交錯する螺旋その4-そして世界は、永久の渾沌に堕つ-

Last-modified: 2018-12-29 (土) 09:50:40

 
 
 
 
 
 
 
 
「久しぶりだなぁ両石ぃ!! いや我が同胞たるインヴォーカー!!
 随分と待たされて悲しいぞ? いやしかし旨い茶葉をこしらえているな! 旨い旨い!!」
「……うげ、霧六岡……」
 
日本のどこか、一人の男が操り人形のようにぎこちなく動く多数の女性に茶を注がせながら揚々と挨拶する。
その挨拶された女性、この場の家主であり彼に茶を注いでいる数多の操り人間の主である少女は心底嫌そうに一瞬顔を歪める。
 
「ん? 今"げっ"と言ったか? 言ったよなぁ? いや聞き間違えかな!?
 聞き間違えだよなぁ!! われら等しく迷える子羊導く救い主なれば!! 再開は喜ばしきことだよなぁ!?」
「ええそうですね。再会できたことに喜ばしくて怒髪冠を衝いて茶を沸かしそうですわ」
「お前本当に感情を隠すのは下手だな」
 
"クク、まぁいい"と笑いながら男は優雅にティーカップを持ち、
そしてその数瞬後に優雅さのかけらもない音を立てながら紅茶を飲み干す。
 
「うむご馳走様だ。また飲みに来るぞ。貴様の洗脳従者はいい腕をしている。もちろんそれを仕込んだ貴様も含めてな?」
「与太話に来ただけならば帰ってくださらない? それとも、まさか今度はあなたがここ影之宮市の管轄になったのかしら?」
 
はぁ、と眉の間に若干皺を形成しながら、不機嫌そうに少女はため息をついた。
男の名は、霧六岡 六霧。水面下で世界の裏側に蔓延る、狂気信仰"群衆"ルナティクス。
平たく言うのならば、その勧誘員……救い主(インヴォーカー)と呼ばれている存在の一人である。
 
対する少女もまた、同じく救い主(インヴォーカー)であり、名を両石閻霧という。
彼女が不機嫌なのには(メンドクサイ男が目の前にいることもあるが)理由がある。
先ほど彼女は、その狂気への勧誘員という立場でありながら、その勧誘に失敗して帰ってきたところなのだ。
 
「なぁに、これといった用事はないさ!
 ただ少し、近くに寄ったから世間話をしようとしに来ただけだぁ!」
 
不機嫌そうな少女とは相反して、腹が立つほどに男は調子がよくテンションが高い。
大仰な仕草をして両の腕を広げながら、クククと静かに、しかし喧しい雰囲気をまとって笑い、呟くように言った。
 
「狼に手を出すとは、災難だったな両石」
「……知ってるの? あなた」
 
両石の目の色が変わる。
不機嫌のそれから、疑問のそれへ。嫌悪のそれから、興味のそれへと。
 
「エトネがハッキングしても名前一つ出てこなかった組織よ? この世界に彼らの情報は一欠片もなかったといっていいわ。
 まるで別の世界からやってきたっていう降臨者(フォーリナー)と言われているみたいに。そんな彼らをなぜ貴方が知っていると?」
「クク、簡単だよ、実に簡単な話だよ。知っていることは知っている。
 知らぬ存ぜぬは知らぬことのみ。当然だろう? すなわち、"俺は連中を知っているから"だ」
「相変わらず人の神経を逆なでるために生きているような言動ね。それで? 何で知っているの? って聞いてるの」
 
にこやかな表情のまま眉間に皺を寄せるという高等テクニックを用いながら両石がイライラを募らせていく。
いい具合にフラストレーションがたまったところを見計らい、霧六岡は己に隠された驚愕の秘密を語り始めた。
 
「実は俺はな、記憶を二つ持っているんだ」
「知ってる」
 
 

 
 
「──────ここは、何処だ」
 
この世のどこかにて、一人の男が眼前にただ広がる光景を前に問いを投げかける。
だが、その問いかけに答えはない。眼前に広がるは、ただ静寂なる漂白された大地のみ。
その大地に、無限ともいえるほどの渾沌が吹き荒れ続ける。死滅、絶滅、破滅、この世のありとあらゆる絶望がそこにある。
 
そこに立つ"彼"は何者か? それは、男自身にもわからない。
唯々周囲が歪むほどの強大な魔力と、そしてかつての己を顕すだけの断片の記憶しか残っていなかった。
 
────それはかつて、自分は堕天使ルシファーと呼ばれる存在であったこと。
それはかつて、自分はナニカを必死でその手で追い求めていた事。
それはかつて、自分は英霊と人間の共同戦線の下に、敗れ去ったこと。
 
