田中豊樹(元日本ハム→巨人)の蔑称。
概要
日本文理大出身の田中は2015年のドラフトで日本ハムから5位指名を受け入団。翌年の初出場を経て、2017年前半まではそこそこの成績を残したが、夏場に発症した右前距腓(足関節外側)靭帯損傷による離脱で成績が悪化の一途を辿る。
以降は元来の四球癖に加えて炎上の頻発でファンからヘイトを集めたほか、2018年には4.18事件で“主犯”の1人になり、これらをきっかけに当時の同僚だったマイケル・トンキン*1をもじって名付けられたのがこの名称である*2。その後は二軍でも目立った成績を残せず、2019年オフに日本ハムを戦力外になったのち、トライアウトを経て巨人に育成契約で入団した。
巨人入団後は別人のようにファームで無双し、7月末に支配下登録を勝ち取ると背番号19*3を与えられる高待遇を受けるが、一軍への昇格後は好投と炎上を繰り返し、8月12日の阪神戦で登板した*4際は2回無失点で切り抜けてプロ初勝利を挙げた一方、時折炎上する悪癖で巨人ファンからの確実な信頼は得られないままだった。
トヨキン湾事件
そして2020年11月8日、この日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で田中は盛大にやらかすこととなる。
同日には坂本勇人が第1打席に二塁打を放って史上53人目の2000本安打を達成*5。先発のプロ2年目・横川凱も5回1失点で勝利投手の権利を持って降板し、プロ初先発初勝利を後続に託していた。
ところが8回表、4番手として登板した田中が大誤算の投球を見せてしまう。まず中村悠平相手にいきなり全球ストレートの四球を与えると、続く坂口智隆へ膝元への死球を当て(そのまま負傷交代)、3人目の塩見泰隆にセンター前安打と続かれ無死満塁の大ピンチを招く。トドメに山崎晃大朗に対する初球のスライダーがど真ん中に入ってしまい、ライトスタンドに運ばれる逆転満塁本塁打を被弾した。山崎はシーズン108試合に出場したが、これを含めた本塁打はわずか3本(キャリア通算で4本目)のみであり、当然満塁弾も自身初だった。
1アウトも取れずに逆転を許した田中は、わずか11球を投じたのみで即降板。後続は大江竜聖がなんとか抑えたものの、試合はそのまま3-5で巨人が敗戦してしまった*6。田中は敗戦投手となっただけに留まらず、
といったおまけを付与する結果に。
坂本の2000本安打達成セレモニーでの集合写真にて、1人だけ真っ青な表情をしていることが確認できる。
当然田中は一部の巨人ファンから即座に絶許認定された上に、坂口の死球交代を招いたことでヤクルトファン、清水昇*9にホールドポイントが並ばれたことで中日ファン*10からもヘイトが集中。一連の投球も「トヨキンの11球」「トヨキン湾事件*11」などと呼ばれるようになった。
事件後の田中
その後、背番号が59に降格した2021年はそこそこ活躍*12し、ファンの評価もそれなりに取り戻しつつあったが、2022年は右肘を手術することになり再び育成落ち*13。翌2023年は開幕直前に支配下復帰するも1軍・2軍両方で防御率4点台超と精彩を欠きオフに2度目の戦力外通告を受け、トライアウトに参加するも手を上げる球団はなく現役を引退した。