modified: 2007-04-06 (金) 11:31:46

第三十八景 敵討 ―あだうち―

 

「若先生 若先生
 ご武運を ご武運を」

 

決戦の日 岩本家を出た源之助を
戻って来た門弟たちが出迎えた

 

三重のみがこれに笑顔で答えた

 
 

仇討場の一町手前より
人垣が出来ていた

 

「源之助!」
そう叫んだのは兄であったが
一瞥どころか眉ひとつ動かさず
弟は素通りした

 

藤木源之助は士の家に
生まれたる者
貧農の三男である
源之助はとうの昔に
縊れ死んでいるのだ

 
 

「藤木源之助が参りました
 岩本三重 牛股権左衛門も」
「鎖は仕込んでいるか」
「いいえ 大小のみ」

 
 

仇討場に入ったのは
源之助と三重
牛股 大坪の四名

 

対面に清玄の姿を見つけた
三重の頬は紅潮し
唇はわずかに震えた

 

懐剣を強く握り締めたのは
手の震えを隠すためであろう

 

町人や百姓にとって
これほどの見せ物があろうか
士と士がどちらかが死ぬまで戦うのだ

 

庶民だけではない 多くの武芸者が
この仇討を見るために集まっていた

 

濃尾無双 虎眼流の秘剣が
白日の下にさらされるやも知れぬのだ

 

馬廻役に警護された見分席には
掛川藩の重臣が座した

 

賎機検校

 

目付 柳沢頼母

 

家老 孕石備前守

 

その背後の偉丈夫は
備前守の三男 雪千代

 

孕石家の下女三名を
妊娠させたのが十三の時と
いう逸話を持つ

 

「ほう 田舎の花とは思えぬ」
「たわけっ どこを見ておる」

 

備前守が尾張国より雪千代を呼び戻したのは
藤木源之助という士を見せるために他ならない

 

「万事整いましてござりまする」
「うむ」

 

ドォン ドォン ドォン

 
 

「討たるる者の子葉ども
 敵討を願うに 簿に記し
 願うに任すべし
 然れども 重敵(またがたき)は
 停止すべきこと
 家康公御遺言 百箇条

 

 討人 藤木源之助 仇人 伊良子清玄

 

 伊良子清玄に討たれし岩本虎眼は
 藤木源之助の親も同然の者なれば
 父の讐(かたき)は倶に
 天を戴かずとの礼記に倣い
 この仇討ちを正当と認め
 当家立会いのもと 決闘を免許す
 なお本日の勝敗をもって遺恨は決着とし
 重敵は固くこれを禁ずる」

 

「承ってござる」
「委細承知」

 

ドォン ドォン ドォン

 
 

「親父殿 藤木源之助の相手
 あれは盲目にござるか」
「左様」
「左様って…」
「雪千代殿 ものを見るのは
 目ばかりではございますまい」

 

源之助の左手は小刀にそえられた
下段封じの秘策である

 

清玄の剣はゆっくりと地面を目指し
地表近くでぴんとはね上がった

 
 

上段…