Tier5 アメリカ 戦闘機 Curtiss P-40 Warhawk
スクリーンショットはエンブレム・ノーズアートなしで
性能一覧(v2.1.11)
項目 | 初期状態 | 最終状態 |
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火力 Gun Armament | 10 | 15 |
爆装 Bombs and Rockets | 0 | |
抗堪性 Survivability | 7 | |
耐久値 Hit Points | 240 | 250 |
速度 Airspeed | 39 | 43 |
最適高度最高速度(km/h) Top Speed at Best Altitude | 570 | 610 |
最大降下速度(km/h) Maximum Dive Speed | 750 | 780 |
機動性 Maneuverability | 63 | |
一周旋回時間(s) Average Time to Turn 360 deg | 10.8 | |
横転率(°/s) Rate of Roll | 130 | |
最適速度(km/h) Optimum Airspeed | 365 | 380 |
失速速度(km/h) Stall Speed | 150 | |
高度性能 Altitude Performance | 49 | |
最適高度(m) Optimum Altitude | 1,600 | |
上昇率(m/s) Rate of Climb | 114.9 | 121.1 |
フラップ | あり | |
ブースト時間(s) | 8 | |
本体価格(Cr) | 334,000 |
装備
武装
翼内機銃 | ダメージ/秒 | 発射速度 (rpm) | 有効射程 (m) |
4x 12.7 mm M2 (W) | 46 | 700 | 549 |
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6x 12.7 mm M2 (W) |
その他の項目
名称 | 耐久値 |
Hawk 81 | 240 |
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Hawk 87 | 250 |
名称 | 馬力 (hp) | 冷却方式 | ブースト時間 (s) |
V-1710-33 | 1,050 | 水冷 | 8 |
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V-1710-39 | 1,100 | ||
V-1710-85 | 1,200 |
1 | Pilot |
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派生軍用機
解説
- v2.0
- v1.9
カーチス P-40 (Curtiss P-40) は第二次世界大戦期のアメリカ陸軍の戦闘機である。
前身のP-36に更に大型の水冷エンジンを搭載した派生型が原型で、ゲーム内の性能も速力の向上に傾倒したものになった。
特に降下速度が大幅に向上。高空から速度の乗せて急降下して、一撃の後に反転離脱する一撃離脱戦法に適している。
高度と速度を維持して一撃離脱を繰り返す限り、強機体なのだが、その分、他の性能が今一。エンジン出力が不足気味で、失速速度も高く、低速低空域での巴戦は、苦手としている。
低空域に留まっている当機は、鴨でしかないので注意。余程有利な状況でもない限り、低空域に留まるのを慎む必要がある機体だ。
武装は、F4Fと同じ翼内の12.7mm機銃4門をベースに、同機銃を6門まで強化できる。
数値上の火力は低目だが、性能が均一な機銃のお陰で、狙った所に弾が集中しやすい。一撃離脱戦法との相性はいい。
しかし、瞬間火力の低さと、機動性の優劣で、標的の選定とコースの読みが甘いと撃破に十分な掃射時間を得るのが意外と大変だ。
欲張って速度を落として強引に後ろを取ろうとすると、離脱に苦労する事になるので、状況を見極めよう。
割りとオールラウンドプレイヤーだったP-36と比べて、得手不得手がはっきりとしている。
高空からの一撃離脱に最適化されたP-51シリーズの予行練習に、この機体で一撃離脱戦法を徹底して極めるのも悪くない。
史実
カーチス P-40 (Curtiss P-40) は第二次世界大戦期のアメリカ陸軍の戦闘機である。愛称はウォーホーク (Warhawk:アメリカで「タカ派」を指す言葉) 。