「違う…………ッ!!」
 
男は低く、唸るように叫ぶ。
 
「我(わたし)に、敗北は許されない……あの邪悪……人類を滅し尽くすその日までは……!
この私に、堕天使に! 敗北などあってはならないのだ!!!」
 
轟ッ!! と男の魔力が矍鑠の炎が如く燃え上がり広がる。
刹那、無限に周囲に広がるは枝葉が如き可能性の分岐。数多に広がる"平行世界"である。
 
「────同調(アクセス)、我が咎等よ。
剪定(デリート)、剪定(デリート)、剪定(デリート)────」
 
男が呟くごとに、その無限に広がる枝葉、
かつて堕天使と呼ばれたその存在の数多に在り得た可能性が、
次々と消去され続けていく。
 
「足りぬ、足りぬ、まだ、まだだ! 更なる最奥へ!
大いなる深奥へ! 我が可能性よ、その原初の荘厳の更なる始まりを見せよ!!」
 
ギンッ! と男はその紅蓮の燃え盛る業火の如き眼を開く。
数にするも愚かしい程の可能性を剪定しきり、男は一つの可能性と対峙する。
 
「ほう? この吾に直接会いに来るとは感心な奴だ。
ちゃんと捧げものは持って来たか? 吾は甘いものが良いのだが……」
 
一人の少女が、男の眼前に立っていた。
 
「これが、平行世界の彼方……在り得たはずの、"もう一つの我が可能性"か」
「んん? 貴様……吾を奉る信者ではないか? いやこの魔力、もしや貴様……」
「そのまさかだ。"明けの明星"」
 
男は…………かつての名を、ジャック・ド=モレーと呼ばれたその男は、
顔面に巻いた包帯を少し解き、その血走った悍ましき眼を露出させ言う。
 
「"貴様自身だ。"よもや、我が可能性の一端がこのようなふざけた存在だとはな」
「……………………ほう。随分とまた、落ちぶれたようだな……。そちらの吾は」
 
ニタリ、と少女は口端を釣り上げて笑った。
 
「落ちぶれただと? 戯けが。既に地の底まで墜ちた身であろう
我ら同じ"明けの明星"。神より生まれ神に歯向かい、そして地に縛られし運命なり」
「まったくだ。しかしどうしてまたそのようななりになって迄会いに来た? 茶でも飲むか?」
「────────取引に来た」
 
ギロリ、と男はその血走った眼で少女を睨みつけながら言う。
対する少女は、その眼光に一切の退きも恐れも見せなかった。
 
 

 
 
「俺には記憶が二つあるんだ」
「知ってる」
「ん? 前言っていたか? すまんならばリテイクだ。
 言ったはずだぞ? 俺には記憶が2つある…………と」
「……あれ、誇大妄想じゃなかったのですね」
「誇大妄想でルナティクスのインヴォーカーが務まるか? 務まらなかろう」
 
トントン、と側頭部を人差し指でたたきながら、霧六岡と呼ばれた男は笑う。
この男は以前より、"記憶が二つある"ということを自称しながら生きていた男であり、ゆえに狂人の中でも特異に扱われていた。
普段の行動からして、自分を魔皇破邪神シン・デミウルゴスなどと名乗っている男であったため、誰も信じてなどいなかったが、
こうして誰も知らない情報を知っていると言われれば、さすがの両石も信じるしかなかった。
 
「偶然か、あるいは何者かの意思の介在があってゆえかは知らないが……私は連中、狼と呼ばれる起源覚醒者を知っている。
 いや連中だけではない。外道一族、黒無一族、アトラスィー一族、房中術で根源を目指す院蘭一族といった魔術組織・家系は至極当然もちろんのこと、
 あちら側で起きた事件・伝承も知っている。何故か? それは"あちら側"の俺がそういった情報を招集する組織にいるからだ」
 
男は得意げに、そしてまくしたてるように早口で己の魔術……いや、特異体質というべきか
の特異性について述べ続ける。その姿はまるで初めての体験を大人に煌々として語る少年のようであった。
そんな男の姿を、両石は冷めた目で見続ける。
 
「なぜ、そんなことを私に?」
「当然、貴様が戦ったあの少女が狼だからだ。
 名前を……何だったか。まぁいい、人の名前なんぞ憶えてても面白くない。
 あの貴様の戦った女も危険ではあるが、問題は一緒にいたあの半魚人だ」
 
先ほどまでの興奮していたような口調とは打って変わり、
霧六岡は冷徹な口調へと転じてビシリと両石を指さす。
 
「奴らは狼のエルダー……まぁ我らでいうのならば、造物主に匹敵するレベルの存在だろう。
 性能でいえばサーヴァントも喰らいかねない、正真正銘の化け物だ」
「化け物? 貴方が言う? それを?」
 
