交錯する螺旋その1-例えばそれは、さりげない日常の中で-

Last-modified: 2018-12-02 (日) 21:08:02
 
 
 
 

終末(おわり)を知って生きることは、幸せなのか不幸なのか

 
 

その答えは分からない。

 
 

だけど、

 
 

未知に対する憧れだけは確かにあった。

 
 

手の届かないその先

 
 

交わる未知

 
 

織り成される、極彩色の縞模様

 
 

それを我(わたし)は、何よりも"美しい"と感じたのだ

 
 
 
 

 
 

「最近、聖杯戦争が今まで以上に各地で頻発している」

 

そう切り出したのは、時計塔の若きロード、
ロード・エルメロイ2世と呼ばれる、現代魔術科のロードであった。

 

「……聖杯戦争、ですか」

 

それに応えるのは、時計塔で現在は講師になるために研究を続けている少女。
………………しかし、その以前は、オランダで発生した聖杯戦争を生き抜き、
そしてイギリスで発生した聖杯大戦を勝ち抜いた、一人のマスターであった。

 

「かつての生徒である君を、こうして死闘の渦へと招くことを、本当に申し訳ないと思っている。
 だが……私はあの死闘が、地獄が、今も世界中で巻き起こっているのではないかと考えるだけで、不安で夜も眠れない」

 

エルメロイ2世は、葉巻の灰を灰皿へと落としながら言う。
その口調は平坦な物であったが、その指が微かに、ほんの微かに震えていることを、
マスターの隣に立つ英霊は見逃さなかった。

 

「どうか、原因究明に協力をしてほしい。
 このような事を頼めるのは、二度のあの戦争を乗り越えた君しかいない」
「任せてください。ロード・エルメロイ」

 

軽快に頷くは、恵梨佳の隣に立っていた一人の英霊であった。
名をオデュッセウス。ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』に描かれし、
誉れ高きギリシャの英雄である。

 

「……できれば、2世をつけて頂くとありがたいです。アカイアの軍師」
「おっと、これは申し訳ない。では、ロードエルメロイ2世。今後の事は僕らに任せて、
 …………貴方はどうか、時計塔の安寧と平和の維持に努めてください」
「お見通し、というわけですか。流石はサーヴァントですね」

 

エルメロイ2世は苦く笑う。
時計塔に於いて、ここ最近不可解な事件が発生し続け、生徒間に波紋が広がっている。
エルメロイ2世はその為にも、この時計塔を離れることが出来なかったのだ。

 

「それと一つ、聖杯戦争に関連して奇妙な情報を掴んだ」
「……奇妙?」

 

マスターの疑問に対し、エルメロイ2世がこくりと頷く。
「猟番(ゲームキーパー)と呼ばれる魔術師が、セイバーのサーヴァントを連れていると聞く。
本名は不明。どうも数多くの聖杯戦争に手を出し続け、聖杯戦争を知ったという魔術師らしい」
「猟番(ゲームキーパー)…………」

 

オデュッセウスがエルメロイ2世の言葉を反芻するように呟く。
だがすぐに、トンとその胸を自ら叩いて鼓舞するように言う。

 

「安心してください。どんな敵が立ちはだかろうと、頼まれたことはこの手で遂行して見せますとも」
「ええ、アーチャーの言う通りです。二度の聖杯戦争を乗り越えたのです。きっと、生きて帰って見せます」
「…………すまない。ありがとう」

 

そう言って、エルメロイ2世は頭を下げた。

 

────────
────
──

 

────────数日後、ある場所にて

 

「よっと、……うん。まぁ、今回も普通の手ごたえだったね」
「ありがとうセイバー。よくやってくれた」

 

一人の魔術師が、剣を振るう少女に対して礼を言う。
少女の方は、その魔術師に対してにひひと悪戯っぽく微笑み感謝を述べる。

 

「何言ってんの! あんたが上手く使ってくれてるからでしょー?」
「んな事はない。オマエが上手く立ち回ってくれているだけだよ」

 

楽しそうにはしゃぐ少女剣士に対し、魔術師の方は少し呆れ気味にため息をつく。
そんな二人組の前に、もう一組、魔術師とその使い魔(サーヴァント)が現れる。

 

「やぁ、やぁやぁ。お楽しみの最中申し訳ないね」
「ここで聖杯戦争……っていう儀式が起きていたそうなんですけれど、貴方……何か知りませんか?」
「────────────────」

 

現れた魔術師は、赤髪であった。隣に立つ青年……いや、女性であろうか。
そちらは魔力量からして、サーヴァント。そして魔術師の方は、その服装から
時計塔の魔術師であることを、剣士の隣に立つ魔術師は一目で察知した。
サーヴァントのクラスを、マスターとしての特性で男は把握する。

 

「……アーチャーか」

 

一触即発……とまではいかない物の、冷たい空気が響き渡る。
しばし続く沈黙。その沈黙を破ったのは、快活そうな雰囲気を纏う少女剣士であった。

 

「ひょっとしてあんた? この聖杯戦争でなんとなく感じていた視線は?」
「おっと。可愛い子に気付かれるだなんて光栄だなぁ」

 

へらへらと赤髪の少女のサーヴァントは笑う。
それに対し、何処か既視感を感じた男の魔術師は、一つ問いを投げかけてみる。

 

