Roma

Last-modified: 2023-11-05 (日) 20:25:31

ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦 ローマ

Roma001.jpg

2番艦 AL Littorio

AL Littorio.jpg

装甲厚の詳細

Roma.jpg

性能諸元

性能諸元の数値は、アップグレード・基本特性・艦長スキル・ブースター・迷彩などの補正がかかっていない素の状態の数値を入力してください。
部位ごとの装甲厚や散布界など、ゲーム内には載っていない情報は将来ゲーム内で見れるようになる可能性があるので暫定で0や0-1などとする
・基本性能

Tier7種別プレミアム艦艇
艦種戦艦派生元-
国家イタリア派生先-
生存性継戦能力65,400
装甲13-380mm
・防郭 0-1mm
・艦首・艦尾 0-1mm
・砲郭 0-1mm
・装甲甲板 0-1mm
対水雷防御ダメージ低減38%
機動性機関出力128,200馬力[hp]
最大速力30.0ノット[kt]
旋回半径810m
転舵所要時間15.6秒


隠蔽性 通常主砲発砲時火災発生時煙幕内からの主砲発砲時
海面発見距離15.2km16.8km17.2km13.9km
航空発見距離12.2km0.0km15.2km-


射撃管制装置艦体モジュール主砲射程最大散布界
-mod.116.8km0m


主砲艦体口径基数×門数最大ダメージ(火災)装填180度旋回
-381mm/50 OTO 19343基×3門HE弾 5800(24%)
AP弾 12000
30.0秒30.0秒


副砲艦体口径基数×門数最大ダメージ(火災)装填射程
-90mm/50 OTO 1939
152mm/55 OTO 1936
12基×1門
4基×3門
HE弾 1300(5%)
AP弾 3100
4.0秒
12.0秒
5.0km
5.0km


対空砲艦体口径基数×門数秒間平均ダメージ射程
-20 mm/65 Breda 193516基×2門542.0km
37 mm/54 RM 19394基×1門363.5km
37 mm/54 Breda 19328基×2門933.5km
90 mm/50 OTO 193912基×1門1144.0km



・アップグレード

スロット0スロット1スロット2スロット3スロット4
搭載可能アップグレード
1Main Battery Modification 2-min.png主砲改良2+15%:主砲旋回速度
+5%:主砲装填時間
Aiming Systems Modification 1-min.png照準システム改良1-7%:主砲弾の最大散布界
+20%:魚雷発射管旋回速度
+5%:副砲最大射程
-5%:副砲弾の最大散布界
Secondary Battery Modification 2-min.png副砲改良2+20%:副砲最大射程
-20%:副砲弾の最大散布界
2Damage Control System Modification 2-min.pngダメージコントロールシステム改良2-15%:消火時間
-15%:浸水復旧時間
Steering Gears Modification 2-min.png操舵装置改良2-20%:転舵所要時間
Propulsion Modification 2-min.png推力改良2-50%:最大出力への到達時間
3Target Acquisition System Modification 1-min.png目標捕捉装置改良1+20%:最大視認距離
+20%:魚雷発見距離
+50%:敵艦強制発見距離
4Main Battery Modification 3-min.png主砲改良3-12%:主砲装填時間
-13%:主砲旋回速度
Secondary Battery Modification 3-min.png副砲改良3-20%:副砲装填時間

・消耗品

搭載可能 消耗品

搭載可能 消耗品

十字キー左
応急工作班I.png応急工作班無制限消耗品の動作時間:15 秒
消耗品の準備時間:80 秒
十字キー上
修理班I.png修理班4 回消耗品の動作時間:28 秒
消耗品の準備時間:80 秒
回復:0.5% HP/秒
十字キー右
排気発煙装置.png排気発煙装置3 回消耗品の動作時間:45 秒
煙幕の持続時間:10 秒
消耗品の準備時間:150 秒
十字キー下
水上戦闘機I.png水上戦闘機4 回消耗品の動作時間:90 秒
消耗品の準備時間:80 秒
HP:x
秒間平均ダメージ:x
着弾観測機.jpg着弾観測機4 回消耗品の動作時間:30 秒
消耗品の準備時間:200 秒
動作中の自艦の砲安定性:+10%
強化型副砲照準器.png強化型副砲照準器3 回副砲の安定性:+100%
副砲の散布界:-50%
消耗品の動作時間:30秒
消耗品の準備時間:160秒

詳細は消耗品を参照

ゲーム内説明

戦艦ローマは、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦であり、その船体サイズの割には極めて強力な主砲を搭載し、信頼性の高い側面装甲が施され、対水雷防御も優秀でした。ただし対空能力は優秀とは言えず、空襲に効果的に対抗することはできませんでした。
就役:1942
同型艦数:4