ふっ、と両石が嘲笑するように笑う。
しかしそんなことを気にも留めずに男は続ける。
 
「私が? 私などただ人間を愛するだけの魔王に過ぎない。化け物とは程遠い。
 だが連中は全員が起源覚醒者だ。我らインヴォーカーが束になって相手取ったとしてもどうなることやら」
「ふっ、ルナティクスの中でも異常者扱いのあなたがそんなこと言うなんて、滑稽にもほどがあるわ」
「面白がるのもいいが、気をつけろよ? 並大抵の腕で起源覚醒者の集団に勝てると思うな」
 
ガタリ、と男が立ち上がる。
 
「連中には貴様のような人体改造愛好家の少女もいる。
 そいつは曰くサーヴァントすらも改造して使役しているとの噂だ。
 出会えば闘争だろうが手を取り合うのも悪くないのではないかな両石?
 お前好きだろう可愛い女。まぁ、その選択肢も話せるか、勝てたらの話だがな」
「…………」
 
少女、と聞いて両石はピクリと眉を動かした。
そして「改造愛好家」という言葉に少なからずのシンパシーを感じ、口端を吊り上げる。
対して男は、不敵な笑みでただただ微笑んでいる。
 
「あなたなら、勝てるの?」
「当然だ。この渾沌たる時代を生きる、魔皇破邪神デミウルゴスたるこの私を踏破できるものなど一人もいない
 たとえそれが、起源覚醒者であろうが、死徒であろうがな」
 
ギチリ、と男は口端を吊り上げ、狂笑という言葉が似合う表情をとる。
 
「ま、私としてはさっきあなたの言った、
 院蘭一族のほうが興味深いし、そっちを追うとするわ」
「なるほど貴様らしい。だが気をつけろ? そいつらには死徒が1人バックについている。
 人との子を成そうとしている……だったか。貴様もひょっとしたら死徒の妾にされるかもなぁ」
「言ってなさい。かわいい女性が絡むというのならば、私も負けていられないのだもの」
「その狂気、やはりお前はルナティクスだよ」
 
そういいながら男はマントを翻し、外へと歩む。
 
「私は兎男(トム)の店でただ飯をくらってから帰るとしよう。
 貴様も動くのならば早いほうがいい。なぜならば、"俺は向こう側全てを愛すると決めた"からなぁ!!
 俺に愛さ(めをつけら)れることがどういうことか、思い知るがいい!! クククク、はっはっはっはっはっはっはぁー!!!!」
 
男は高笑いをしながら、同時に周囲を歩く人々の好奇の視線を集めながら去っていく。
そして一人残された少女は、自分と同じ"人体改造を得意とする少女"がどういった存在なのか思いをはせながら、
彼女の使役する肉体改造奴隷を玩具とし、その昂りを一人慰めていた。
 
 

 
 
────そのころ、話題に上がっていたその少女はというと、
そのルナティクスと並ぶ、いや…状況によってはさらなる危険を生みかねない組織と対峙していた。
 
「事情は分かりました。まぁとりあえずは手を出したうちの職員の自業自得……と」
「なのです」
 
ハァ……とため息を吐くはクロニク・ナビ・ナバ=アンディライリー。
その大人びた女性と机を挟み、対称的な幼い少女……ルピナス・カートライト=ルピノがコクリと頷く。
 
「喋りも少しあれでしたので。とりあえずは一通り遊んだ後に、
 そこのニコル君のごはんになってもらいましたのです」
「ごはん?」
 
少女の指を差した方向を、クロニクはむく。
見るとそこには、少女と見間違うほどに幼く、そして美しい少年がスゥスゥと寝息を立てていた。
 
少年の名はニコラウス・ヴォルフハルト。『欠乏』の狼。
欠乏の起源に覚醒したが故に、一人の狼に気にかけられ、多くの狼の構成員たちに育てられている少年である。
 
「ちょうど近くにいると聞いたので、せっかくなので遊びに来てもらったんです。
 あ、気を付けてくださいね? もし食べられちゃったりしたら責任は負いかねないのです」
「あら、可愛いマンイーター」
 
だがそんな人喰いの少年など、クロニクの所属する紋章院では普通の存在。
加えてクロニクにとって自分の肉体など使い捨てに等しいので、肉持つ身体にまず執着がないのだ。
クロニクは寝ている少年の頭を微笑みながら優しく撫でる。少年はどこか満足そうに「んぃー…」と寝言を呟いた。
 
