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Last-modified: 2010-05-11 (火) 01:03:54

第六十七景 石牢 せきろう

一月某日
登城する家老 三枝伊豆守の前に 一名の武士が伏した

 

「星川 如何した?」
「摂者の力量では 藤木源之助どのを
 駿府城にての上覧試合の日まで 無事にお預かりすることが出来かねます」

 

星川こと月岡雪之助が 源之助と三重を預けられた 翌日のことである

 

二日後 戸田流道場の前に“乗物”が配された
乗物とは高級な駕籠の呼び名であり 下級武士の源之助には初体験である

 
 

“一芸一能ある士 広くこれを天下に求む”
駿河大納言 徳川忠長がそう公言して以来 仕官を望む牢人者が続々と城下に集結した
その中で特に武芸優秀と思われる者は 駿河藩槍術師範 笹原修三郎の屋敷に停泊を許され
人品骨柄を一定期間審査された後 笹原の眼鏡に叶えば推挙の運びとなる
藤木源之助と岩本三重が移送されたのは この笹原邸であった

 

「笹原修三郎にござる」

 

武芸に携わる者で“舌切り槍”の逸話を知らぬ者はいない
白い蛇のように長い腕は 驚くほど遠間からの刺突を可能たらしめる筈だ

 

「藤木どの
 この屋敷には腕に覚えのある浪士が大勢暮らしておる
 仲良く 万事仲良く」

 

「心得ました」
返事は乙女のみである

 
 

二刻後
三重と源之助にあてがわれた庵に 若い士(さむらい)が訪れた

 

「笹原門下 猪又晋吾と申しまする
 藤木源之助どのっ お手合わせ願いまする」
「笹原様の許しを得てからに願います」
「笹原修三郎先生は常々 御高名な方にお目に掛かれた際は進んで稽古を願い出よ と
 邸内の武芸者が口々に 虎眼流は強いと噂しております
 伊良子清玄という士(さむらい)は その強い虎眼流を倒した剣名によって めまぐるしい立身出世を遂げたそうな」

 

無口な源之助に油断した若者が 口を滑らせた
「木剣を…」

 

「藤木源之助 指南つかまつる」

 

(木剣とは笑止 槍の間合は剣の四倍!
 まして右腕のみでは 両手の突きを払うことも出来まい)

 

慢心ではない
槍は剣の届かぬ位置から 一方的に刺突を加える兵器である

 
 
 

虎の神速は間合の不利など まさしく歯牙にもかけなかった
“伊達”にするべく源之助の二の太刀が閃く

 

「加減しろ 莫迦!
 前髪だぞ」
源之助も三重も一切詫びなかった

 
 

「藤木源之助に城勤めは無理にござるな」
「立身などは考えておりますまい
 あの男の胸にあるのはただ 上覧試合で伊良子清玄を討つ それのみ」
「伊良子か あれは殿の“お気に入り”ゆえ 御前試合の日まで無事でいられるかどうか…」

 
 
 

帯刀を許された上で石牢に案内された清玄
“科人の成敗”が役目と心得ている