解説

  • 概要
    イタリアTier7プレミアム戦艦
    連続ミッション「来た、見た、勝った」キャンペーン*1にて実装されている。
    開始その日から課金ですっ飛ばして入手も可能だがその場合、26,000ダブロンも消費する。
     
  • 主砲
    381mmの砲弾を850m/秒という非常に高速度で撃ちだす事ができ、遠距離でも偏差を取り易く当て易い。
    似たようなBismarckの主砲と比べて砲弾重量が重くなっておりAP最大ダメージが若干高く設定されている。
    貫通力はノースカロライナ等に匹敵し(むしろ僅かながら上回る)、戦艦のバイタルであっても貫通する。
    しかし射程が16.8kmと同Tier戦艦としては最も短い点には注意。
    トップならまだしもボトムになった時にはアウトレンジから一方的に撃たれる場合があるので自慢の高隠蔽を生かして上手く立ち回ろう。
    精度は散布界がドイツ戦艦と同じでσ値1.8とやや悪い部類。できる限り安定性や散布界を補正しておこう。
    前方30度まで砲を指向でき、砲塔旋回速度は30秒と非常に速いので全力転舵しても余裕で追い付く。取り回しは非常に良好。
     
  • 対空
    弱い。対空砲の威力はまあまあだが如何せん射程が短いので投下前に撃墜するのは厳しい。
     
  • 機動力
    速力は30ノットと高速で旋回半径は810mと悪くはない。陣地転換には苦労しないだろう。
     
  • 生存性
    主甲板の装甲が45mmと厚い為、8インチであってもHE弾は貫通しない。上部構造物の体積も小さい。
    しかし中央防郭が喫水戦から飛び出ているので水平方向からの攻撃には要注意。
    一応そこそこの固さはあるが腹を見せると簡単にVPを抜かれる。
    高い位置にVPが位置しているので近距離戦はなるべく控えるのが良いだろう。
    対水雷防御は38%とアラバマ天城の次に高い。
     
  • 隠蔽性
    海面隠蔽の最良値が11.8kmと一部巡洋艦に迫る数値であり大変良い。
    機動性と砲の扱い易さを合わせて敵艦への奇襲、緊急時の離脱など難無く行えるだろう。
     