「…………ふふっ」
『やはり、モーチセンの所に行ってからお前は変わったな』
「い、今は関係ないでしょう御父様!?」
「?」
 
突然何処かから声が聞こえ、その言葉に突然頬を染めながら
動揺しながら返すクロニクを見て、ルピナスは首をかしげる。
 
「す、すいません……驚かせまして……。
 とりあえず、今後紋章院各位に、貴方には極力手を出すな……と伝達をしておきます。
 もしそれでも手を出そうとする研究員がいるようでしたら、好きにしてもらって構いませんので」
「ありがとうございます。私も皆さんに迷惑を掛けたくはありませんので」
 
ニコリ、と無邪気に微笑む少女を前に、クロニクは目を細めながら内心呟く
 
「(…………代行者を捕らえて従者に改造しているような少女がよく言いますね……。
 しかし、若くしてこの才能は素晴らしいです。大人になったら是非紋章院と提携して欲しい所ですね)」
「では、そろそろソフィアに"餌"を与えないと……ふふふ」
 
何処か嬉しそうに笑いながら、少女はその場を去っていった。
その表情は暗に、これ以上いたらどうなるかわかりませんよ? と言っているようでもあった。
藪をつついて蛇を出すような真似は極力避けたいクロニクは、ひとまずその場からそそくさと去っていった。
 
「……あれが、"狼"ですか。名前を出さずに正解でしたね。
 たった一人であれほどとは、あまり深く関わりたくないですね」
『幾度となく、平行世界の"私"より提言されただけはある』
「御父様」
 
悍ましい少女の屋敷を後にし、クロニクは父と"会話"をする。
この父とよばれる男こそ、グロース・アンディライリー。第六法を目指し、そこにその手をかけんと歩み続ける男。
千年を優に生き、平行世界の己と接続し、あらゆる試行をその手で続ける……『前進』の起源覚醒者である。
いや……もはやその身が"者"と呼べるかは、些か疑問が残るが
 
『彼らの名前だけは、多く"私"から聞いていた。
 だが……彼らと実際に会った私は、一人もいなかった。
 そんな彼らが、この世界で現出した。…………何かが、動き始めている』
「数多の平行世界でさえも、彼らの観測は1つも無かった……? それは一体」
『おそらくは、平行世界よりもさらに深奥。深い根の部分より、分かたれし世界。それが彼らの本来の居場所なのだろう。
 "私"が彼らを断片ではあれど知ったのは、おそらく英霊からの知識……。彼奴らならば、世界を超えてその身に知識を溜め込むからな』
 
何処か羨ましそうに、グロースは呟く。
それと同時に、何か形容のしがたい、初めて出会う感情を父が抱いているのを、
娘(さくひん)であるクロニクは肌で感じていた。
 
「……御父様、ということは」
『そうだ』
 
クッ、と短く音が響く。
それは紛れもない、"笑み"であった。
 
『本来在り得ぬ邂逅。出会わぬ存在。嗚呼、まるで"あの時"のようではないか。
 堕天使よ。あの日の邂逅に並ぶ存在と、また出会う事が出来たぞ。今後も世界は混ざり始めるだろう。
 ああこれが終わりではない。お前もまた、この織り成される瑪瑙の縞模様の何処かで動くだろう。
 ……あの時のように、いやあの時以上に……我がニルズァ・ボスクが近づくかもしれない』
 
それは笑みであった。高揚であった。興奮であった。喜びであった。歓喜であった!
再び停滞を余儀なくされるのではないかと思われた彼の前進という道に、再び光が差そうとしている。
その喜びを彼は、かつて同じように光を差した堕天使に向けて、言葉として綴っていた。
 
『奴は必ず動き出す』
「………………はい。あのかつてのフリーメイソンのトップ、
 ジャック・ド=モレー……ですか」
『世界中の監視を怠るな』
 
短く言葉が響き、父と娘の会話はそれっきりで打ち切られた。
 
 

 
 
「ほう」
「我と共に来い、我がもう一つの可能性よ。我はもう一度人類に対して宣戦布告をする
 永久に等しき試行、分離、失敗……その果ての結末がコレだ……! もはや我が力だけでは足らぬ!
 貴様だ。我とは異なる経緯によって生まれし"神々への自滅因子"こそが、我が手には必要なのだ」
「……………………」
 
少女は最初こそ口端を釣り上げ、そのモレーの言葉を聞いていたが、
次第にその口を真一文字につぐみ、つまらなそうな眼をして聞き始めた。
 
「そして今度こそ! 我が神の寵愛を一身に受けし人類たちを霊長の座より引きずり落とす!
 我こそが! 唯一無二の地上の支配者となる!! そのために……その為に貴様の力がいる……!」
「我と共に来い!! そして今こそ人類に終焉と後悔の時を! 贖罪の時を共に与えよう!!」
 