「……オマエ。いや、"お前たち"、どこかで会ったことが、有るか?」
「────────いえ」
「ないけれど、僕は君らの事を知っているけどなぁ?
ねぇ? 猟番(ゲームキーパー)さん?」

 

ふふ、と楽し気に笑うアーチャーを見て、ハァと男はため息をつく。

 

「やれやれカマをかけるつもりが逆にかけ返されるとは。
となると、ある程度の調べはついているのだろう?」

 

そう言いながら彼は肩をすくめる。
そして彼は、自らの素性をあえて明かす事にした。

 

「そのセイバーの口調から、多くの聖杯戦争を乗り越えているのは分かるよ。
どれくらいの聖杯戦争を超えてきたんだろうね? ……えーっと」
「真楽遣児。……まぁ数をこなしたとは言っても、正直形だけだがね」

 

対峙した青年は、少し自嘲気味に答える。
真楽遣児、聖杯戦争に介入し続け、何時しか猟番(ゲームキーパー)と呼ばれるようになった男。

 

自嘲気味に話す男に対して、
その横にいる少女は快活に笑い自己紹介をした。

 

「アタシは猟番のセイバー。
まぁ彼のサーヴァントっていうか、御守り? みたいなものね
同じギリシャの英霊同士、どうかよろしくね?」

 

その少女の英霊を見て、黒咲恵梨佳と
サーヴァント、オデュッセウスは目を見開いた。

 

「……受肉、サーヴァント?」
「へぇ、分かる? さっすがギリシャ屈指の知将!」

 

そう、男の連れていたサーヴァントは、確かに受肉していた。
それだけに、男がどれほどの聖杯戦争を体験してきたのか、そこに至るまでの経緯を
少女は予測するに難くなかった。

 

「……英霊の受肉……、そこに至るまで、どれほどの……」
「大したものじゃない。ただ少し……紆余曲折があっただけだ」

 

男は話を逸らす。実際彼の道のりは言葉で言い合わらせられるほどに単純ではない。
結果として、アルカトラスの第二十八迷宮『ドゥオ・フォリウム』において紆余曲折を経て聖杯を得、
そして己のサーヴァントをその奇跡と引き換えに受肉させパートナーとした、という結果があるだけは確かだ。

 

互いの腹の探り合いが続く。
だがしかし、その探り合いに終止符を打ったのは他でもない。
最初に探り合いを始めたアーチャー本人であった。

 

「やめよう。"今"互いに互いを知ろうとしても、泥沼になるだけだ」
「そのようだな。恐らくだが"この事件はこれからも続く"」

 

真楽遣児は確信をもってそう呟く。
数多くの聖杯戦争を駆け抜けてきた男だからこそ分かる違和感。
聖杯戦争が乱発している……ではない。"ここ最近の聖杯戦争は、全て繋がっている"と。

 

「へぇ? じゃあ」
「ああ。あんたたちと僕たちは、いずれまた出会う」

 

真楽遣児は眼前のアーチャーと赤髪の魔術師を見据えた上で宣言する。
その姿を見たアーチャーは、満足そうにうなずいてクルリと踵を返した。

 

「うん。分かった。じゃあこの場では去ろう。
名前も知れたことだし。それにあくまで僕らの目的は聖杯戦争の調査だしね! 行こっ恵梨佳」
「…………ええ。貴方がそう言うのなら、まぁそう言う事なんでしょう」

 

そう言いながら、アーチャーの隣に立っていた少女もまた踵を返し、アーチャーについて行く。

 

「…………オマエも時計塔の魔術師か」
「恵梨佳よ。黒咲恵梨佳。今は時計塔で研究の成果を
認めさせるための研究を続けている、一人の魔術師よ」

 

そう言い残し、二人は去っていった。
残された2人もまた、何処かへと去り消えていった。

 

この邂逅は、普通なればとりとめもなき邂逅に過ぎないであろう。
だが、これより開くは在り得ざる宴。語られる事を許されなかった禁忌の物語。
此の邂逅もまた在り得ざる物。これより世界は、急転直下に混ざり始める。

 
 

 
 

「やぁーやぁー、これはどうも
 今日は呼んでくれて感謝感激あめあられー」
「ああ、初めましてになるな"自称魔術師"さんよ」

 

一人の麗しい金髪の女性がひらひらと、どう見ても異国出身としか見えない一人の男に手を振る。
対して手を振られた男は、疑心暗鬼と言い表すにふさわしいように目を細める。手にはメモ帳とペンを持ち、
首からはカメラをぶら下げ、如何にも"取材記者"と呼ぶにふさわしい風貌であった。

 

男の名は、ガイ・J・アッキーズ。ある雑誌で謎を追う記者をしている。
ひょんなことから聖杯戦争の事を知り、それ以来魔術師関連を追っては記事にしている男である。

 

「自称魔術師だなんて酷いなぁ。私には空蝉瞳というれっきとした名前があるんだよ」
「名乗られたから知ってるよ。その空蝉とやらが魔術師一家の一員の姓だってのもな」
「おお、覚えていてくれてこれは嬉しいね」

 

女性はふふっ、とどこか悪戯めいた笑みを浮かべながら大仰にリアクションをする
対してその男は、どこか冷めた様子で女性に対して言葉を連ねる。

 