  • 総評
    本艦は走攻守(対空は除く)よく纏まった艦である。
    隠蔽の良さと速度と弾速の速さを生かして自分に合ったプレイスタイルを模索していこう。

史実

ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦
  • 建造の経緯
    1922年に調印されたワシントン海軍軍縮条約は、締結国に向こう10年の戦艦の新造禁止と主力艦の保有数量制限を課した。その一方で条約締結当時、旧式艦の保有比率が大きかったフランスの抗議により、艦歴20年以上の艦を退役させる場合に限り、代艦の建造を可とする規定が条約に盛り込まれた。
    この代艦規定により、イタリア海軍(及びフランス海軍)は1927年、29年、31年にそれぞれ3万5000tの建造枠を獲得することとなった。これにより、イタリア海軍は1920年代後半に入ると種々の戦艦設計案*2を作成し、来るべき代艦の建造に備えた。しかしながら、依然として財政状況が思わしく無い伊仏両国にとって新戦艦建造は重荷であり、さらに他方の戦艦新造がもう一方の戦艦新造を招き...という状況も受け入れ難かったため、*3両国は建造権を獲得しても即座にそれを行使せず、相手の出方を伺う姿勢を取った。このため、1920年代後半から30年代初めにかけて伊仏両国は巡洋艦や駆逐艦といった艦種での競争に傾注し、新型戦艦は紙上の存在に留まった。
    この戦艦新造における「睨み合い」を破ったのはフランスであった。1932年、フランス海軍はドイツ海軍が1929年から建造していたドイッチュラント級装甲艦への対抗という名目で、33cm砲8門、速力30kt、排水量2万6500tの性能を備えたダンケルク級戦艦の建造を開始した。これについてイタリア(及び一部フランス世論)は排水量1万tに過ぎないドイッチュラント級に対しダンケルク級の性能は明らかに過剰であり、フランスの真の目的は地中海における優位性の確立にあると見なし、対抗用の戦艦建造を決定した。*4イタリアの新戦艦建造に関する最初のプレスリリースは1934年6月10日に行われ、9日後にはワシントン条約参加国へ通知が成された。排水量は条約の規定通り3万5000tと公称されたが、実際には4万1000tを超える排水量を持ち、イタリア史上最大最強の軍艦となった。同月、2隻の戦艦の建造がアンサルド社とC.D.R.A社に発注され、10月28日、両社において新戦艦が起工された(C.D.R.A社がヴィットリオ・ヴェネト、アンサルド社がリットリオ)。
    さらに1935年、第二次エチオピア戦争をきっかけにイギリスとの関係が悪化したことを踏まえ、*5同型艦2隻の追加建造が計画された。*61938年1月7日、この追加分2隻の建造が決定され、同年5月にはインペロが、9月にはローマがそれぞれ起工された。
    基本設計はウンベルト・プリエーゼ技術士官*7によって行われ、艦名は「ヴィットリオ・ヴェネト」が第一次大戦の戦地名から、「リットリオ」は古代ローマに於いてファスケス*8を担い高位公職者に付き従う役職「リクトルの~」を意味する形容詞から、「インペロ」は帝国を意味する名詞から(ムッソリーニは1936年、イタリア帝国の創設を宣言した)、「ローマ」はイタリアの都市名から(ファシズム・イタリアと古代ローマを同一視するムッソリーニの意図も含まれていたとされる)それぞれ採られた。イタリア海軍の伝統に反し、艦固有のモットーは制定されなかった。*9
  • 設計
    船型は耐航性よりも穏やかな海での速度性能を重視したものとなっており、艦首形状は抵抗の減少を狙って球状(バルバス・バウ)とされた。また公試時に艦首甲板が波を被りやすい事が判明したため、艦首船体側面の角度(フレア)を大きくし、波の打ち込みを抑制した。この他、4番艦ローマには姉妹艦の運用実績から艦首部のシア(傾斜)を大きくする改良が施された。艦尾の形状は曲線で構成されるクルーザー型であった。
    艦容は3連装381mm主砲塔3基のうち2基が艦前部に搭載され、その後ろに建つ艦橋はライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦から採用された円筒形艦橋であった。その後方には背の高いマストが伸び、以下煙突、艦載艇置き場、後部指揮所、3番主砲塔、カタパルト、と上部構造物が続いた。そしてその上部構造物を挟むようにして、3連装152mm 副砲塔計4基と単装90mm対空砲塔計12基、礼砲・照明弾用の単装120mm砲計4基が置かれた。
    主砲に採用された381mm/50 Model1934は重さ884.8kgの徹甲弾を870m/sで撃ち出す高初速砲で、発射速度は毎分1.3発。射程は仰角35°で42.8km(SAPは44.64km)、貫通力は射距離28kmで舷側装甲380mm、甲板装甲130mmを抜く事が可能など、40cm砲クラスの性能を誇った。しかしながら余りに高い初速が砲の精度と寿命を悪化させたため、初速は後に850m/sに減じられた。また安定しない砲弾の品質にも悩まされた。砲弾の搭載量は徹甲弾495発とSAP弾171発で、1門当たりの割当は74発。HE弾は装備されなかった。砲塔は設計上、一番砲塔が左右145°、2番砲塔が141°、3番砲塔が160°まで旋回出来たが、実際には甲板への爆風の影響を考慮して1番・2番は120°、3番は135°に旋回が制限された。俯仰は-5°から+35°まで可能であったが、仰角2°以下での射撃は制限されていた。
    副砲の152mm/55 model1936はアブルッツィ級軽巡洋艦にも搭載された速射砲であり、第二次大戦中に用いられたイタリア製152mm砲の中では最良の精度を誇った。発射速度は毎分4-5発で射程は仰角45°で25.74km、砲塔の旋回角は240°、俯仰は-5°から45°であった。
    対空砲の90mm/50 model1938/39は改装後のカイオ・ドゥイリオ級戦艦にも搭載されたもので、1950年代まで現役にあった。性能は18.4kgの砲弾を毎分12発で発射し、最大到達高度は約1万メートルであった。砲塔は11個のジャイロにより4軸で安定化されていたが、複雑な構造が信頼性を低下させた。この他、近接対空火力として37mm機関砲を連装10基、20mm機関砲を連装10基搭載した。
    機関はベッルッツォ式蒸気タービン*104基とヤーロー式ボイラー8基を搭載し、14万馬力の出力を得た。これにより艦は30ktの高速を発揮する事が可能であったが、航続距離は3920海里(20kt)と控えめだった。推進軸は4本、舵は3枚の構成とされた。
    舷側装甲帯は70mmの外部装甲と280mmの内部装甲からなり、2つの装甲の間に存在した250mmの空間には「セルライト」と呼ばれる水分を含んだセメントが充填された。この構造により、まず外部装甲が敵弾の被帽を破壊し、「セルライト」層が弾速を緩めるないし弾道を曲げ、内部装甲が最終的に敵弾を受け止めるという効果が期待された。この装甲帯は射距離16kmまでの381mm砲弾を受け止める性能が想定されていた。甲板装甲は部位によって異なっており、弾薬庫上では150mm、機関上では100~90mmの装甲が貼られており、艦首艦尾には60~36mmの装甲があった。艦橋に関しては全体に255~90mmの装甲が施されると共に、円筒形を生かした良好な視界を確保していた。主砲塔は380~150mmの装甲を備え、バーベット部も350mm ~280mmの装甲によって守られていた。副砲塔は280~80mmの装甲を有しており、90mm対空砲塔には12~40mmの装甲が施されていた。
    水中防御に関してはイタリア戦艦に特徴的なプリエーゼ式水雷防御帯の他、3重底艦底等が備えられていた。
    プリエーゼ式水雷防御