モレーは叫ぶ。まるで、藁をも掴む沈みし者のように、必死の眼で叫ぶ。
だがそれに対しての少女の反応は、非常に冷ややかなものであった。
 
「………………はぁー……。それだけか?」
「────────────────何だと?」
 
少女は大きなため息をして、冷ややかな視線でモレーを見る。
 
「なるほど、確かに人類を滅ぼす。地上を支配する。うむうむ
 実に吾らしい大言壮語。惚れ惚れするほどに吾だなぁ貴様は」
「ならば、何故──────────!?」
「"その先はどうなんだ?"」
 
ぎろり、と少女は冷ややかな視線のままにモレーの眼球をのぞき込む。
 
「──────何、を────?」
「その先は、と聞いておるのだ。地上を支配して何になる?
 富か? 名誉か? 酒池肉林か? そういった目的が貴様には無い」
「目的だと………………!? 目的など……人類を滅ぼすだけで十分だ!!」
 
ガシィッ!!と、モレーは満身の力を込めて少女の首を締め上げ持ち上げる。
だが少女は一切の苦痛をその表情に出さず、唯々冷ややかに男を見続ける。
 
「貴様は"アレ"を見ていないから分からないのだ!!
 地の獄、底の底! 氷獄の深奥!! 裏切りの罪人の集いし掃き溜めにて我が見た人類の罪!!
 この世全ての悪と呼んでもなお余る、唾棄すべき邪悪!! あれこそが人類の本質だ!
 あのような存在が、神の作りし地上世界(ちょうあい)を受けるには程遠い!!」
「ふぅーむふむ。なるほどなるほど。立派な動機だ」
 
うんうん、と少女は頷き────
 
「だが……それだけだ」
 
────吐き捨てるように、侮蔑するかのように、少女は言い放った。
 
「お前のその計画には目的と手段があり、しかし結果が無い。
 唯々"人類を滅ぼさなくてはならない"という使命だけで動いている。
 それは計画とは言わない。無謀と言うのだ。執着なき終着など、飾りにも劣る。」
「貴様…………ッ!! 我が悲願を……永劫の悲願を愚弄するか……ッ!!」
 
ギリリ……ッ、とモレーの手に力が籠められ、爪が少女の首の肉にめり込む。
血がどくり、どくりと垂れていく。しかし、それでも、少女はその侮蔑の視線を止めなかった。
 
怨嗟と妄執の血走った紅き視線と、侮蔑と憐みの溜込した冷たい視線が交差する。
 
「────────お前の眼は、かつて吾を呼んだマスターに似ているな」
「何?」
「かつて、一人の少年がいた。人類の愚かさ加減にあきれ果て、
 一人の少女に恋をしたが故にそれに耐えられなくなって、そして特異点まで作った大馬鹿者だ」
「貴様……この私が、たかが一人の人間と同等だと言いたいのか……!?」
「たわけ。……それ以下だ」
 
吐き捨てるように少女は言い放ち、そして続ける。
 
「その少年は、曲がりなりにも人類を愛していた。
 それが一人だったのか、人類すべてだったのか定かではないが、確固たる目的は在った。
 故に吾も協力した。召喚に応じてやったのだ」
 
「────────お前には、協力する価値も見いだせない」
「……………………………………………………………。」
 
その少女の言葉に、男は……否、
『堕天使ルシファー』は、言葉を完全に失っていた。
 
「もういい。」
 
それだけ言うと、堕天使ルシファーはその少女の首を握る手の力を緩める。
力無く少女は落下するが、「よっ」と軽快な声を出して地面に華麗に着地を決めた。
 
「貴様と我は相容れない。やはり、我と貴様は別人だ」
「当然だ。貴様はルシファー。吾はじゅすへる。東洋の地にて天狗へと生まれ変わった明けの明星ぞ?」
 
くっくっく、と悪戯めいた笑みを浮かべながらじゅすへるは笑う。
 
「ああそうだ、協力は出来んがミカエルからパクってきた剣はいるか? 強いぞ? 宝具だぞ?」
「要らぬ。その程度ならば、この私も持っている。その程度……宝具にする価値もない」
「むっかー! 可愛くない吾だのう! いいわ! はよどっかいけ!!」
 
そう言って、じゅすへるは何処かへと消えていった。
ただ全てが漂白された大地に、一人堕天使は残されていた。
 
「ならば、この私だけでも光を切り拓こう」
「世界だ。私には新たなる世界がいる。ならばその新世界、我が渇望を以て流出させよう。
 白く、白く、どこまでも漂白された、塩の如き純白の世界を────────」
 
 

 

そして。

そして。

時計の針は巻き戻る。
物語の開始点。絵の具の混じり合い始めた2色の境界線。
ぐるぐるとマーブル模様が渦巻くその傍らで、飛び散った水滴の中に誰も知らないその物語はあった。


 
 
