日本支部の超名作を雑に混ぜちゃってごめんなさい。好きなもの同士を混ぜたかった。フィクションのフィクションとして許してクレメンス
出典:SCP-026-JP「上告します」
デトロイト郊外の夜は重く、そして酷く静かだった。
事件の解決帰り、帰路につく1967年型シボレー・インパラの車内には、疲労と安堵が混ざり合った空気が漂っている。助手席のサム・ウィンチェスターは、のんびりとビールを抱えながら、不意にポケットの中で震えた携帯電話を取り出した。画面を開いた瞬間、彼の長い眉が怪訝そうに中央へ寄る。
「あれ?」
「どうした?」
運転席から響くディーンの声は、掠れて疲れ切っていた。今回の狩りは、夜を徹しての悪霊との戦いと、それに伴ういつもの墓荒らしだ。悪霊退治自体は成功したものの、兄弟は共に相応の生傷を負っている。ハンターにとって寝不足など日常茶飯事だが、今回は四日目の徹夜だった。そろそろ本拠地である「バンカー」で泥のように眠らなければ、心身ともに限界を迎えるのは明白だった。
「なんか変なメールなんだ。っていうか……なんだよコレ」
「帰ってからにしようぜ。今日は色々なことが起きすぎて疲れてんだ。俺は今、ビールとセックスしたいくらいなんだよ」
「いや、でも、このあたりが発信地になってるんだけど」
ディーンの下品な冗談を完全に聞き流し、サムは画面のテキストを読み上げた。
「なになに……『被告人サム・ウィンチェスター、貴殿の左心房は原告の保持する循環器系臓器との同一性保持権を著しく侵害しており……被告人の右上腕及び小腸も意図的に同一性保持権を侵害している。これを放置すれば今後被害箇所は増加していくと見られます。以上を踏まえて被告人の保持する違法箇所を即時没収すると共に、然るべき判決を下すものとする』……だって!?」
「おいおい、勘弁してくれ。こっちは頭が割れそうなんだぞ」
ディーンがハンドルを握る手に力を込める。
「えーっと、つまり……内臓を無断使用している僕がどこかにいて、それが訴えられてるってことか?」
「頼むぜ相棒、寝言は寝てから言ってくれ」
「いや、意味がわからないのは僕も同じだよ! とにかく、このすぐ近くから発信されてるんだ」
サムが遮るように言い、きょろきょろと周囲の暗闇を見渡した。その視線が、路肩に佇む古ぼけた鉄塔に留まる。数十年もの間、この地域に電気を送り続けているのだろう、一見すれば何の変哲もない鉄塔だ。しかし、その上層部はまるで芝居がかったかのような不自然な濃霧に覆われ、見通すことができない。一本の錆び付いた梯子が、かろうじてその霧の向こうへと繋がっていた。
「たぶん、あそこからだ。待てよ、この話、どこかの記録で……」
「狩りか?」
途端にディーンの目がギラついた。いくら疲弊していようとも、ハンターの仕事が絡むとなれば話は別だ。インパラを路肩に止め、二人は車を降りた。
「行ってみるしかねぇな。あの雲がかった場所に、その『天国からのメール』の主がいるんだろ?」
「ま、まあ……まだ分からないけども」
ミシミシと軋む錆びた梯子を掴み、二人は濃霧の中を登っていった。雲を抜けた先には、鉄塔にはありふれたグレーチング(格子状の鋼材)の足場が存在していた。周囲が白い霧に閉ざされている以外、おかしな点はない。しかし、二人はその足場の真上、何もない虚空に不自然に開いたマンホールの穴を見つけた。
「なんだこれ? 蓋は……開きそうだな。行くぞ」
「なんか嫌な予感がするんだけど」
「ビビるんじゃない。そのわけのわからん判決文なんて、無効にしてやればいいんだよ」
ディーンが先行して穴を潜り抜ける。その先に広がっていたのは、地上と変わらぬ、しかし奇妙に静まり返った光景だった。そこには美しく管理維持された裁判所のような建物があり、その周囲にはデトロイトを思わせるアール・デコ調の街並みがどこまでも広がっていた。
「おい、ここは天国か?」
「天界にはもう行ったことがあるだろ。……にしても、何なんだここは」
裁判所の重厚な扉を押し開けると、広大な大広間でちょうど裁判が執り行われている最中だった。ディーンはそのまま大広間の様子を探り、サムは回り込んで別の区画を調べる。長年の経験による役割分担を、二人は視線とジェスチャーだけで瞬時に済ませ、別行動に移った。
ディーンは大広間の隅に身を潜め、裁判の様子を伺った。証言台には誰も立っていない。だが、次の瞬間、ディーンの心臓が不快に跳ね上がった。
原告席に座っている男の背格好に見覚えがありすぎたのだ。バカでかい身長、長い髪。頭の先からつま先まで、それは完全にサム・ウィンチェスターの姿をしていた。ただし、決定的な違いがあった。その男には全く生気がなく、ただぼんやりと虚空を見つめている。魂を抜かれた時のサムというよりも、精巧に作られたただの人形と表現する方が正しかった。
