金メダルしかいらない

Last-modified: 2024-04-06 (土) 23:31:07

2008年北京五輪の野球日本代表を指揮した、星野仙一監督による優勝宣言のこと。


背景

前回の2004年アテネ五輪では初の金メダルを目指し*1オールプロ選手体制で臨む*2も、代表監督であった長嶋茂雄が大会前に脳梗塞で倒れ、中畑清へ急遽交代する等の混乱もあり銅メダルに終わっていた。

概要

監督就任~大会前

アテネの雪辱を晴らすべく北京五輪にて星野に白羽の矢が立つ。この時の選手団はアジア予選ではほぼプロ選手*3が派遣され、1球団から2人までという従来の選出制限も撤廃される等、満を持しての態勢で臨むこととなった。
しかし星野は短期決戦に非常に弱い*4ことで知られ、招集したコーチ陣は東京六大学野球出身の学閥*5で固められたことから、お友達野球*6と揶揄される。コーチに任命された山本浩二・田淵幸一・大野豊は指導者としての能力に疑問符がついており*7、星野自身も冒頭の宣言に加えて前任の中畑を事あるごとに扱き下ろす発言を繰り返す、「星野JAPAN」の商標登録*8、山本・田淵ともどもカレーのCMに出演*9するなどパフォーマンス先行の行動にファンから不安の声が上がっていた。

大会結果

上記の懸念を抱えながら迎えた大会は予選リーグを4勝3敗で辛うじて突破するも、決勝トーナメントの準決勝で韓国に、3位決定戦でアメリカに敗れ4位。金メダルどころか前任の中畑体制で獲得した銅メダルすら手にすることができず見事フラグを回収。いろんな意味で有言実行となってしまった。

同年のNPBシーズンへの影響

代表選手の酷使は同年の順位争いに大きな影響を及ぼし、特に阪神は新井貴浩が大会期間中に前半戦から患っていた腰痛を悪化させ疲労骨折する等主力の離脱も一因となり、最大13ゲーム差と独走しながら最後の最後で逆転されてしまう。「オーナー付きシニアディレクター」という職を与えられ高給を食んでいた「身内」に足を引っ張られ、結果として巨人の逆転優勝をアシストする形となった為に、年月が経過した今でも恨んでいる阪神ファンも少なからず存在する*10
また中日は子飼いの川上憲伸岩瀬仁紀に対する理不尽なまでの酷使*11を理由に翌年のWBCへの選手派遣を拒否する態度を固めてしまう。

その後

星野は翌年のWBC日本代表監督続投を志すが、イチロー野村克也による懐疑論を口火に頓挫*12。前任の王貞治の「WBCは現役のプロ野球の監督がいいだろう」という鶴の一声により、後任は原辰徳*13に決定することとなる。
原JAPANはその期待に応え、WBCで連覇を達成。原への賞賛を尻目に星野の名声は地に落ち、後に楽天監督に就任し疑惑の判定が勝利に繋がる展開を有利に進め球団初の日本一を果たす*14まで辛酸を嘗めることとなった。

この時果たされなかった五輪金メダルの夢は北京から13年後*15まで待たなければならず、星野の没後3年半経った2021年東京五輪で当時の代表メンバーだった稲葉篤紀率いる日本代表によって、1次リーグ含め5戦全勝と言う完璧な形でようやく叶えられた。よかったね、おめでとう

関連項目


*1 以前の最高結果は1996年アトランタ五輪の銀メダル。
*2 プロ選手の参加は前々回の2000年シドニーオリンピックから解禁。この時はプロ・アマ混合チームで4位。
*3 当時愛知工業大学の4年生であった長谷部康平を除き全員がプロ。長谷部も後に楽天に入団。
*4 2008年時点で監督として日本シリーズに3回出場するも全て敗退。現役時代の2度の出場を含めても日本一の経験が一度もなかった。
*5 星野は明治大学出身であり、コーチを務めた山本浩二、田淵幸一は共に法政大学出身。大学時代から三者は親友として著名。
*6 2006年に組閣された第一次安倍晋三内閣が「お友達内閣」と揶揄されたことが元ネタと思われる。
*7 山本は一次政権時(89~93年)にリーグ優勝の経験はあるが、二次政権(2001~05年)はBクラスに終始。田淵はダイエー監督を務めた3年間全てBクラス(90~92年)。特に就任初年度の1990年は2リーグ制以降のチーム歴代最多敗戦(85敗)及び最低勝率(.325)を喫する。大野はアテネから続投だが、広島の投手コーチ時代(1999年)のチーム防御率はリーグ最下位であった。大野就任以前から投壊状態であったが、指導者適性の無さにも関わらずフロントによる大野の重用は疑問の声が少なくなかった。
*8 商願2007-005784商願2007-022985
*9 同一のメンツで1994年にも出演したことがある。この時は3人とも在野だった。
*10 新井の件は当時監督だった岡田彰布も激怒している。
*11 星野は相性の悪い相手には勝つまで対戦させ続けるという拘りがあり、この姿勢を「星野は情に篤い」と好意的評価する者もいる。しかし北京では星野の信条が裏目に出て岩瀬は2度の韓国戦で決勝打を喫し敗戦投手となる(特に準決勝では李承燁に決勝弾を浴びる)。他球団選手ではG.G.佐藤がフライを3度も落球村田修一は風邪によるコンディション不良でありながら出場を強いられ16打数1安打と散々であった。
*12 特に野村は「星野の続投が既定路線だったかのような会議」だという旨をTVで暴露。野村は星野続投を主導したとされる高田繁の批判を受けるが、世間では野村賞賛とともに星野下ろしの署名運動まで起こった。星野は尚も諦めず渡邉恒雄を味方につけて鶴の一声による寄り切りを図るが、孫が学校でいじめられるなど家族にまで影響が出たため断念。
*13 当時の巨人監督(二次政権)。2006~15年の10年間務めていた。
*14 2013年。相手は奇しくも自分が交代させられた原率いる巨人であった。
*15 野球には女子の競技人口が少ない弱みがあり、「男女同権」を理念とする五輪では敬遠されることが多い(女子競技としては代わりに野球とは似て非なるソフトボールが採用されている)。東京五輪における野球競技も開催都市が任意で追加できる正式種目枠として開催できたものであり、次回の2024年パリ五輪でも再び除外が決定している。ただしその次(2028年)のロサンゼルス大会では開催されることになっている。