「ん? 浮かない顔だね?」
「そりゃそうだろうよ。こちとら今まで幾度となくガセネタを掴んできたんだぜ?
 自称魔術師なんざいくらでも取材してきた! だがそれらは大体ペテン師詐欺師マジシャンだったからな!」
「でも、君はここに来た。そうだろう?」
「そりゃそうだ」

 

フン、と短く不機嫌そうに男は息を吐いて男は女性をじっと見る。

 

「"柏木星司"ってぇ知ってる名前出されたら、そりゃ来るしかねぇだろ」
「へぇ、君は会ったことがあるんだ。彼に」

 

少し眉を上げて、女性は嬉しそうに笑う。
柏木星司、それはある事情から龍の心臓を持って生まれた少年の名前。
弦糸五十四家という、ある事情より集まった魔術師一族に追われ、逃げ出した一族を継いだもの。

 

かつてこの外人記者は、本来出会うはずのない"世界"にいるこの少年と邂逅したことがあった。
同じ謎を明かす"記者"という存在としてシンパシーを感じ、しかしその自分の目標に賛同してくれなかった故に、
「なんで分かってくれないんだよー!」と詰め寄ったりした過去を持っていたりする。

 

そして、その出会った場というのが他でもない。
彼が世界中を股にかけて追っている謎の都市伝説、通称"聖杯戦争"の真っただ中であったからだ。
恐らく、その柏木星司は何かを知っている。故にその彼を知っている目の前の女も知っている。
そう考え、彼はこの場にのこのこと現れたわけである。

 

「なんで知ってるかは知らねぇ。
 お前がその弦糸なんちゃらって一員なのかもしれないし、
 それともお前さんがエシュロンにハックして偶然名前を知っただけかもしれねぇし、
 ひょっとしたら俺にマイクロチップを寝てる間に埋め込んで心を読んだのかもしれねぇしな。
 まぁどれでも良い。とりあえず会う価値はある。そう考えて、俺はここに来ただけよ」
「なるほど、ね。弦糸五十四家の連中の名前を片っ端から出した甲斐があったよ」
「んで、俺を呼んだ理由は何だ?」

 

男は訝しむように女を見る。
女性もまた、その男の顔をじっとのぞき込むように見る。
刹那、その女性の持つ鮮やかな朱色の眼が、キラリと光ったような気がした。

 

「情報を共有したいだけなんだ」
「目的は?」
「利害の一致だよ。君は私達魔術師の事を知りたいんだろう? 全部教えてあげるさ!
 弦糸五十四家にオリジンストーン、紋章院にアクシア聖団にフリーメイソン! ……はもう終わったんだっけ」

 

フリーメイソン、という単語に男はピクリと眉を動かす。

 

「あ、知ってる?」
「当然だ。俺を誰だと思っている。そう言うのには敏感だぜ?
 しかし、フリーメイソン以外は知らねぇな……俺もモグリになっちまったって訳か?」
「あはは! まぁ紋章院とかは秘匿中の秘匿ものだしね! 知らなくてもしょうがないさ!
 そして、その知らない部分を教えてあげる代わりに、私はそっちの情報を知りたいわけなんだよ」

 

ビシッ!と女性はテンション高めに外人記者を指さす。
その言葉に、外人記者はううん? と首をかしげる。

 

「知りたい……っつっても俺はほとんど知っている事なんかないぜ?
 せいぜい不自然な虹がかかっただの、やべー塔が立っていただの、日本の大阪で城の幻影が立っただの、
 そういった噂しか知らねぇ。そういうもんはむしろお前さんらの方が得意なんじゃねぇのか?」
「いやいや! 実は私はそう言うのには縁が無くてねぇー! まったく知らない!
 でも周りのみんなはなんか常識みたいに話すんだ! これがもう我慢ならない!
 知らない事を皆が知っているは辛い! 耐えられない! というわけで、情報通そうな君に白羽の矢が立ったわけさ!」
「…………悪い話じゃなさそうだな。知っていることを言うだけで、知らない情報が手に入るわけか」

 

ニィ、と外人記者が口端を釣り上げる。

 

「その話乗った。なにより、"情報通"と呼ばれるのは気分が良いしな」
「それはありがたい。それじゃあまずは……そっちの知っている事件と、それに関わった魔術師たちについて教えてほしいかな」
「ん、良いだろう。まずは外道の嬢ちゃんからかなそうなると。あいつはなー…………」

 

外人記者が語りだす。それと同時に朱色の瞳の女性はニヤリと笑う。
女性の名は、先に名の挙がった弦糸五十四家の一員にして"空蝉派"と呼ばれる過激派一派の代表、空蝉瞳。
"ある目的"の為に暗躍を続け、その人の記憶と感情を全てつまびらかに明かす『蜘蛛の眼』を持つ、狡猾な女性である。

 

「(外道一族に星見一族、ねぇ……聞いたこともない魔術の家系だ。
 なるほどこれは、"世界が混ざっている"といった彼の言葉もまんざら嘘ではないらしい。
 面白い。実に面白いね。世界が2つ重なるとなれば、"楽園への道を開くサーヴァント"の降臨の可能性もグンと上がる。
 存分に、存分にそちら側も利用させてもらうよ。まずはその第一段階として、彼から情報を可能な限り知りたいところだ)」
「聞いているかい?」
「ん? ああ、続けて」
「んでこの聖杯戦争がまた多発しているみたいでな?
 政府はひた隠しにしているが俺は突き止めたぜ。記者の意地でな。
 イギリスじゃ今日も失踪が多発してると聞く。こいつぁ紛れもない聖杯戦争だ!」

