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Last-modified: 2007-03-30 (金) 10:43:17

第十四景 怨 ―うらみ―

常より一指多い虎眼の右手の掴みは
藤木源之助が清玄を倒した際に
見せたものと同様のものであったが

 

異なる点が二つある

 

一つは 対手である伊良子清玄の戦闘能力が削がれていること
これはあらゆる流派に共通する勝利の鉄則である

 

今一つは 刀身を挟む左手の存在である

 

そして 剣鬼は無念の涙を流した

 
 

文禄六年 江戸

 

この年 武者修行中の岩本虎眼は
後の将軍家剣術指南役 柳生宗矩と立ち合っている

 
 

道三河岸 柳生屋敷

 

柳生又右衛門宗矩(やぎゅうまたえもんむねのり)

 

岩本虎眼

 

「………」

 

虎眼の流れ斬りを倒れ込んでかわしつつ
その伸びきった右手を狙った宗矩の横薙ぎ

 

神速の攻防を目視できたのは
高弟 村田与三 と 木村助九郎 の二名のみである

 

異な掴み…

 

速きうえに伸び来たる あの間合いに踏み入るは危うい
狙うべきは拳 我を打たんと伸び来たるその拳を断つ

 
 

柳生親陰流 十文字

 

「左様か」

 

「虎眼流 星流れ」

 

この手を見て宗矩に死相が浮かんだ
名門柳生の極意を身につけた大剣士の
全細胞が戦闘を拒否していた

 

「参…」
「引き分けにござる」

 

虎眼が宗矩の面目を保ったのは魂胆あってのこと

 

「徳川家に推挙いたそう それだけの腕はあるとお見受けした」

 

「本望にござる」

 

当時 徳川家康は領国 二百五十万石
諸大名の上に抜きん出る超大名であり
秀吉の死後 天下人となることは確実であった

 

「ただし」

 
 

同年 江戸城下 拝領屋敷

 

栄達を夢見る武芸者にとって
徳川家の剣術指南役となることは
これ以上望むべくもない終着駅といえよう

 

「仕官が望みか」

 

虎眼の面接をしたのは家康の側近
本多正信の息子 正純
年は若くとも浪人者との
身分の開きは天と地ほどに及ぶ

 

「なにゆえ指を伏せる?」
「お見苦しきゆえ」
「無礼者 太閤殿下の御指も
 その方と同じ数であるぞ
 汝はそれを見苦しいと申すか」

 
 

太閤様ハ右之手 親指一ツ多ク
六御座候
信長公 太閤様ヲ異名ニ 六ツメ哉ト

 

前田利家 「国祖遺言」

 
 

虎眼の夢は断たれた
柳生宗矩は慶長六年
将軍家剣術指南役となっている

 
 

星流れの構えが蘇らせた
忌まわしき記憶は鮮明であったが
眼の前の清玄がその一件とは
無関係であることは明確だろうか?

 

「あの折 儂が指を伏せたるは 宗矩が指図
 はかった喃 はかった喃」

 
 

「伊良子さま

 

 お立ち会いなされませ 斬る 斬るのです」

 

「!!」