    舷側装甲帯下端から艦底にかけて40mm厚の湾曲した対水雷装甲を取り付け(内側に乾室が設けられている)、装甲と水密隔壁の間に直径3.8m(最大)の中空ドラムを保持し、その周囲に液体を充填したもの。隔壁とドラムの間には中空の区画が設けられた。魚雷が命中した際、中空ドラムが圧壊することで衝撃を吸収し、隔壁が破られる事を防ぐ狙いがあった。浸水に関しては艦底部に水路を設け、片方の浸水を他方に導く事で傾斜を軽減する事を意図していた。この方式はバルジのような大規模な膨らみを取り付ける必要が無いため、船型を高速航行用に最適化できる利点があった。

    ※プリエーゼ式の「欠点」について
    プリエーゼ式水雷防御は被雷の被害を拡大させてしまう構造であったとされる事もあるが、実戦でそのような例が確認された事は無い。
    タラント空襲では3隻のイタリア戦艦に合計5本の魚雷が命中したが、この中で水雷防御帯に命中したものは1本のみであり、残りは全て水雷防御の施されていない艦の末端及び艦底部で爆発している。そしてこの1本(リットリオの1番砲塔付近)に関しても、水雷防御の効果が低下する防御帯の末端部(プリエーゼ式に用いられるドラムは艦の中央部で直径が最大となり、末端部に行くに連れて直径が小さくなっている。防御性能はドラムの直径に依存しているので、防御帯の末端部ほど効果が落ちる事になる。これはバルジでも同じ事がいえる)に命中したにも関わらず、隔壁にはわずかな亀裂が生じただけであった(後の調査でこの被害は建造時の工事ミスによって、溶接が不適切に行われていた事が原因であったとされている)。因みに、プリエーゼ式防御の失敗例としてよく引き合いに出されるコンテ・ディ・カヴールに関しては先述のように魚雷が艦底部で爆発しており、同時期に艦底部や艦の末端部分にまで水雷防御を施した軍艦など存在しなかった事に留意する必要がある(プリエーゼ式防御の無い区画に命中した魚雷の被害でもってプリエーゼ式の欠点を語るのは不合理であろう)。
    さらに他の事例においてもプリエーゼ式防御が有効に働いているケースが見て取れる。例えば、41年1月にナポリでジュリオ・チェーザレが空襲に遭った際には、船体から4mの位置で250kg爆弾が爆発したが、プリエーゼ式防御は想定された通りに動作し、浸水を生じさせなかった(そして修理は12日間で終了している)。また同年12月にヴィットリオ・ヴェネトが英潜ウルジからの魚雷を3番砲塔付近(先述の通りここは水雷防御の効果が低下する部位である)に被雷した際は2700tの浸水が発生し、艦が3.5°傾斜したが、これは即座に1°へ修正された。そしてヴィットリオ・ヴェネトは23.5ktを発揮し、リットリオに追いついた上で無事に帰港している。その後、リットリオが43年9月にフリッツXを被弾した際も、船体を過貫通した弾頭が船体から6m付近で爆発したが隔壁に被害は無く、生じた浸水も直ちに修正され、問題無く航行を続けている。この他、1944年7月にドイツ軍が捕獲した戦艦インペロの船体で行った実験では、ヴィットリオ・ヴェネト級の水雷防御が最大で512kgのTNTの爆発に耐えられる事が示されている。参考までに、米国が戦後行った調査によるとビスマルク級の水雷防御が耐えられるのはTNT408kgまで、アメリカの高速戦艦は317.5kgまで、大和型236kg(計画時300kg)とされている(他の例としてはシャルンホルスト級の250kg、ダンケルク・リシュリュー級の300kg等がある)。
    以上の事例から、プリエーゼ式水雷防御は水雷防御の方式の中では決して脆弱では無く、むしろ有力な部類に入るという事が言える。ドラムを保持しているリベットが被雷の衝撃で外れる、という事が海外の文献で記述される事もあるが、実際の取り付け方法は溶接であり、溶接技術の低いソ連にこの方式が伝えられた際の図面を見誤ったものではないかとされている。プリエーゼ式=脆弱という図式は、個々の事例を検討できる資料が手に入りにくい時代、「イタリア戦艦はプリエーゼ式という珍しい水雷防御を採用している→そのイタリア戦艦が1発の魚雷で大損害を被った→プリエーゼ式は脆弱」という観念が一人歩きした結果ではないだろうか。
    最後に、プリエーゼ式の欠点としては構造が複雑で工作の難易度が高いという点が挙げられ、アンサルド社からより単純な5層式水雷防御が提案されたにも関わらず、プリエーゼ式に固執したのはイタリア海軍の失策であったと言えるかもしれない。