 
 

 
 

────深夜英吉利、とある街にて

 

「もし、そこの御方」

 

一人の青年……というにはいささか老けた男が、一人の女性に声をかける。
男性の方は、雰囲気から40代前後、女性の方はすれ違う男性全てが振り向くような、
絹のように白い髪と、美しい容貌を持っている、文字通りの美女であった。

 

「あら、何かしら? 言っておくけれど、ナンパはお断りよ?」
「滅相もありません。ただ、一つ忠告を。近頃この辺りでは、若い女性が度々失踪しております。
もう夜も更けた今、貴方のような女性が出歩かれるのは危ない。すぐにご帰宅される事をお勧めします」

 

男性はその女性の美貌に惑わされる事もなく、優しく声をかけ真摯に女性を心配する。
彼の名は天野隼人。ある大学で非常勤講師を務める傍ら、反(聖杯)戦争互助会AMANOの一員として、
聖杯戦争の記録者としての面も持つ、知識の求道者たる魔術師でもある。

 

「あらありがとう。優しいのね」

 

ニコリ、と女性は微笑む。
その柔らかな笑みだけで、通常の男性数十人は優に堕とせるであろう美しい笑みであった。

 

「でも、その失踪の原因……死徒でしょう? 確かあのアルト……の眷属の。
夜な夜な自分の子供を成せる女性魔術師を攫っては、妾にして愛したり血を吸ったり……。
ああ怖くて夜も眠れませんわ。でも、私死徒を相手取るのは得意ですので、ご心配なさらずに」

 

ふふふ、と静かに女性は優しく笑う。
だが薄く開かれたその瞳は、その優しさは表面上の物であると物語っていた。

 

「……魔術師……いえ、違いますね。鈍感な私にすら解る、この莫大な魔力量。
……これは…………ふむ、うちにいる"彼女"と同じ……。境界記録帯、ゴーストライナー……でしょうか?」
「あら、詳しいのね? ただの良い人じゃなく、裏では危険な狼か何かなのかしら?」
「魔術師が狼のような危険な存在であることは、否定できませんね……」

 

男性は苦笑い気味に答える。
対して女性は、純真無垢という言葉を体現したかのような笑みで男性を誘う。

 

「でも、心配してくれたのは嬉しいわ? ここ最近知ってる顔でもそんな言葉かけてくれなかったんですもの
お茶でもしていきません? 貴方に少し、興味がわきました。まぁ、断ればこの場で貴方のある事ない事振りまいても良いのですが、ね?」
英霊とお茶とは、恐縮です。このような私でよろしければ、ご一緒しましょう」
「ありがとう。お礼に真名を明かしてあげる。まぁ、別にこれといった弱点もないし。
私の名前はキルケー。アイアイエ島の古き魔女よ」

 

そういって二人は、本来出会うはずのない二つの世界の住民たちは、
夜のバーにて互いに互いの知る領分を語り合った。

 

「へぇ、最近聖杯戦争が頻発しているの。怖いわね。
私も少し昔はここ英吉利で大きな事しでかしちゃったけど、それ以上に大きなことが起きているみたいね」
「お詳しいですね……。しかし、イギリスで聖杯大戦……? そのような記録はありましたでしょうか……」
「多分、本来あなたの可能性と私達の可能性は似て非になるモノなんでしょうね」

 

つつぅー、とキルケーがワイングラスのふちを指でこすりながらほのかに笑う。

 

「可能性、平行世界の話でしょうか?
しかし、先の死徒の情報もそうですが、何故そこまで?」
「千里眼、よ」

 

とんとん、とキルケーは目の横の部分を指で叩いて、
その美麗なる金色に輝く瞳を強調する。

 

「高位の魔術師ならば必須でしょう?過去視とか、あと透視も得意なの
最近どうも、過去が混在しているのを観測出来たから、これは何かあるなと調べてたの。
さっきの死徒も、数日前の私だったら名前すら知らなかったわ」
「……………なるほど、流石は英霊といったところでしょうか」
「貴方も、何故ここらで人がいなくなっているって分かったの? 貴方日本人でしょう?」
「ああ、紹介が遅れました。私は日本のAMANOという組織で聖杯戦争への対策を講じ、神秘の概念について知識を蓄えています。
その中で、ここ数日ここイギリスでの怪事件が多数発生していると聞き及び、こうして出向いた次第です」
「ふぅん、だったら、良い人脈を紹介してあげる」

 

そう言ってキルケーは、胸ポケットからメモ用紙を一枚取り出す。
そして、まるでマジックのように何処からともなく取り出したペンで、スラスラと電話番号を綴りだした。

 

「ハイ。これ柏木フリージャーナルへの電話番号。
私の名前を出せば向こうも分かってくれると思うわ」
「フリージャーナル…………? 新聞や雑誌の編集者か何かで?」
「ううん、そう言うのじゃないの。弦糸五十四家……って言っても分からないかしら?
魔術の家系から派生した情報収集業みたいなものよ。前に、ちょっと色々あって以来友達なの。
多分、いいえ……きっとあなたの役に立ってくれると思うわ」