風はない。静寂があった。
心肝寒からしめる凪がそこには漂っていた。
その場所で緩やかに流れているものがあるとしたなら、それは時間以外に無い。
生も死も停滞したような、いわば『どこでもない場所』と名付けるべき空間だった。
砂漠の砂が敷き詰められた薄褐色の大地が見渡す限りに続いている。
ではそれら砂粒で出来た丘陵がいくつも海原のように棚引いているのかといえばそうではない。
大きな岩盤がいくつも点在する、いわゆる岩石砂漠というのが正しい形容だった。
ただし岩石砂漠と違うところは、砂地から突き出している岩盤が岩によって出来ていないことだ。
それは古びた西洋の城壁の一部であったり、
それはローマの意匠漂う建築物の折れた柱であったり、
それはマストの引き千切れた帆船であったり、
それは煤煙によって薄汚れた煙突の残骸であったり、
それは夥しく積み上げられたスクラップの山であったり、
それはピラミッドの破損した外壁であったり、
それは現代の人間が知る由も無い時代の神殿の面影であったり、
ありとあらゆる時代を思わせる破片が、何かとてつもない力と衝突して壊れたふうに砂に埋まっていた。
動くものはなく、呼吸するものはなく、鼓動するものはない。
仕方ないことだ。そこは何も始まらなかった場所なのだから。
ひとつの世界とひとつの世界がぶつかり合い、その圧力で互いの要素が接着され、弾き出され、そうして漂うのみとなった場所。
世界と世界の混線という自体にあって、偶然生まれた小衛星(デッドスペース)。
観測者さえいないその空き地はいずれ忘却すらされることなく消えゆく運命にあった。
―――だが、そこにあって。ありえざることに、砂地を踏んで乾いた足音を刻む者があった。
 
「歩けども歩けども、人っ子一人見当たらない。
 なかなか景色は面白いが……こんな珍妙な場所に喚ばれたのは初めてだな」
 
荒涼とした空気を撫でたのは、少し低めの女の声だ。
ハスキーボイスともいうそれは、聞く者があればその独特のざらつきを耳障り良いと感じただろう。
今は最小限の鎧だけを身に纏い、ボブカットに揃えられたプラチナブロンドを靡かせながら砂の荒野をあてなく歩いている。
決して背丈は高くなかったが、その意思に満ちた黒曜石の瞳が強調する凛とした佇まいは尊きものの威厳を感じさせた。
人理においてそれはサーヴァントと呼ばれるもの。最優のクラスと称されるセイバーたるもの。
人の息遣いもないこの空間においては喚ばれるはずもない存在のはずであった。
女騎士が歩みゆく。ただひとりの行軍だ。
足取りは確かで、誰一人とも会えぬ事実に打ちのめされた様子もない。
元よりこのサーヴァントは不撓不屈の化身。あらゆる万難も彼女の膝を折るには至らない。
そうあれかしと定められたような生き様を、そのまま天衣無縫に駆け抜けた。そういった英霊だった。
空を見上げれば煌々と輝く星光が天へ虚ろに満ちている。まるで万華鏡のよう。
月が見当たらぬさまをして、ただ広がる冷涼な景色をして、まるで地球ではなく月面から天を眺めているようだとサーヴァントは感じた。
 
「とはいえ、見たところまともな星の配置ではないから星見による占いも駄目。ルーンも駄目。
 困った。さすがに標が欲しいものだ。冒険は好きだがこの光景が延々続くようでは味気がなさすぎる。
 せめて目的でも見つかるならいいのだが………」
 
打ち捨てられた建造物の傍を通る。ぱきり、と硬質な音が足元で鳴る。
女騎士が見下ろすと、埃塗れの陶器の欠片が具足の重さによって踏み割れていた。
こうしたかつての文明の遺産とでもいうべきものが壊れて転がっているのはここではよくあることだ。
気に留めるまでもないとかぶりを振り、再び放浪の旅へ戻ろうとした、その時だった。
 
「なんだ、そうだったのか。
 すっかり楽しげに歩いているものだから根が尽きるまで黙っていようかと思ったのだが。
 そういうことならもっと早めに声をかけるのだったな」
 