    航空兵装は当初、オートジャイロの搭載も検討されていたが、最終的にIMAM Ro.43水上偵察機が装備された。また、1943年時には敵の雷撃機を追い払うためにRe.2000戦闘機の改修型を搭載していた。艦載機の最大搭載数は3機で、海戦前に発艦し、帰投は母艦ではなく陸上基地にするものとされていた。
    その他装備品としては測距儀や探照灯等の光学兵器、射撃管制装置、艦載艇、機雷原啓開用のバラベーン、陸戦隊用の小火器、救命筏、煙幕発生装置等が搭載された。レーダーに関しては1942年9月よりグーフォ(フクロウ)・レーダーが搭載された。
    イタリア海軍の煙幕発生装置

    イタリア海軍の煙幕発生装置
    第二次大戦中のイタリア海軍の艦艇のうち、駆逐艦以上の艦には"fumogeni(煙発生装置)"と"nebiogeni(霧発生装置)"と呼ばれる2系統の煙幕発生装置が搭載されていた。
    "fumogeni"は煙突内の排気に燃料を噴霧する事で煙幕を得る装置で、白色、黒色のほか着色料を添加する事で様々な色の煙幕を張る事ができた。装置の起動、停止、煙幕の濃さ・量の調整等は艦橋から遠隔操作で行われたが、機関停止中は使用不能であった。
    "nebiogeni"は化学薬品を空気中の水分又は海水と反応させて煙幕を得る装置で、艦後部舷側等に設けられた黒い円筒形ケース中に塩化スルホン酸が収められており、これを放出する事で煙幕を張った。こちらは機関停止中も使用できたが、艦橋からの操作は起動と停止のみが可能で、それ以外の調整は要員が装置を直接操作しなければならなかった。また必要に応じて海上に投下する事も出来た。
    ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦に関しては、当初10基の"fumogeni"(前部煙突に4基、後部煙突に6基)と2~4基の石油加熱式煙幕発生装置を艦尾に備えていたが、1940年に空襲の危険性が高まると、6基の"nebiogeni"が搭載され、43年までその数は増加した。

ローマの艦歴

ローマはヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の4番艦として1938年9月18日に起工し、1942年8月21日に就役した。就役前の1941年4月には、マタパン岬沖海戦で損傷したヴィットリオ・ヴェネトに部品を提供する為、トリエステ-ヴェネチア間を曳航され往復したとされる。姉妹艦に比べ艦首部の反り(シア)が大きい事と、艦首に「イタリアの星」と呼ばれる五芒星*11では無く、ローマ市の紋章を掲げていた事が特徴であった。
就役と同時に第9戦隊に所属となったローマは、訓練航海のためタラント、ナポリ、ラ・スペツィア等様々な港を訪れたが、イタリア海軍の厳しい燃料事情のため、翌年になっても実戦参加には至らなかった。
1942年11月12日には北アフリカへ上陸した連合軍への備えとしてタラントからナポリへ移動する。その道中、英潜ウンブラから雷撃を受けるが被弾は無かった。12月4日、連合軍はナポリに対し大規模な空襲を行い、イタリア艦隊は軽巡ムツィオ・アッテンドーロが沈没し、その他艦艇も損傷する等の被害を被った。その2日後、ローマはヴィットリオ・ヴェネト、リットリオらと共にラ・スペツィアへ移動し、当地でイタリア王立海軍旗艦となった。
1943年4月14日と19日、連合軍はラ・スペツィアを空襲したが、この時ローマに被害は無かった。しかしながら、6月5日に行われた空襲では艦首両舷に至近弾2発を被り、2390tの浸水が生じた。続く24日及び25日の空襲では1発が3番主砲塔右舷側付近の甲板に、もう1発が3番主砲塔の天蓋を直撃したが、装甲により被害は軽微に抑えられた。7月1日、ローマは浸水により着底状態であった艦首を浮揚し、修理のためジェノバへと移動した。8月13日、修理を終えたローマはラ・スペツィアに復帰した。