 

何処か、誘惑する魔女のような怪しい笑みでメモ用紙を渡すキルケー。
だが天野は、その怪しげな雰囲気にのまれる様子もなく、そのメモを迷いなく受け取った。

 

「ありがとうございます。大切に使わせていただきましょう」
「驚いた。貴方疑うってことをしらないのかしら?」
「そうかもしれませんね。私はどうも、知るという事……
知識を得る事に対して酷く貪欲になってしまう。これが起源というものなのかもしれません」

 

天野は少し、どこか恥ずかしそうに頭を軽く掻きながら答える。
その姿にキルケーは、目の前の男性に気付かれないようにニマァと口端を釣り上げる。
それはまるで玩具を見つけた童女のように、それはまるで獲物をその目に捉えた鷹のように。

 

「まぁ、それは光栄ですわ。私の言葉がお役に立ってくれたのなら、魔女としてこれ以上の栄誉は在りません」
「キルケーと言えば、かつてオデュッセウスに対してスキュラーとカリュブディスの助言をした事で、有名でしたね」
「ええ。まぁ、うん。そうね。ええ」

 

一瞬、目線を天野から外してキルケーは曖昧に返事をし、
そしてすぐさまにもう一度、今までのように笑い返す。

 

「先の忠告のお礼に、此方からも最後に一つだけ忠告して頂きますね?
これからもっと、この異変は、世界の混ざりは激しくなってきます。きっとあなたも近いうちに……
それでもあなたはこの異変を"観測"するというのでしょうか?」
「無論です」

 

男は目線を鋭くし、即答した。

 

「私の役割は、知る事ですので」
「そうですか。では私は何も言いません」

 

そう言って女性は立ち上がり、静かに会計を済ませて店を後にした。

 

「……美しくも、恐ろしい女性でした。私など、一瞬で飲まれてしまいそうな。
あれも、英霊。あのような方々が、これから先、増えていくといいますが……。被害のないように、止めなければなりませんね」

 

男は決意する。
その決意の裏で、一人夜の街に戻った魔女はクスリと笑う。

 

「うーん、なかなかだったけど、精霊侍女にするには程遠いかしら? それにしても……
────思ったより早く"混ざって"いるわね。早くこっちで解決策、見出さないと」

 

そそくさと、早歩きで魔女はイギリスの夜の道を往く。
静かなるその夜の背後には、悍ましき死徒と渦巻く欲望の戦禍、
────そして、それらを監視し、そして狩る"代行者"たちが存在していた。

 
 

 
 

「ここ……ですか、ね? ああ、あったあった」

 

某所にある工房にて、仮面を一人の女性が訪ねる。
女性の名は、クロニク・ナビ・ナバ=アンディライリー。
紋章院の幹部である、紋章官を務めている一人の女性だ。

 

紋章院。それは魔術的共産主義を掲げ、全人類の神秘の完全共有を目指すと唱える……魔術世界の中でも異端の組織。
だが、跡継ぎが居なくなった魔術師の魔術刻印を保存するなど幅広い事業に手を出している為、所属魔術師が多いことで有名。
ほかに、魔術で生み出されたホムンクルスや礼装など、多くの"作品"と称された存在が世界中に遍在している。

 

「…………だれなのです?」

 

突然の訪問者に、その工房の主……ルピナス・カートライト=ルピノは身構える。
姿は10を満たすかどうかという幼い少女。だが魔術師にとって姿形など判断基準にもならない。
そう思考したクロニクは、目の前で不思議そうな顔をしている少女に対して淡々とここへ来た理由を説明する。

 

「えーっとですね……、この付近に所属している魔術師の1人が行方不明になりました。
ロリコンで死んでも仕方のない人でしたが、それでも魔術刻印を担保に出しているうちの正式なメンバーです。
────────────何か、知りませんでしょうか?」
「んー、申し訳ないですが、ルゥは知らないのです」

 

少女は同じように淡々と、平然な口調で関与を否定した。

 

「あー、そうですかー……」

 

二度、三度、頷いて、クロニクはハァと短く息を吐いて続ける。
そして少し、どこか呆れたような表情で、嘆息げに呟いた。

 

「その魔術師の魔術刻印の反応、この工房ど真ん中からしているのですが、
それで知らないとおっしゃるのですか。そうですか…………」
「分かるのですか」

 

少女はほほう、と何処か楽し気な雰囲気で言う。
そして

 

「ソフィアちゃん」

 

短く呟く。それと同時に黒鍵が突如として投擲される。
それをクロニクは、華麗に上半身の動きだけで回避した。

 

「離れてください、ご主人様」
「……メイド?」

 

そこに現れたのは、メイドのような鎧に身を包んだ女性であった。
手にしている物は、代行者の武器たる黒鍵。その不釣り合いな姿に、
クロニクは目をぱちくりと開き、そしてそのまま思わず首をかしげる。

 

「私達の安寧の場を荒らしに来た魔術師め! ここで成敗してくれる!!」
「んー? えーっと……あれ? 貴方ひょっとして男性ですか? いえ体は女性……ああ、これ随分と継ぎ接ぎですねぇ……。
いえ、つなぎ目が素人ですがつなぎ方は随分と……。ああ、凄い。良く幼いのにここまで丁寧に仕上げましたね」