その異様な光景を見届けようとした瞬間、廊下の奥から「うあっ!」という短い悲鳴が響いた。サムの声だった。
「サム!」
ディーンはとるものもとりあえずにして遮蔽物を引き返し、声のした方向へ走った。通路の床に、右腕から激しく出血したサムが倒れていた。サムは青ざめた顔でディーンを見上げ、その瞳には恐怖とパニック、そして明確な理解の光が宿っていた。
「これは……バンカーの、賢人(メン・オブ・レターズ)の記録で読んだことがある超常現象だ!」
「説明しろ!」
「ここは、僕たちの世界と似ているけど、決定的に違う場所なんだ。いま裁判を受けているのは、たぶんこの世界の僕だ。それで、僕の体のパーツの使用権を、この世界の僕が『同一性保持権』として主張しているんだ。つまり、僕のパーツが没収されて……クソッ!」
会話の間にも、サムの右腕からの出血は止まる気配がない。
「おい、待て。ってことは、向こうのサムにお前の右腕が持っていかれるってことか?」
「右腕だけじゃない……あの判決文には小腸も、左心房も書いてあった。このままだと、僕は……」
「マジかよ、冗談じゃねぇ!」
ディーンは手際よくサムの上腕を縛って応急処置を施すと、巨体を抱き起こして肩を貸した。このまま退くわけにはいかない。ディーンは息も絶え絶えなサムを引きずり、再び大広間の扉を蹴り開けた。
居並ぶ裁判官や傍聴席の群衆が一斉に二人へ視線を巡らせる。だが、その誰もが驚きの表情を浮かべることはなく、ただ冷徹に二人を見つめていた。徹底して生命力を欠いた集団だった。
「ちょうど良かった、ディーン・ウィンチェスター」
裁判長席に座る男が、感情の起伏がない声で告げた。
「貴殿にはまだ判決文が届けられていないが、この場で言い渡そう。……被告人ディーン・ウィンチェスターの右心房は、原告の保持する循環器系臓器との同一性保持権を侵害しており、その存在が原告の生存権を脅かしていることは明白である。また、被告人の左脚および腎臓の一部においても、意図的に同一性保持権を侵害しており、これを放置すれば今後侵害箇所は増加していくと見られる。以上を踏まえ、被告人の保持する違法箇所を即刻没収ののち、然るべき判決を下すものとする。――異論はあるかね?」
細部は異なるが、基本的にはサムに届いたものと同じ内容だった。そしてディーンは、もう一方の原告席に、自分と全く同じ姿をした男が座っているのを見つけ出した。
血まみれのサム——どうやら内臓のどこかも損傷が出始めたらしい——を床に横たわらせ、ディーンは自身の偽物へと歩み寄った。生気のない緑色の瞳。ハンターなど経験したこともなさそうな、弱々しい四肢。床の一点を見つめたまま微動だにしない人形に向かって、ディーンは胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄った。
「お前、本当に生きたいのか?」
原告のディーンは、蚊の鳴くような、聞き取ることも困難な声で「はい」とだけ答えた。
ディーンの眉間に激しい怒りの皺が刻まれる。彼は大広間全体に響き渡る声で叫んだ。
「俺にはなぁ、お前と違ってやることが山ほどあるんだよ! そこに倒れてる図体ばかりデカい弟を守るのもその一つだが……俺たちは世界を守らなきゃならないんだ!」
原告のディーンは眉一つ動かさない。ディーンはさらに言葉を叩きつけた。
「いいか、生きる権利は誰にでもある。俺は命が惜しいなんて、生まれてから一度も思ったことはねぇがな、目的を果たすまでは死ぬわけにはいかねぇんだよ!」
静寂がその場を支配した。その瞬間、サムの腕からの出血が劇的に収まり始めていることにディーンは気づいた。サムが痛みに耐えながら、ゆっくりとディーンの横に立ち上がる。ディーンは弟と視線を合わせ、焦ったように小声で尋ねた。
「サム、なんだっけアレ!」
「……アレって何?」
「ほら、お前がよく言ってた、アレだよ、アレ!!」
「アレじゃ分からないよ!」
ディーンは必死に記憶の引き出しを漁った。かつてサムが大学受験を控えていた頃、夜遅くまで読んでいた法律学の専門書の一節。その単語が、辛うじて指先に引っかかった。ディーンは人差し指を裁判長に向け、堂々と constructive に言い放った。
「思い出したぜ――俺は上告する!!」
その一言は、まるで世界を書き換える呪文のように作用した。
刹那、周囲の空間から急激に色彩が抜け落ち、モノクロームの世界へと変貌していく。原告席にいた偽物のサムとディーンの姿が、眩い光の中に掻き消えた。サムの右腕を確認すると、出血が止まっただけでなく、衣服に付着していた血痕ごと、最初から何もなかったかのように消失していた。