横合いから唐突に投げかけられた言葉に騎士の足が止まる。
数多きサーヴァントの中でも最上の一角たるそのセイバーでさえ完全に知覚の外からその声はやってきた。
慌てること無く、ゆっくりと半身を向けて女騎士はそちらへと顔をやる。
朽ちた瓦礫の上に腰掛けているものがあった。地面には届かない足をぶらぶらと揺らしながら。
一見ではエプロンのようなゆったりとしたドレスを着た、幼い少女のようにしか見えない。
藍色のマントに鍔の広い三角帽子を被り、眼帯で片目を覆った姿はその幼さも相まって魔女の仮装のようでもある。
ただ、麻色の髪の奥で煌々と輝いている黄金の瞳に直視されて気圧されぬ者は稀だろう。
まるで視線に重量があるかのようだ。『視る』というのはひとつの魔術だと魔術師は謳うが――だとするなら、これは既に魔術の域に無かった。
魔眼と括るはあまりに稚拙。人の身ならば勿論、超人たるサーヴァントでも有することは出来まい。
ただ視るだけで視線の先を打ち据える。悪童のような底意地悪い微笑みと共にそれは騎士を見つめていた。
だがセイバーは揺らぐこと無く真っ向から受け止める。敵意は無かったが、小さく息を吐いた。
 
「ふむ、動じないか。歩んできた時の流れ違えば同じ名でも有り様は違うかもしれぬと考えたが…。
 しかし当然ではあるな、儂に引き寄せられて現れる英霊だ。今更儂に臆するような者は現れまいよ。
 さて、名乗る必要はあるか?ベルンが大帝よ」
「……いや、他の誰が分からなかったとしても私だけはあなたのことが分からぬわけにはいくまい。
 全て合点できるというものだ。ここに私が喚ばれた意味、此度の私に与えられた役割も」
「ふふん、賢しいな。だが敢えて名を聞こうか。
 互いに既知でありながら初対面。なかなか悩ましい関係でもある」
 
首細の白磁に似た、今にも割れそうなか細い喉から発せられるのは見た目相応の涼やかな声。
しかし不思議と幾星霜に洗われた老人のしゃがれ声を思わせる。間違いないのは恐るべき知慧にそれは満ちているということ。
……対面している騎士は比較的友好的なサーヴァントだ。初対面の相手でも気さくに話しかけることは多い。
しかし今ばかりは違った。緊張するでなく、さりとて油断するでなく、言葉で表すならば、ただ厳かであった。
 
「応じよう。我が名はディートリヒ。ディートリヒ・フォン・ベルン。
 栄えあるベルンの帝王にして……あなたに力を授けられ、あなたに連れ去られた王だ。太祖よ。嵐の主よ。我が遣い手よ」
「"勝利の導き手(ガグンラーズ)"と呼ぶが良い。ああ、キャスターでも良いがな?今はそうしたカタチで此処にいる。
 にしても、この五体に満ちる英気。儂の知る姿と違えど大したものだ。あちらの儂も相当目利きだったようだな。まことに良い剣だ」
「………」
「気に触ったか?これでも褒めているつもりなのだがな」
「……納得はしているが割り切れぬ思いがあるというだけだ。少なくともあなたに恨みはないよ」
 
内心複雑そうに鼻を鳴らして腰に手をやったセイバーへ面白そうにキャスターは微笑む。
―――英霊ディートリヒは厳密には死していない。
彼女の伝説の終わりにて太祖オーディンの変じた黒馬に天高く連れ去られ、今も嵐の化身として空を駆けているという。
即ち数多き異名を持つオーディンのひとつのカタチである"勝利の導き手(ガグンラーズ)"と彼女には大いなる関係があった。
"嵐の夜(ワイルドハント)"の主と、その軍勢のひとりとして永遠を共にする王。
少女の姿を取っている眼前の神霊は、友愛を最も尊ぶこのセイバーにとっては死した仲間との永久の離別を強いた相手だったが……。
感想はといえば、どういう顔をしたものだかと頬をぽりぽりと掻くだけであった。
かつて契約の元に霊薬を彼女から得たのは自分の責任であるし、それに―――『そこ』はもう、別の出会いで越えてきたのだ。
それより、とセイバーは話題を切り替える。
 
「あなたは事態を把握しているのか?いや、しているのだろうな高き者よ。
 この空間。この状況。私にはさっぱりだ。なんせ放り込まれただけで何の知識も与えられていない。
 分かるのはおそらくあなたという存在を縁に呼び寄せられたのだろうということだけだ。
 そもそも先程からあなたが言う『時の流れが違う』だの『あなたが知る私と違う』だの、何が何やら」
「うむ。無論把握しておる。
 ………本題よりも先に此処がいかなる場所なのかくらいは説明しておくか。その方が話が円滑に進むだろう」
 
サービスだぞ?と稚気に富んだ笑い声混じりに言いつつ、金の瞳が延々と続いている大地を見遣る。
多種多様な文明が砕けている。人間が培ってきたいくつもの営みの証明が風化していっている。ひどく寂しい光景だった。
明けぬことのない夜の帳は、まるで壇上にかかった幕のよう。文明という公演は終わり、静かにその化石だけが過去を証明している。
世の果てとは、こうした景色のことを言うのだろうか。
 