 

黒鍵を構えるソフィアと呼ばれた女性を、まじまじと見つめながらクロニクは笑い、思わず拍手をした。
その拍手は、そのソフィアに向けての物ではない。その後ろで守られている、一人の少女に向けての物であった。

 

「…………え? 分かるんですか? これ?」
「ええ、はい。これでも数多の作品を輩出した紋章院の幹部ですので。
人体を弄った経緯ならばそれなりに。貴方でしょう? これをやったのは」

 

ふふふ、と意地の悪そうな笑みをするクロニク。
対して少女の方は、今までは困惑の表情であったが、今はどこか不機嫌そうであった。

 

「お話ししましょう? 幼い天才さん?
それとも、この可愛いメイドさんで私が直々に"遊び方"を教えてあげましょうか?」
「…………………………貴様、何を言っている?」

 

ソフィアと呼ばれた少女。否……かつてはある一人の男性の代行者であったが、
このルピナスと呼ばれる少女によりメイドに作り替えられた者は、話の意味が分からないとばかりに困惑の表情を見せる。

 

「それは困るのです。まだまだ遊び足りないですし」
「では、少しだけお話ししましょう」

 

ニコリ、とクロニクが慈愛の女神のような表情をする。
対してルピナスは不機嫌そうに、ソフィアを下げてクロニクを客間に案内した。

 

「(それに、"お父様"がとても興味を示している事ですしね。
…………"狼の名を持つ人狼集団、この眼で見たのは初めてだ"……と)」

 
 

 
 

『………で、どうだったんですか?』
「どうって、毎度馴染みの一方的な通告よ。
 "突如世界各地で聖杯戦争が勃発している。主への冒涜たるこの事態に際し一層の信仰を期待する"……と。
 要するに人狼局でも聖杯戦争を見張れ、監督役を代行しろ、と。いい気なものね」

 

携帯端末からの堅い声に耳を傾けつつ、指に挟んでいた火のついた紙巻煙草を唇に咥える。
痩身の男だった。取り立てて特徴がないのが特徴とでも言うべき、のっぺりとした印象の男だった。
顔つきにはまだ若さの残滓を遺しているが、目尻に浮かんだ皺は彼を初老ほどの男と推察させる。
まるで魂から発しているように着ているスーツから香るのは煙草のほのかに甘い匂い。
あとはくすんだ金髪の白人であるというだけで彼の外見を形容する言葉は尽きてしまう。
意図的にそうして特徴を殺しているようにさえ思える、得体の知れない男だった。
というより、「ウィリアム・スミス」なんて名前からして間違いない……と、彼の通話終了を待っているシスター・アントニアは思う。
アメリカなら「ジョン・スミス」、イタリアなら「マリオ・ロッシ」、フランスなら「ジャン・ピエール・ベルナール」。
日本ならば「山田太郎」だ。ウィリアム・スミスはイギリスのそれ。胡散臭いにも程がある。
本人に聞いたところできっと煙に巻かれるのが落ちだが……。

 

『監視はともかく監督役って……人狼局がですか?まるきり部署違いでしょう』
「そうねェ。カナメクンもここのところの出動で気付いていると思うけど、教会は今どこも人手不足よ。
 軽く探ってみたけれど何が原因で聖杯戦争が乱発しているかまるで掴めてないみたいね。
 かといって聖堂騎士団においそれと泣きつくわけにも行かないし……本部は今嵐の真っ只中と。そういうこと」

 

退屈そうにスミスが呟く。言葉と一緒に煙が吐き出された。
……アントニアは預かり知らぬ話だったが、彼は聖堂教会において代行者と呼ばれる者であった。中でも『人狼局』と呼ばれる者たちであった。
異端狩りの輩、その中でも『狼』と呼ばれる集団を狩る『狩人』―――と、言えば聞こえは悪くないが。
実際のところはメインターゲットからはいくらか外れたところを埋める、教会内部でも末端に位置する集まりである。
必然、代行者たちの中でもあぶれ者や変わり者、実力不足から配置された者、奇人変人の掃き溜まりとなっている。
そんな狩人たちの中でもスミスは前線に出るよりは専らメッセンジャーや対外折衝役であった。
零細部署である人狼局がそれでも予算を獲得出来ているのは、局長とスミスがあれこれと手を尽くしているからというのが局員の間における専らの噂である。

 

「只のひとつでも『聖杯』と名のつく儀式に監視役を送り込めないようでは、主の奇跡を掠め取る薄汚い魔術師共に舐められるというわけ。
 そのためにこんな部署まで動かすなんてまさに本末転倒だけれども、無視するわけにもいかないでしょう。
 ともあれ君は引き続き通常業務。人狼局の、そして主の名の元に『狼』を駆逐することを考えていればよろしい」
『……………はい』
「では代行者クロガネ・カナメ。送付した資料が次の君の任地です。疾く赴き、主の行いをお助けなさい」

 

