2008年北京五輪の野球日本代表を指揮した、星野仙一による優勝宣言のこと。
概要 
アテネ五輪で日本代表監督であった長嶋茂雄が脳梗塞で倒れ途中から急遽指揮を執った中畑清によってオールプロで臨んだ前回のアテネ大会では銅メダルに終わった。
その次の北京五輪代表ではその雪辱を晴らすべく星野に白羽の矢が立つ。この五輪代表はアジア予選ではほぼプロ選手*1が派遣され、満を持しての態勢*2で臨むこととなった。
しかし星野は短期決戦に非常に弱い*3ことでも知られ、また星野が招集したコーチ陣は東京六大学野球出身の学閥*4で固められ、お友達野球とまで揶揄される。またコーチの山本・田淵・大野豊は指導者としてかねてからその能力に疑問符がついており*5、そのうえ冒頭の宣言と共に前任の中畑を事あるごとに扱き下ろすような発言を繰り返す、「星野JAPAN」の商標登録、山本田淵ともどもカレーのCMに出演*7するなどパフォーマンス先行の行動にファンから不安の声が上がっていた。
結果は4勝5敗、3度のエラーで金メダルどころか前任の中畑体制で獲得した銅メダルすら手にすることができず、4位に終わってフラグを回収。いろんな意味で有言実行となってしまった。
また、この北京五輪は同年のプロ野球の順位に大きな影響を及ぼし、特に最大13ゲーム差と独走しながら逆転された阪神は「オーナー付きシニアディレクター」という職を与えられ高給を食んでいた「身内」に足を引っ張られることとなった*8。また中日は子飼いの川上憲伸や岩瀬仁紀に対する理不尽なまでの酷使*9を理由に翌年WBCへの選手派遣を拒否するようになる。星野の酷使によって巨人の逆転優勝をアシストする形となった為に、年月が経過した今でも恨んでいる野球ファンも少なからず存在する。
星野はこの後すぐ行われるWBC日本代表監督続投を志すが、イチローや野村克也による懐疑論を口火に頓挫*10。前任の王貞治の「WBCは現役のプロ野球の監督がいいだろう」との鶴の一声があった結果、WBCの監督は原辰徳*11に決定することとなる。
その王の期待に応えた原はWBCで見事優勝を達成する。原への賞賛を尻目に星野の名声は地に落ち、後に楽天監督に就任し球団初の日本一を果たすまで辛酸を嘗めることとなった。
この時果たされなかった金メダルの夢は、北京五輪から13年後*12、星野の没後3年半経った2021年東京五輪で当時の代表メンバーだった稲葉篤紀が率いる日本代表によって、1次リーグ含め5戦全勝と言う完璧な形でようやく叶えられた。よかったね、おめでとう。