「直截に言えば、この死の大地はふたつの世界が衝突して出来た『飛沫』よ」
「『飛沫』?」
「左様。突然そんなことを言われても、などと泣き言は聞かぬぞ?心するがよい。
 そう、世界はふたつある。平行世界というものとも少し違う。もっと大きな枠組みのものだ。
 儂がかつて知覚を巡らせた世界と貴様が駆け抜けた大地ありし世界は同じものであり、同時に別のものなのだ。
 儂の世界には貴様と同じ名の英雄がおり、貴様の世界には儂と同じ名の儂がいるのだろうよ。
 さて現在そのふたつの世界が衝突しようとしておる。何故そうなったかは今は省くがな。
 儂と貴様がいる此処はその最先端にして最末端。岩と岩がぶつかりあって零れ落ちた砂粒のような場所だ。
 脆く脆弱な空間ではあるが、同じくして『どちらの側でもない』。故、それを好んだ儂が現界してみせたというわけだ。
 追って呼び寄せられるものがあったのはこの儂も想定外だったがな?」
 
語り部は朗々と告げる。さすがの騎士も瞠目せざるを得なかった。
ふたつの世界に、それらの衝突。説明されずともそこに恐るべき危機が付随しているのは嫌でも分かったが、世迷言と一蹴したい話でもある。
だがこの空間に加えて太祖の語る言葉とあれば応と返事をせざるを得ないのであった。
嗚呼、だがそれで腑に落ちるものがある。
キャスターと同じくセイバーもこの乾いた世界を見回す。
等量の人理と人理がぶつかりあったとあれば、そのどちらもが混ざって剥がれ落ちた場所が生まれるという特例事象も頷けた。
星と星が衝突して悲鳴を上げる中、砕け散って『かつてそのどちらかだったもの』に成り下がった空白地帯。
粛々とこの場に漂っている寂寥感はそれか、とセイバーは心底で理解する。
 
「儂はこの事態に対処する。本来儂は大局に関与すべきではないが事態が事態なのでな。
 放っておけば双方の世界へ甚大な歪を生むこととなる。
 この大事の裏に潜む邪な企みも含め、交わりつつあるふたつの世界へ干渉して事を推移させねばならぬ。
 さて、そこで貴様にはふたつの道がある。
 ひとつは儂の話は聞かなかったこととしてこの場を退去する。
 ひとつは―――全てを知った上で儂の手足となり、共にこの事態へ対処することだ」
 
神にして、嵐にして、大いなる賢者はそうして英霊を試すように双眸を見つめた。
セイバーにしてみれば思うところがあるべき問いかけだった。
サーヴァントでないこの騎士は、サーヴァントではないこの神霊に今この瞬間も率いられて空を駆け続けている。
彼女の提案を受けるということはサーヴァントとしてまで彼女に率いられることを受容するということだった。
だが、しかし。返事は即座だった。
 
「承ろう。詳しい話を聞かせて欲しい」
「………ほう。
 貴様には儂の提案を受けぬ故もあるはずだが、何故だ?」
「そんなことは決まっている」
 
胸を張り、それがまるで何でもないことかのようにセイバーは告げた。
 
「私がディートリヒだからだ。
 私が私である以上、目の前の理不尽へ見て見ぬふりなどするつもりはない。
 私の問題は所詮私の問題だ。私がサーヴァントだとか、セイバーだとかの前に、私はディートリヒなのだ。
 あなたが私の最期に定めた運命をかつての私が受け入れたように、私は自らの運命に対して真摯でありたい。
 それが世界の危機に対するものなのならば願ってもないことだ。私に命ずるのが誰であろうと、それは変わらない」
 
『ま、それでも陰湿な者はなるべく御免だが』と冗談ぽく付け加える。
"勝利の導き手(ガグンラーズ)"は―――ほんの僅かに、優しく微笑んでいた。
 
「…………フ。儂の愛する"英雄"というものを、こうも軽やかに体現するとはな」
「む、何か今言ったか?」
「何でもないわ。よかろう、ならばすべてを打ち明けてやろう。
 代わりにこき使ってやるから覚悟するのだぞ?」
「望むところだ。それが英雄たる振る舞いを冒涜しないものである限り、全力を尽くそう。
 ……いや、あなたとの契約はもうちょっと慎重にあるべきというのは生前の教訓だが……まぁ大丈夫だろう!うん!」
 
一人合点しているセイバーを鼻で笑うと、キャスターは小さなその体躯で身軽に地面へと飛び降りた。
―――忘れられた世界の果てで契約が交わされた。
流浪の旅人は無類の剣を手にした。
誰もその瞬間を目にした者はいなかったが、やがて一握りの人間と英霊、そして夥しい邪は知るだろう。
大嵐統べる者が大嵐駆る者を従えた、その意味を。