クク、とくぐもって聞こえた音は老人のように痩せた喉から響いた嗤い声か。
スミスが皮肉げに微笑みながら吸い終わった煙草を揉み消した。喫煙スペースの灰皿に吸い殻を放り込む。同時に通話は切れたようだった。
声も低めだし何処をどう見てもスミスは男性なのだが、口調は女性のそれだ。とかく何をするにしても胡散臭い神父だった。
偶然祈りを捧げているところを見たときは『ああ、こんな人でもまっとうに信仰心があるのか』と感心してしまうくらいに。
早速紙箱から煙草をもう1本取り出しながら、アントニアへと向き直る。

 

「失礼、お待たせしました」
「ああいえ、大丈夫ですよ。お忙しそうですねぇ」
「なぁに。本来の職責と聖杯戦争の監督役の任、どちらも大事なことですからね。
 さて何処まで話しましたっけ?」

 

そう言いつつスミスは咥えた新しい煙草に火をつける。
ここイギリスでは煙草規制が進み、普通に買うとべらぼうに高い。喫煙者には厳しい国だ。
そのためか、スミスの持っている紙巻き煙草の銘柄もイギリスで販売されているそれではなかった。
渡航先から持ち込んだのだろう。一瞬見えた紙箱のパッケージは東洋を思わせるエキゾチックな装いだった。
―――そう。現在アントニアとスミスの姿はイギリスの片田舎にある地方都市、ノートンフィールドの街角にあった。
ロンドンから列車を乗り継いでやってきたスミスをこうして先に現地入りしていたアントニアが出迎えたのだ。
仮の拠点となる外れの教会へ向かう最中、ひどいヘビースモーカーらしく喫煙の暇を要求したスミスにこうして今は付き合っている。
ふたり以外に人のいない寂れた喫煙スペースへ、ゆっくりとスミスが吐き出した煙が棚引いていった。

 

「ああそうそう、お互いの認識の摺り合わせだったわね。
 私は今回この街で行われるという聖杯戦争の臨時監督役として、あなたはその補佐としてここにいます。それはいいかしら」
「は、はいっ。……うう、どうして私が補佐とはいえ監督役に指名されたのか全然分からないのですが……」
「それは災難。
 今聖堂教会はとても忙しないことになっていてね。こと聖杯戦争に少しでも加担したことのある人材ならだいたいお呼びがかかっているのよ。
 こちらでもあなたを調べさせてもらったのだけれども、本来の監督役から急遽引き継いで聖杯戦争を成立させたんですって?
 お見事、と同時にご愁傷様です。そんな人材を放っておけるほど今の教会に余裕はないわね」
「あ、あははは………『曲がりなりにも』、と但書を付け加えておいてください………」

 

曖昧に微笑みながらアントニアはスミスを見る。いや、見上げる。
150cmを切るほどに小柄なアントニアからすると、彼は十分に大男だった。
ゆうに180cmは間違いなくあるだろう。まさに大人と子供。
針金で四肢を編んだような痩身なので圧迫感こそないが、どちらにせよ頭の位置は何回りも上にあるのは確かなことだ。
背丈は勿論、女性らしい豊かな体つきにも欠けることを悩むアントニアにとっては、彼と並んで立つこと自体コンプレックスを刺激される。
ひとつ救いがあるとすれば、スミスが一度も体格のことを話題にしたり子供扱いしないことくらいだ。
ひょんなことから聖杯戦争に携わり、思わぬことから監督役を代行し、それを切欠に望まぬ形でアントニアは聖杯戦争という儀式に関わってきた。
あくまで根底が小市民なアントニアは関与するたびにストレスを抱えている。
そんな彼女にとっては彼が自分の気に障る部分に触れないだけでもいくらか気が楽だ。
スミスの目が街並みに向いている。煙草から紫煙がぷかぷかと立ち上っていき、やがてそよ風にさらわれていく。
遠くへ耳を澄ませば公道を走る車の音。背丈の低い屋根に止まった小鳥が囀る声。何処からか水の流れる生活音も聞こえる。
夜になれば魔術師たちの欲望が交差する戦場へ変わるなど考えられない。ごく当たり前の平和な街の姿があった。

 

「……いろいろ不可解なことも多くてですね」
「え?」
「今回の聖杯戦争のことです」

 

アントニアがスミスの横顔を伺うと、窪んだ眼窩の奥からぼんやりと空を見つめている。
煙草をふかしている様や祭服ではなく黒のスーツを着ている姿は神父というにはあまりに夜の雰囲気が漂いすぎている。
まるでドラマに出てくる刑事のようだとアントニアは思った。正義感に燃えているというより清濁併せ呑むタイプである。

 

「魔術師たちの間で聖杯戦争という儀式の基盤が流出して久しく経ちました。
 日本のある地方都市から発したそれは今や世界中で亜種たるものが行われています。
 聖堂教会としては認め難い事実ですが……まぁ、これはさておき。
 それが今、同時多発的に世界中で行われている。まるでタイミングを示し合わせたかのように」
「………」
「勿論聖堂教会でも原因を探る動きはありました。何者かが―――ええ、時計塔あたりが裏で糸を引いているのではと。
 ところがまるで動向掴めてないのはあちらも一緒。異常事態を受けてまさかの共同歩調、なんて案も出てるらしいわね」
「えーっと、ち、ちょっと待ってください。それ私に聞かせていい話なんですか?」
「よくはないです。本来私が知っていること自体問題があります」
「ええ………」
「ただ私が監督をする補佐を務めてもらう以上、知るべきことは知っておいてください」