沈没
1943年9月8日、連合国とイタリアとの間に休戦が成立した事が発表された。この休戦は海軍参謀長ド・クールタン提督にすら知らされておらず、殆どの海軍軍人にとって寝耳に水の出来事であった。*12
当時、ラ・スペツィアにあったローマをはじめとするイタリア海軍主力艦隊は、シチリア島に侵攻中の連合軍を撃退すべく、翌日に迫ったサレルノヘの出撃準備を進めていた。ド・クールタン参謀長から休戦について電話で聞かされた艦隊司令のベルガミーニ提督は抵抗感を示しながらもこれを了解。*13艦隊はドイツ軍による接収を避けるため、9日早朝、ラ・スペツィアを出港した。*14艦隊の一応の目的地は連合軍支配下のマルタ島であったが、現地での処遇等が不明であったため、まずはサルディーニャ島北東部に位置するラ・マッダレーナ港に入港し、*15ここで現地司令のブルーノ・ブリヴォネージ提督から休戦の条件等を記した機密書類を受け取る手筈であった。しかしながら、ドイツ軍は既に先手を打ってサルディーニャ島全域を制圧しており、イタリア海軍司令部はサルディーニャ島を目前にしたベルガミーニ提督に対しアルジェリア北東部のアンナバを目指すよう指示した。
このようにしてイタリア海軍が混乱する中、9日午後、主力艦隊攻撃の任を帯びて出撃したドイツ空軍部隊はボニファシオ海峡付近でイタリア艦隊を捕捉。ベルンハルト・ヨーぺ中佐*16が指揮する第100爆撃航空団のDo. 217Kは高度5000mから誘導爆弾フリッツXを投下し、まずは戦艦イタリア(元リットリオ)が標的となった。
イタリア艦隊はこの爆撃機を視認していたものの、攻撃を受けた場合にのみ反撃が許可されていた上、爆撃機の編隊を連合軍による上空直掩と判断し、誘導爆弾の発するフレアも信号弾と見なす等のミスが重なり対処が遅れた。艦隊は初弾が着弾した後、対空砲火を開き回避行動に移ったが、15時52分、1発目のフリッツXがローマに命中し、艦の速力が10ktに低下した。その後、16時02分ごろ、2発目のフリッツXが2番砲塔と艦橋の間に着弾し砲塔が爆発、大火災が発生した。そして16時12分、ローマは大爆発を起こし、乗組員の「イタリア万歳!国王万歳!」という歓声と共に船体を断裂させながら沈んでいった。
就役以来15ヶ月、総航海距離4010km、総消費燃料3320tを記録し、唯の1度も戦闘航海に就けなかった地中海の勇者の最期であった。
この沈没により、ベルガミーニ提督とローマ艦長のデル・チーマ提督を含む1393名が戦死。596名が付近の艦艇7隻に救助された。

余談

  • 異国の地で
    ローマの生存者はジュゼッペ・マリーニ提督の指揮下、スペインのバレアレス諸島に向かった。これは救助者の中に早急に陸上の病院へ移送する必要がある重傷者がいたこと、当時イタリアの港に入港する事が不可能だったこと、艦隊の燃料が少なくなっていた事を勘案しての措置だった。負傷者はバレアレス諸島に到着すると治療を受けると同時に、他の生存者及び彼らを運んできた艦の乗組員と共に1945年1月まで抑留された。1950年9月、バレアレス諸島のマホン港に移送中に亡くなった9名と現地の病院で亡くなった16名の為の慰霊碑が建てられ、記念式典にはマホン唯一のイタリア人で、抑留中のイタリア兵のために薬や食料の調達に尽力したノヴェッラ夫人の姿もあった。
  • ローマ発見
    沈没したローマの船体は何十年もの間、研究者や水中探検家の興味の対象であったが、イタリア、ドイツ双方の記録が不正確であったため、沈没位置の特定には至らなかった。
    2009年、ローマ率いる主力艦隊に合流する途上で触雷沈没した駆逐艦アントニオ・ダ・ノリの船体がダイバーによって確認された事でローマに対する関心が再燃。公文書等から主力艦隊が当時辿った航路を再現し、探索範囲を絞りこむ手法で捜索を行った所、2012年に船体が発見された。ローマは水深1000mを超える谷状の海底に4つに分裂し逆さまになった状態で沈んでいるとされる。

