其の弐

Last-modified: 2007-09-27 (木) 08:20:41

ふたたび気を失い、取り戻した清玄は、自分が床の上に寝かされていたことに気が付いた。
背中にひんやりと固い感触がある。石作りだろうか。
「それほんと?」
気絶した清玄を自室につれてきたのはルイズである。
質疑応答することしばし、二人はそれぞれに驚愕していた。
「それでは…イラコセイゲンは異世界から呼ばれて来たと…」
「盲人の身ゆえ、くわしくは何とも。…ただ」
「ただ?」
「それがしの申し上げたき儀はつまるところ、伊良子清玄はただの男。使い魔など笑止」
「…って、なにをそんなに落ち着いてるのよ!ただの男が使い魔じゃ困るのよー!」
ルイズは地団駄を踏んだ。

自分は伊良子を召喚したメイジであり、ご主人様であると名乗ったルイズは、
使い魔の役割を説明し、ため息をついた。
主人の目となり耳となる。秘薬を探し出し、その能力で主人を守る…
「でも、あんたじゃ無理みたいね」
床に寝るように指示し、自分も服を脱いで寝床にもぐりこむ。
脱いだ下着を清玄に投げつけて、ルイズは言った。
「これ、明日になったら洗っておいて」

清玄はルイズの態度を理不尽とは感じていない。
最後がどうあれ、三年以上に渡り岩本虎眼の傍近く仕えた彼である。
生殺与奪を握られた挙句の奉公と介護の日々に比べれば、この程度は傲慢とも思われない。
まして封建社会の上に立つ身分――貴族なれば、さもありなん。
冷たい石床に自分の体温がしみるころ、清玄は眠りに落ちた。

だがしかし、伊良子清玄は傀儡ではない。血の通った男子である。
社会に不公平が存在することを知ったとき、彼はそれを正そうとは考えない。
むしろ自分こそが、不公平のパイをより多く食える立場になろうと考える男だ。
うまいもん食って、キレイな服着て、いい女抱いて…いいなあ貴族。オレもなりたいぜ貴族。
道徳、社会の精神を充分に理解したうえで、それを踏みにじる男。それが伊良子清玄ではなかったか。
一剣をもって成り上がり、天下の伊良子清玄となる…そんな、あくなき野心に突き動かされた男ではなかったのか。

清玄には何も残されてはいなかった。
光を奪われ、もはや剣をとることもかなわず、あまつさえ見知らぬ異世界に連れてこられている
身の上を振り返れば、将来も野心も出てはこない。
下着の入った洗い桶を手に、水場を探して歩き出したその姿からは、毒気というものが抜けていた。
してみると虎眼の仕置きは、まさにが死に勝る復讐であったのだ。
己の腕で成り上がり、天下をとって人の上に立つ――
武士道はシグルイである。死をかけて戦えぬものに、武士となる可能性はない。
それは清玄にとって、夢の途中で死ぬことよりもはるかに残酷な結末であった。

「いーちじーく、にんじん、さんしょにしいたけ、ごぼうにむかごに、ななくさ、はつたけ、きゅうりにとうがん…」
両手いっぱいに洗濯物を抱えたシエスタは、盲の清玄に気づかない。
廊下でぶつかった二人は、洗濯物をばら巻きながら倒れ伏した。
「失礼、目が悪いゆえ」
「ご、ごめんなさい、大丈夫でしたか!?」
廊下に転倒した清玄であるが、弾かれたさいのシエスタの胸を思うとほくそ笑まずにはいられない。
「あなたもしかして、ミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう…」
「さようにござるが」
この女は自分に興味があるらしい。習い性であろうか。清玄の指は、シエスタの指を絡め取っていた。
この際、情欲の不存在は無関係である。
「あ…」
対手を魅了する清玄の双眸はしかし、ルーン文字で赤く縫い閉じられて開かない。
清玄は無言のままに立ち上がり、その場を立ち去った。

不意打ちにて篭絡をうけた 巨乳のメイドは
艶めいた芳香と清玄の骨子術の見事さに、阿呆の如く口をあけて酔いしれ
当の対手の姿が消え失せていることに気がつかなかった。

所変わって学院長室。
ミスタ・コルベールは泡を飛ばして学院長に説明していた。
ルイズが使い魔として召喚したのは、盲目の怪我人であったこと。
契約によって双眸を引き裂いて現れたのは、見慣れぬルーンであったこと。
そして、それが『ガンダールヴ』のものであったということである。
いかなる時も面倒そうなオスマンの瞳が、この時ばかりは燗と輝いた。

そして、ミス・ロングビルがもたらした知らせ。
「ヴェストリの広場で決闘をしている生徒たちがいるようです。ギーシュ・ド・グラモンが」
「対手は誰ぞ」
「それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔のようです」
ミスタ・コルベールとオールド・オスマンは顔を見合わせた。
「なにとぞお許しを。眠りの鐘を用いても、この場を収めますゆえ…」
オスマンは笑った。
「ギーシュ…
 で   か   し   た」
笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である。