 

煙草を一吸いして煙を吐き出す。
赤錆の浮いた屋外灰皿へ吸い殻を擦りつけて火を消しながら、アントニアの方へゆっくりと向いた。

 

「個として見るなら今からこの街で行われるのは何の変哲もない聖杯戦争。
 しかし全体としては大きな異常のうねりの中にあります。何が起こってもおかしくはありません。
 それだけは肝に銘じておいてください、シスター」

 

平坦な口調ではあったがその言葉はいささか厳かにあった。
元より聖杯戦争とは殺し合いに他ならない。例え争いの外にある監督役とはいえ、絶対の生命の保証はない。
聖杯戦争の運営に貢献したマスターへ賞与としての令呪を贈呈するのは監督役の務めであるし、それを阻もうと監督役が殺害された案件は存在する。
殺し合いの対象ではないだけで命を狙われない立場というわけではないのだ。
その上、この事態である。スミスは正直なところ悪人の類ではあったが目的に対し誠実な男でもあった。
『敵を騙すには味方から』を地で行く悪辣を有していたが、最終的には辻褄合わせて利になるよう取り計らう男だった。
聖堂教会の内部事情を明かしたのもそれが為だ。隠しておく意義がないとした為にアントニアへと言うべきことを言った。
それは彼なりの、曲がりなりにも仕事を共にするパートナーに対しての礼儀だったが、一方で萎縮しまいかという懸念もあった。
アントニアは決して経験豊富な人間特有の少々なことに動じない精神を持っている、という風情では無かった。
どちらかといえば見た目相応、歳相応。とてもではないが数々の聖杯戦争に関わってきた人間という事前情報にはそぐわない人間である。
少なくとも。一見は。
だがスミスの忠告を受けて、アントニアは―――静謐な表情であった。
弛緩しているわけではなく、現実を直視していないわけではなく、しかし……啓示を受けた聖女のように、当たり前のことという顔だった。

 

「はい。ですが、それと私の使命は何ら関係がありません神父様。
 正直なところ争いは嫌いです。聖杯戦争なんて結局は殺し合い。それも何ら関係のない無辜の民が巻き込まれるかも知れない戦い。
 いいえ、例えそれが信徒だろうと魔術師だろうと、誰にも死んでほしくなどないのです。
 私は聖堂教会の指示を受ける身ですが、異端を狩る代行者というわけではありませんから。
 でも、それでも―――私の職責がひとりでも多くの命を救うものならば、全力を尽くします。
 命に代えても、とまで覚悟は申せませんが……それでも、これがどのような聖杯戦争であろうと。
 その罪に関わらず、なるべく多くの命をお繋ぎになるというのならば私をお役立てください、神父様」

 

スミスが目を瞬かせる。
そこには素朴な強さがあった。普通の人間が、普通の人間だからこそ、その延長線上に持ち得る聖性。
恐れないわけではない。逃げないわけではない。竦まないわけではない。
それらを全て内包して尚且、生命が健やかでありますようにと祈るその姿をこそ、真実の尊さである。
聖堂教会という枠組みがひとつに集っている証、信仰という記号。それを決して記号に留まらせない敬虔がそこにあった。
スミスが肺に残った残りの空気を、ふう、と吐き出す。紫煙混じりのそれが青空へと吸い込まれていった。
それは溜息だったのか。あるいは感嘆だったのか。

 

「成程。これは敵わない」
「はい?」
「いいえ。こちらの話よ。
 行きましょうシスター。拠点の教会までまだもう少し歩くのでしょう?」
「あっはい、そうなんです。この先にずっと坂道があってですね………」

 

背高のっぽがゆらりと屋外喫煙スペースから道の石畳へ靴を運ぶ。
その後ろを慌てて小さな影が忙しなく追いかけた。すぐに追いつき、少しだけ先を行って先導する。
ひたすら長閑に満ちた街を二人組が歩いていく。
歩き幅のコンパスがだいぶ違うため意識して歩みを遅くしながらスミスは目の前の背中を見つめた。
こつこつと速いテンポで石畳に足音を刻みながらひょこひょこと歩いていくアントニアの背中を。

 

「……確かに。なるべく穏当に終わればいいのだが」

 

大理石の冷たさに似た硬質な響き。
呟きは青空に吸い込まれていき、誰に伝わることもなかった。

 
 

 
 

────────語り手曰く、無知は罪ではない。

 

知らない事は、全能でもない限り必ず存在する。
例え平行世界全てを遍く見る目を持っていたとしても、
もし"その目の届かないほどの彼方の可能性"があるとしたら、必ずや無知は生まれるであろう。

 

他方は、"狼"などという起源覚醒者の集団を知らない
他方は、"起源の石"などという堕天使の傀儡を知らない

 

だがしかし、"罪ではない"ことと"許される"ことは、矛盾はしない。
絶望の畔に立つ者に、知らなかったという言葉は許されない。
例え懐かしき人の名を叫んだとしても、その絶望は覆らない。

 

今宵、在り得ざる可能性が交差する。
そこに無知は許されない。智慧の代行者たちが、魔術師たちが、
言の葉を紡ぎ、動き出し、そして今物語は動き出す。

 
 

────これは、語られる事を許されなかった物語────