コメント欄

  • 体力減ってる時に、鉢合わせしたフルヘルスの敵戦艦に排気煙幕でラムも楽しい。アメリカ人から Learn to play game right とかチャット来たけどね -- 2022-12-29 (木) 23:51:57
  • 正直、コイツもヴェネトも主砲が壊れやすく防郭も抜かれやすくて難しい。アラバマとジャンバが強すぎるんよな。まぁ使いやすいには使いやすいんだが主砲が...あと大量にある修理班も火災や震災で大ダメージ受けてない限り回復プールが先になくなりがち。やっぱ煙幕をどう使うかが肝心やな -- 2022-12-30 (金) 09:50:02
    • 修理班6回にしてるけど、煙幕をうまく使って生き延びないと使い切れないことが多い。攻撃用に煙幕使うのも良いけど、準備時間とか考えて離脱用にとっておくのも大事だね。 -- 2022-12-30 (金) 10:04:46
  • ジャンバ無いから副砲ミッションの後半ローマで行ったけどサクサク終わったわ。射程が短いのが難点だけど当てやすくて貫通力もあるし、独戦より使いやすい。 -- 2023-02-08 (水) 19:49:59
    • ツリーのヴェネトは152mmの装填4秒だからもっと早く終わるよ -- 2023-02-08 (水) 21:01:12
      • 副砲当てようミッションじゃなくてスコア上位と敵艦撃沈ミッションのことです。副砲当てようミッションはさすがに独戦使いました。 -- 2023-02-08 (水) 21:37:02
  • 精度ガン積みでもバラけるなあ…こんなバラけたっけこの子 -- 2023-02-21 (火) 08:13:34
  • 排気煙幕について質問です。主砲発射後に煙幕使っても 発見マークが消えないのです。発砲後の被発見距離延長効果が消えるまでは 排気煙幕使っても隠れられないのでしょうか? -- 2023-02-24 (金) 22:49:23
    • はい -- 2023-02-24 (金) 23:19:51
    • 一応、煙幕内主砲発射の非発見距離はある。まあでも10kmを軽く超えてるから、煙幕内で撃ったらほぼ見つかるって事でいいんじゃない? -- 2023-02-24 (金) 23:40:11
    • ありがとうございます。煙幕内で撃った場合は見つかる….というのは分かります。煙幕内射撃の強制発見距離は設定されているので。でも 射撃後に排気煙幕をONにしても隠れられない…というのは分かりにくいですね -- 2023-02-25 (土) 01:41:32
      • すぐ消えたり出たりパカパカする不具合の対応で、すぐには消えないようになってるのと、ゲーム的理由でペナルティを消せないようになってるってのがあるかな。 -- 2023-02-25 (土) 16:24:09
  • こいつでマサチューセッツやアラバマ、果てはジャン・バールやラ・フードに対抗するにはどうしたらいいんかな?あちらさんは縦からでもガシガシ貫通弾入れてくるがこっちはそれができないし -- 2023-03-10 (金) 23:04:14
  • 優秀な装甲で真正面を向けた状態でAP弾、HE弾を非貫通、跳弾させてしまえば良い。耐久性は横を見せなければかなり高いし、キツイときは煙幕で隠れる。そうして耐えながら味方と協力すれば勝てる。煙幕と速力を利用して横から奇襲、ラムアタックと言う手も。とにかくこいつはいろんな戦術がとれるから、特徴を生かすのが大事。 -- 2023-03-25 (土) 23:23:07
  • こいつに限ったことじゃないけど、せっかく煙幕持ってるのに煙に潜った途端にすぐ発砲して発見されて全くの無意味になってるのをよく見かける。発見距離の問題でモク撃ちはほとんど無理なんだから、しばらく発砲しないつもりで間合い取るのに使わないともったいないよ -- 2023-03-25 (土) 23:45:52
  • 高速低弾道で角度がつかないからなのか意外と戦艦のバイタルが抜けないな。他国の艦よりも気持ち下を狙うくらいで撃たないとダメなんだろうか -- 2023-08-11 (金) 10:12:28
  • なんでヴェネトだと真っ直ぐ飛ぶのにこいつだとどこ飛んでくか分からないんだ?主砲の諸元は同じだよな? -- 2023-11-05 (日) 20:13:28
    • σ値はローマ1.8、ヴェネト1.7だけど、ヴェネトの散布界が違うとかあるんだろうか。ローマのは独戦のと同じ劣悪な散布界を改善しないとかなりばらけやすいんだけども -- 2023-11-05 (日) 20:25:31