直後、鼓膜を聾するような無数の爆発音が裁判所に轟いた。ガラガラと天井が崩落し、壁がひび割れていく。
「走れ!」ディーンの叫びと共に、二人は崩壊する建物の中を猛然と駆け抜けた。外の街並みもまた、目に見えない無数の砲撃によって焼き尽くされ、炎の海と化していた。飛び交う瓦礫と爆風を間一髪で掻い潜り、二人は元来た虚空のマンホールへと飛び込んだ。
梯子をもの凄い勢いで滑り降り、二人が地上の泥土に足を着けた瞬間、背後の鉄塔は忽然と姿を消した。霧も、鉄塔も、あの裁判所があった異世界そのものが、完全に消滅したのだ。
再び、インパラの車内。デトロイトの夜路を滑るように走る。
「……あれは一体何だったんだ? 夢か?」
ディーンがハンドルを叩きながら呟いた。
「バンカーに戻ってから詳しく調べるよ。だけど……あの世界はかつて、賢人たちも発見していたんだ。同じように何人かの賢人が『被告人』にされて、パーツを奪われて殺されてる。耳以外の全てのパーツを没収されて消滅したメンバーもいたらしい」
「どこのフランケンシュタインの怪物だよ、悪趣味な」
「危険視した当時の賢人たちは、あの鉄塔ごと世界を破壊しようとしたらしい。でも、その時は何も起きなかった。おそらく、あの世界は時間の進み方が僕たちの世界と違っているんだ。さっきの爆発は、数十年の時間差を経てようやく届いた、賢人たちからの支援攻撃だったんだと思う」
「理由はなんでもいいさ。だが、ぶちのめす相手のいない超常現象ってのは、もう二度と御免だね」
ディーンがダッシュボードのスイッチを押し、お気に入りのクラシックロックを流した。キャスの歌うようなギターの旋律が車内に満ち、ようやくいつもの日常が戻ってきたように思えた。
数時間後、カンザスのバンカーに帰宅した二人は、資料室の机に古い文献を広げていた。
「やっぱり、僕の思った通りだった」
サムが分厚い革張りの本から顔を上げ、コーヒーを傾けた。「にしても、これは本当に興味深いよ」
「あの『天国からのラブレター』か? 勘弁してくれよ、まだ頭が痛いんだ」
「生存権を主張する異世界の僕らのことさ。ちょっと疑問に思ってね。普通、あの法的な状況なら『控訴(下級裁判所の判決への不服申し立て)』の方が遥かに有効な手続きなんだ。移送令状(サーシオレイリ)の観点から見てもね。でも、ディーンの言った『上告』がそのまま通って世界が壊れた」
「弁護士先生のクソ真面目な講義は要らねぇよ。三行でまとめろ」
サムは苦笑しながら、言葉を噛み砕いた。
「つまり、もう過去に『控訴』は行われていたんだよ。あの時僕たちが迷い込んだのは、第二審……控訴裁判所だったんだ」
「は? 第一審なんて、前の裁判なんてやった記憶はねぇぞ」
「これは僕の仮説だけどね。……僕たちがこの世界に生まれた瞬間に、第一審が行われていたんだと思う」
「生まれた時だぁ? 詳しく言えよ」
「僕たちが生まれた時、既にあの世界には偽物のサムとディーンが存在していて、その時点で彼らは僕らに対して生存権(同一性保持権)を主張したんだ。だけど、人間の赤ん坊っていうのは、誰しも生きる気力と生命力に満ち溢れているだろう? 特に、赤ん坊の頃のディーンはね。その強烈な生命力に圧倒されて、向こうは第一審で敗訴した。だから彼らは諦めずに、僕たちが弱っているタイミングを狙って『控訴』してきたんだよ」
「へっ。知らないうちに勝手に裁判にかけられてるなんて気味が悪いな。そんな妄想をしてるお前も大概だけどよ」
「悪かったね。でも、裁判や法律が絡む怪異なら、元法学生として見過ごせないんだ。アメリカの裁判で上告が受理されるなんて滅多にない。とにかく、一度控訴されていたからこそ、あの場所が第二審だった」
「もしあそこで俺が『上告』してなきゃ、どうなってた?」
「最高裁判所(最高裁)だね。そこまで手続きが進んでいたら、もう上訴も上告も通らなくて、僕たちに勝ち目はゼロだったかもしれない。……とにかく、生きる希望に溢れた生命力の塊みたいなディーン・ウィンチェスターという存在に、あの世界全体が丸ごと圧倒されて、裁判自体が崩壊したんだよ。簡単に言えばね」
話が専門的でややこしくなり、ディーンは手元のビールに口を付けるばかりで、ほとんど生返事しか返さなくなった。その様子を見たサムが最後の一文を優しく噛み砕いて説明すると、ディーンは合点がいったようにニッと integration な笑みを浮かべた。
「なんだ、最初からそう言えよ! そうに決まってるだろ、俺は最強だからな!」
ディーンの自信に満ちた高笑いが、頑強なバンカーのコンクリート壁に心地よく響き渡った。