トヨキン

Last-modified: 2021-02-03 (水) 12:19:01

田中豊樹(日本ハム→巨人)の蔑称。

概要

日本文理大出身の田中は2015年のドラフトで日本ハムから5位指名を受け入団。翌年の初出場を経て、2017年前半まではそこそこの成績を残したが、夏場に発症した右前距腓(足関節外側)靭帯損傷による離脱で成績が悪化の一途を辿る。以降は元来の四球癖に加えて炎上の頻発でファンからヘイトを集めたほか、2018年には4.18事件で“主犯”の1人になり、これらをきっかけに当時の同僚だったマイケル・トンキン*1をもじって名付けられたのがこの名称である*2。その後は二軍でも目立った成績を残せず、2019年オフに日本ハムを戦力外になったのち、トライアウトを経て巨人に育成契約で入団した。

巨人入団後は別人のようにファームで無双し、7月末に支配下登録を勝ち取ると背番号19*3を与えられる高待遇を受ける。一軍への昇格後は好投と炎上を繰り返し、8月12日の阪神戦で登板した*4際は2回無失点で切り抜けプロ初勝利を挙げる活躍を見せた一方、時折炎上する悪癖で巨人ファンからの確実な信頼は得られないままだった。

トヨキンの11球(トヨキン湾事件)

そして2020年11月8日、この日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で田中は盛大にやらかすこととなる。

同日には坂本勇人が第1打席に二塁打を放って史上53人目の2000本安打を達成*5。先発のプロ2年目・横川凱も5回1失点で勝利投手の権利を持って降板し、プロ初先発初勝利を後続に託していた。ところが8回表、4番手として登板した田中が大誤算の投球を見せてしまう。

最初のバッターの中村悠平相手にいきなり全球ストレートの四球を与えると、続く坂口智隆には膝元への死球を当て、そのまま負傷交代させてしまう。3人目の塩見泰隆がセンター前安打と続いて無死満塁の大ピンチを招き、トドメに山崎晃太朗に対する初球のスライダーがど真ん中に入ってしまい、ライトスタンドに運ばれる逆転満塁本塁打を被弾した*6

わずか11球で1アウトも取れずに逆転を許した田中は即降板。後続は大江竜聖がなんとか抑えたものの、試合はそのまま3-5で巨人が敗戦してしまった。*7田中は敗戦投手となっただけに留まらず、

といったおまけを付与する結果に。

当然田中は巨人ファンから即座に絶許認定された上に、坂口の死球交代を招いたことでヤクルトファン、清水昇*10にホールドポイントが並ばれたことで中日ファン*11、そしてあの事件思い出してしまった古巣日ハムファンからもヘイトが集中。一連の投球も「トヨキンの11球」「トヨキン湾事件*12」などと呼ばれるようになった。

なお、田中はこの年の日本シリーズで40人ロースターに名を連ねるもベンチ入りする事はなく、オフに背番号19をこの年ドラフト2位で入団した山崎伊織に譲る形で返上し背番号59に変更。背番号19を背負った中では2010年の土本恭平以上の短命に終わってしまった。

関連項目


*1 4.18事件で田中の後に登板し、炎上した繋がりもある。
*2 トンキンはのちに退団し、公達終身名誉総帥と扱われるようになったため、総帥には斎藤佑樹が再び就任。田中は公達副総帥に認定されていた
*3 巨人6代目監督である水原茂、木田優夫、そして上原浩治菅野智之と言った一流が着用した事でも有名。各球団でも19番はエースナンバーとして使われ、巨人でもかの18番に次ぐエースナンバーであった。また、日ハムではかつての同僚トンキンが背負った番号でもある。
*4 アクシデントでマウンドを降りたC.C.メルセデスの救援登板。
*5 右打者としては最年少となる31歳10ヶ月での快挙であり、左打者を含めてもイチロー(30歳6ヵ月、日米通算)、榎本喜八(31歳7ヵ月)に次ぐ歴代3番目(NPBに限れば2番目)の早さだった。なお、巨人の本拠地・東京ドームでの達成はフランチャイズプレイヤーで球団史上初。
*6 山崎はシーズン108試合に出場したが、これを含めた本塁打はわずか3本(キャリア通算で4本目)のみであり、当然満塁弾も自身初だった。
*7 ちなみにヤクルトはこの試合が今シーズンの東京ドーム巨人戦唯一の勝利だった模様。
*8 厳密には12月へ順延された社会人野球日本選手権大会(大会自体が中止)の日程で開催される。
*8 2020年の日本シリーズは、同年開催予定だった東京オリンピックの警備関係で日程を順延(7月→11月*8)した都市対抗野球が東京ドームで行われるため、京セラドーム大阪で開催されることが既に確定していた。
*10 8回裏に登板し、ホールドを記録。なお当人は後述の通りトリプル受賞でタイトルを獲得した為、NPB史上初となるプロ未勝利でのタイトル獲得と言う珍記録を達成するに至っている。
*11 祖父江大輔・福敬登の2名が30HPでトップタイに並んでおり、同時の最優秀中継ぎ受賞を期待していたが、一時的にその可能性が危ぶまれる事態となり、少なからずヘイトを買っていた。一応タイトル争いは11日の広島-中日戦で中日コンビの両者が出場しなかった為、祖父江・福・清水のトリプル受賞と平和的に決着した。
*12 前述のトンキンが付けられた蔑称にちなむ。