*1 2020年8月31日から2020年10月05日まで開催
*2 1928年以降、2万3000tの船体に381mm砲2×3を搭載する案、3万5000tの船体に406mm砲2×3を搭載する案、1万7500tの船体に254mm砲3×2を搭載する案などが検討された
*3 フランスに関しては当時、国際連盟において軍縮のリーダーシップを取っていた手前、新戦艦の建造に踏み切れなかったという事情もあった
*4 英仏は外交ルートを通じてこの決定を思いとどまらせようとしたが、イタリアの意思は変わらなかった
*5 イギリスとスペインが手を組み、イタリアのシーレーンを脅かす、というシナリオが想定されていたとされる
*6 この2隻には当初406mm主砲を搭載する事が検討されていた。後にこの案はUP41としてソ連へ提供された。また、1939年にはヴィットリオ・ヴェネト級をスペインで建造する計画もあったとされる
*7 1880~1961。ピエモンテ州アレッサンドリア生まれ。13歳でイタリア海軍に入隊し、32歳より軍艦の設計に携わる。造船所の監督官として重巡ザラ、軽巡アルマンド・ディアズの建造に携わり、後にライモンド・モンテクッコリ級及びドゥカ・ダオスタ級軽巡の設計を手がけた。その後もコンテ・ディ・カヴール級及びカイオ・デュイリオ級戦艦の近代化改装、リットリオ級戦艦の設計を手がけ、円筒形艦橋やプリエーゼ式水雷防御の発明も行った。1938年、ユダヤ人であったため公職から追放されるが、1940年のタラント空襲に際して現役復帰。1944年、ローマでSSに逮捕され勾留される。釈放後、北イタリアへ逃れ妹の行方を探したが、彼女はアウシュビッツに送られていた。戦後、海軍造船研究所所長に就任し、1961年に亡くなるまでその地位にあった
*8 斧の周りに木の束を結びつけたもの。古代ローマにおいて権威の象徴とされた。「ファシズム」の語源でもあり、ファシスト政権下のイタリアでは国籍標識に採用された
*9 リットリオが"Molti nemici — molto onore"(多くの敵-多くの名誉)という非公式のモットーを帯びていたとされる
*10 イタリアの技術者にして政治家、ジュゼッペ・ベッルッツォが設計したタービン。ベッルッツォはファシスト党党員であり、ムッソリーニ政権下では国民経済大臣(1925~28)、教育大臣(1928~29)を務めた。ヴィットリオ・ヴェネト級にベッルッツォ式が採用された背景にはコンテ・ディ・カヴール級に搭載されていたという実績や積極的なロビー活動があったとされる
*11 "Stella d'Italia"(イタリアの星)もしくは"Stellone d'Italia"(イタリアの偉大な星)と呼ばれるシンボルで、古代ギリシャの時代より存在するイタリア最古の世俗の象徴。金星を表しているとされ、国家の守りとしての意味を持つ
*12 余りに急な発表だったため、海軍参謀次長のルイージ・サンソネッティ提督はドイツ占領下のローマから、イタリア王家が避難したブリンディジまでの約550kmを徒歩で脱出するハメになったとされる。また、戦艦ジュリオ・チェーザレでは休戦に納得できない水兵の反乱が発生し、士官の自決も発生したとされる。このような状況から、幽閉状態から解放されたムッソリーニが建てたRSI政権に忠誠を誓う者もいた
*13 昨日の敵に降ることを良しとせず、中立国に艦隊を向かわせる事や自決も考えていたとされる
*14 イギリス海軍地中海艦隊司令アンドリュー・カニンガム提督はドイツ軍の空襲を警戒し、8日夜のうちに出港すべきだと考えていた
*15 当初、首都から脱出したイタリア王家がこの地に身を寄せる予定だった事も関係しているとされる。諸般の事情から、最終的に王家は南イタリアのブリンディジへ逃れた
*16 対艦攻撃のエキスパートであり、戦争初期にはFw200を駆って大西洋上で任務に就いていた。ヨーぺ中佐と第100爆撃航空団はその後も戦艦ウォースパイト、軽巡サヴァンナ、ウガンダ等へのフリッツX攻撃を成功させている