- うんち。大便。
- 吉見祐治(元横浜→ロッテ→阪神)の蔑称。
- 馬場皐輔(阪神→巨人)の蔑称。
- 2010年における広島東洋カープの救援陣の総称「UNKO」のこと。
- 菅野智之の蔑称。別の蔑称「スカ野トロ之」からの連想と思われる。
- 投手が緊急降板をしたとき、その原因が素人目に分からなかったときのレス。
本項目では2.~4.について解説する。
吉見祐治
元祖「飛ぶピッチャー」。同姓の吉見一起(元中日)との対比で「吉見(う)」「うん様」とも呼ばれる。
東北福祉大から2000年のドラフトで横浜ベイスターズに逆指名(2位)で入団。2年目*1から本格的に一軍で先発起用される。
本業の投手は花火師であり炎上を繰り返す事がデフォルトな反面野手顔負けの打力を誇り、元同僚の中野渡進からも「唯一の見せ場は打席」と言われる始末。また濱中治(元阪神→オリックス→ヤクルト)とは高校時代から極度に相性が悪く、濱中が絡んだ「平成の三連発*2」にも関わってしまう。余りにもクソすぎて「うんこ」という愛称が定着したとされている。
とりわけ2003年は投手として3勝10敗・防御率8.38*3ながら、打率.296(27-8)*4と「うんこワールド全開」の年であった。
後年にも広島東洋カープのコルビー・ルイスに被弾しながらお返しとばかり適時二塁打を放って勝利したり、福岡ソフトバンクホークス・新垣渚の154km/hの速球を華麗に流し打って先制適時打、投げても完封勝利を収めるなど、横浜時代はネタに事欠かない選手だった。
2010年5月に金銭トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。DH制のパ・リーグで残念ながら自慢の打棒を封印されたこの年は6勝7敗・防御率5.18とイマイチであったが、少なくとも吉見としては上々の成績でまとめる。移籍後2回目の先発登板で古巣横浜相手に勝利したり、8月には3年ぶりの完封勝利を挙げるなど横浜では年1レベルの神ピッチを何度か披露し、怪我人続出で崩壊寸前だった先発ローテーションを支え、シーズン3位からの下克上日本一に貢献した。
翌年からは若手の台頭に伴って出番も少なくなり、2013年オフに阪神タイガースへ移籍。阪神ファンは当時の代打要員だった新井貴浩・新井良太・伊藤隼太らよりも打力を期待するほどであったが、結局一軍昇格すらできず、同年限りで引退。
その後、横浜DeNAベイスターズの打撃投手に就任、2020年からは中国・四国地区のスカウトを担当している。
馬場皐輔
2017年阪神ドラフト1位*5として仙台大から阪神に入団。MAX155km/hの直球と多彩な変化球を操るという触れ込みの即戦力右腕として先発ローテーション入りを期待された。しかし、2018年春季キャンプで直球も変化球もコントロールも到底一軍レベルではないことを露呈し阪神ファンを失望させる。プロ入り後に評価を上げた2位指名の高橋遥人*6と比較され、失望した阪神ファンから名前の読みと引っ掛けて*7いつしか「うんこ」呼ばわりされるようになった。
一方、二軍では好成績を残した他、
- 豪快なフルスイング
- K-鈴木(現巨人、当時オリックス)から甲子園のレフトスタンド中段に飛び込む本塁打を放つ
- ランナーとして脚の速さを見せつける
など、吉見同様本業以外の部分で思わぬ才能を発揮し、阪神ファンにネタ扱いされてしまった。
2019年も前年同様の有様で、特に6月8日の日本ハム戦での大炎上が決定打となり、二軍でタイトルを取ろうが阪神ファンからはもはや投手扱いされなくなり、前年の藤谷洸介に続いての野手転向を望まれるようになっていた。さらにオフのフェニックスリーグから2020年オープン戦でも結果が出ず、多くの阪神ファンからは見放されていた。
しかしシーズンに入ると9月下旬にコロナウイルスに罹患し一時的に戦線離脱したものの、ロベルト・スアレスと共に開幕直後に大崩壊*8を起こした救援陣建て直しの救世主の一人となる。ビハインド要員から火消し屋さらには臨時セットアッパーといった仕事をこなす便利屋として2位浮上に貢献*9し阪神ファンから手のひらを返された。
とは言え、かなりの劇場型で阪神ファンの胃をズタズタにするため「馬場劇場」、「久保田二世」呼ばわりされることも多い。
また「代打三ツ間事件」に関連して西勇輝・藤浪晋太郎・秋山拓巳・能見篤史らと共に阪神ファンからネタにされた。その後もネタにされ、代打としてなら他の一部野手陣*10よりは打つのではなどと言われる。当然ながら「投手増田」の時には巨人に対抗して馬場の代打起用を期待する声も一部にはあった。
そんな馬場だが、2023年オフの現役ドラフトにて巨人に移籍することになった。*11
余談だが、吉見も馬場も仙台六大学リーグの出身である。今後もバッティングの良い投手が仙台六大学から現れるかもしれない*12。
広島の救援投手陣「UNKO」
2010年の広島の救援陣は「防御率4点台でもマシ」と言われたほどの投壊状態で、阪神の「JFK」に倣って上野弘文・永川勝浩・岸本秀樹・大島崇行の頭文字を取り「UNKO」と名付けられ「敗北の方程式」などと揶揄された。
しかし、この頃は野村謙二郎監督の珍采配と西武の俺達が全盛期だったためインパクトで勝る俺達に話題を持っていかれてしまい知る人ぞ知るネタに留まった。
その後、広島がBクラス常連を脱却しセ・リーグ3連覇を達成した強豪チームにのし上がった頃には、UNKOネタはすっかり風化していた。しかし、佐々岡真司政権時代は救援投手陣の惨状*13もあり低迷したこともあり、思い出したように再度取り上げられるようになってしまった。
2010年の広島一軍救援陣の成績
※(リリーフでの)登板試合数が多い順に列挙。
名前 | 登板数 | 防御率 |
---|---|---|
大島崇行(O) | 53試合 | 5.14 |
岸本秀樹(K) | 50試合 | 5.65 |
横山竜士 | 46試合 | 1.62 |
梅津智弘 | 46試合 | 5.80 |
ジョン・ベイル | 30試合 | 7.09 |
上野弘文(U) | 27試合 | 4.94 |
林昌樹 | 26試合 | 5.96 |
高橋建 | 25試合 | 9.36 |
篠田純平 | 20試合 | 5.18 |
ヴィニー・チューク | 16試合 | 5.79*14 |
マイク・シュルツ | 11試合 | 3.48 |
永川勝浩(N) | 10試合 | 3.97 |
名前だけを見れば梅津やベイル、高橋建、シュルツなどそれなりの選手が揃っているように見えるが、既に選手として峠を越えていたり不振を拗らせていたりで、抑えの永川の離脱もあって横山一人が孤軍奮闘という有り様だった。
なお、46登板で防御率5.80の梅津が「UNKOのU」に括られていないのは、同年8月25日の阪神戦(京セラドーム大阪)*15にて「1イニング10失点」という晒し投げをさせられた大野村采配の被害者であり、「この試合さえなければ防御率3点台中盤」という比較的安定したピッチングをしていたからである。