性能的には平凡な機体であったが、実用性が高く常に量産体制が整っていた事もあり、他の戦闘機の補完的存在として広く使われた。
アメリカ陸軍のみならず連合国各国にも多数が供与され、イギリス軍ではC型までをトマホーク (Tomahawk:インディアンの用いた斧)、D型からをキティホーク (Kittyhawk:ライト兄弟が初飛行に成功した場所) の名称で装備した。
1938年、P-36の改造型として空冷エンジンを液冷のアリソンエンジンに換装しXP-40として初飛行した。この機体は、最大速度で原型のP-36よりも70kmも速かったので、直ちに量産命令が出てフランスに援助機として振り向ける事となった。しかし1940年のフランス敗戦により、援英機として、トマホークの名でイギリスに供与された。
日中戦争で日本軍の攻勢に苦しんでいた中華民国の蒋介石の妻で、国民党航空委員会秘書長でもあった宋美齢のアメリカ軍への呼びかけにより、中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられたクレア・リー・シェンノートにより、アメリカの「義勇兵」パイロットで編成されたAVG(フライング・タイガース)はP-40を129機装備し、国民党軍を支援するため中国で活動した。
日本軍の九七式戦闘機や九七式重爆撃機、少数の隼(加藤隼戦闘隊)を相手に一撃離脱戦法で戦い、1941年12月20日~翌年6月12日の解散までに「フライング・タイガース」側の記録では撃墜・撃破171機(日本側記録89機)の戦果をあげ、自らは80機を失ったとされた(この「撃墜記録」は、報奨金獲得のために水増しされているとの意見もあり、実際に日本側の被撃墜記録との乖離が激しい)。
また、1941年12月の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時にアメリカの植民地のフィリピンに配備されていた同機は、零式艦上戦闘機や一式戦闘機「隼」をはじめとする日本機の邀撃に当たったが空戦性能に遅れをとり劣勢に立たされた。
連合軍は後に武装の貧弱さと高度性能の改善をはかり、マーリンエンジン搭載に改良したF型を投入し、これを「ウォーホーク」と称した。P-40Fは高々度において、はるかによい性能を発揮した。しかし、あまり多数のマーリンエンジンは入手できなかった。というのは、よりすぐれたノースアメリカン P-51 マスタング にそのエンジンの優先権が与えられていたからである。
エンジンと武装の改良を繰り返し最終のQ型まで総数13,738機生産された。地味ではあるが大戦の前期に連合国各国へ供与された機体は、日本軍やドイツ軍に対して劣勢な中で重要な使命を担った。
なお、大日本帝国陸軍は完全な状態のP-40を数機鹵獲し、内地に送りテスト飛行や研究用に使用したほか、1943年に羽田空港で開催された鹵獲機展示会で一般向けに公開されている。なおビルマ戦線のラングーンでは、少数の鹵獲P-40による臨時の防空隊が飛行第五十戦隊の高野明中尉(陸士53期)以下4名の操縦者と整備隊で結成された。しかし初陣の夜間迎撃では飛行第十二戦隊所属の九七式重爆を誤って不時着大破させるなど、活躍することなく、3ヶ月後の5月26日に解散している。
1943年11月当時大学生だった佐々木陸軍少尉は、陸軍航空技術研究所で鹵獲展示されたP-40に搭乗。防弾装備と、小便を機外に排出するため操縦席に備え付けられた蛇腹状の管を見て、人間工学を配慮した設計に感銘を受けている。
現在、約70機のP-40がアメリカを中心に現存しており、内約30機は飛行可能な保存状態にある。
2012年3月には、1942年にエジプトのサハラ砂漠で墜落した英軍のP-40「キティホーク」の残骸が大変良好な状態で発見された。
火力と耐久のおかげで占領し易くはあるのだが、「あの時助けてくれてたならば…」という味方の怨嗟の声を背に受けながら、自分の占領した陣地の得点で逃げ切り勝ちみたいな展開にもなりがちか。 -- 2022-05-15 (日) 04:04:39
という仮説が浮かんだ。
XP-44もあのブースト力のお陰で多少強引だけど中高度以上に上がれてしまうので… -- 2022-04-03 (日) 12:07:04
tier6のXP-54の跋扈跳梁も、本来重戦のメタである同tierの高高度戦闘機が頼りない事が一因と思うので、選択肢としてそんな圧を掛けられる機体があっても良いと思う。 -- 2022-05-29 (日) 10:18:30