巻末

Last-modified: 2012-03-18 (日) 07:48:10

巻末等

第一巻

第零景

失うことから全ては始まる。

 

正気にては大業ならず

 

その時が来たら 私は血も心も捧げます

 

憎い 憎い憎い

 

武士道はシグルイなり

次巻予告

闇が熱をもつ。
血をはらむ風が吹く。
双子の剛剣士に
藤木・伊良子は対峙する!!

 
 

鮮血が華麗に飛び散る!
禁断の残酷時代劇!!

 

 

「残酷について」 南條範夫

 
 

人間の感情が極端にはしるところに残酷はうまれる。

 

問題が無く、日常生活が平穏に営まれているところには残酷はあらわれない。
しかし、ひとたび問題が起こり、社会や世間、とりまく人間関係がその問題を
和らげることができず、その状況の中で人間の感情が極端にはしる時、
あらわれてくるのは残酷だ。

 

人間の感情が極端にはしる場合はさまざあって、例えば悲愁(悲しみ)などもそうである。
私が武士の女房などを小説にする場合には、悲愁を描くことになるが、男の、武士の問題を
小説にする場合には、残酷を描くことになる。私は、男の、武士のことを多く小説に描いて
いるので、「残酷」が当然多くなる。

 

男の感情がはっきりと判るのは、残酷になった時である。
男も優しさを示す。しかしそれはどこか芝居じみたものになる。男の場合、残酷になる時
その本性が出てくる。だから男の世界を現実につかみだすとすれば、それは残酷だ。
今も、昔からもずっと、世界中のどこでもそうだ。歴史上の問題を何か一つつかんでみるとよい。
そこを突き詰めると必ず残酷な状況があるだろう。

 

私は主に歴史小説を書いて来たが、昔の社会というものには残酷があらわれやすい。
そこでは何もかも残酷だ。戦国時代の武将達のように、対立を和らげる組織がないとことでは、
それぞれが敵対者と直接にぶつからねばならない。自分が勝つか相手に殺されるかだ。
また一方で、昔の人々は上のものに対しても仲間に対しても、普段は感情を抑えて生きていたから、
一旦それが破れると普段抑えていたものが、みなぶつかり合う。様々なものが一気に噴出し、
感情は極端にはしる。残酷になる。

 

人間は本来残酷なものである、などということではない。
何か問題が発生した時、それが対立に向かわないように取りまとめようとする人ももちろんいる。
穏やかで、残酷が表面化してこない社会も、歴史上いくらもあった。残酷が表面化しないように
しっかり抑えるのが、そもそも政治だといえる。

 

しかし、問題のない世界、あってもその問題を受け入れ何も事を起こさない人間、
というものは小説にならない。私はそうしたものに興味はない。

 

私が取り上げるのは、何か問題が生じた時、それを抑え和らげようとするのではなく、むしろ
カンカンになってしまう人間、感情を極端にはしらせる人間である。(談)

 

第二巻

 前巻までのあらすじ

寛永6年、徳川忠長によって催された駿河城内における真剣御前試合。その第1試合に
臨むのは片腕の剣士・藤木源之助と盲目跛足の剣士・伊良子清玄であった。白刃を手に
対峙する二人の剣鬼。その過去には一体何が?
遡ること7年前、濃尾無双と呼ばれた虎眼流の道場に現れた伊良子は、師範代を務める
藤木を破るも、師範・牛股権左衛門に敗れ、虎眼流に入門する。栄達を夢に見て、
恐るべき天賦の剣才により実力を上げゆく伊良子。一方、藤木は異常なまでの鍛錬を
自らに課し、その剣力を極限まで研ぎ澄ましてゆく。
1年余。最強の跡目を欲する虎眼流党首・岩本虎眼は娘・三重の婿にどちらかを選ぶ
試しとして、伊良子と藤木に、別剣派舟木流の後継者・舟木数馬兵馬の暗殺を命じた…。

次巻予告

 

仕置きという名の宴が始まる

 

―さらなる修羅をあなたは浴びる!―

 

 

  「狂気について」 山口貴由

 

「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人をして仕かぬるもの」

 

武士道とは死狂いである。そのような状態にある一人を仕留めるのに、
数十人がかりでもできかねる場合がある。と「葉隠」に記されてある。

 
 

「武士道に於いて分別出来れば、はや後るるなり」

 

剣術は理論であるから、尋常の立会いであれば自分の技量より上手には敗れ、
下手には勝ち、互角には引き分けとなるのが道理である。
しかし、剣術を学ぶことによって、そのような思慮ができるようになることは、
武士道においては後れをとったようなものである。と「葉隠」は戒めている。

 

戦う前の思考の中で損得を計算して、行動を未遂に終わらせてしまう者は、
武士ではなく卑怯者である。武士道においては、相手が上手であろうと、
多勢であろうと立ち向かってゆかねばならぬ場合が殆どであり、
そのような困難に勝利して見せることが、すなわち役に立つということである。

 
 

「正気にては大業ならず」

 

死狂いとなって事に臨むものだけが、勝負の行末が明らかな戦いを、
予測不可能の領域まで押し上げることができる。

 

どうにもできない傷を負った者が、獅子の群れに向かってゆかねばならぬ時、
凡庸の者が、才能ある者と競い合うことを決意した時、
「葉隠」の一節がまぶしく輝いて見える筈だ。

 

死狂いこそ命の最後の拠り所となるものである。

年譜

省略

第三巻

 前巻までのあらすじ

寛永6年、徳川忠長によって催された駿河城内における真剣御前試合。その第1試合で
激突する2人の剣士、伊良子清玄と藤木源之助。この2人を不退転の血戦に導いた宿命
とは一体何か?
かつて、濃尾無双と謳われた岩本道場にともに学び、「双竜」と呼ばれた伊良子と藤木。
圧倒的な天賦の剣才をたのみ栄達を夢見る伊良子に対し、藤木は異常なる鍛錬を自らに
課して剣の奥義に至ろうとする。この2人を競わせ、より優れた「種」を娘・三重に
めあわせようと図るのが、妄執にとらわれた老剣鬼・岩本虎眼、彼らの剣の師であった。
寛永元年末、虎眼が流派の跡目に選んだのは伊良子清玄である。
今や三重の純情思慕をも手中に収め、伊良子は甘美な順風に酔いさらに膨らむおのが
野望に身を焦がすばかり。
 だが彼は知らなかった。その朗報の直後、藤木が失意の中でふるう剣に必殺の新手を
編み出していたことも、おのれと師の妾・いくとの不義密通が発覚し巨剣・虎眼の歪んだ
心の底に、恐るべき憤怒の炎が渦巻き始めていた事も、この若き天才剣士は
知らなかったのである…。

次巻予告

いま見たことは誰にも言ってはいけない。

 

おぼえていてもいけない。

 
 

それはただの序章。

 

闇が密かにはぐくんだ悲しく静かな序章。

 
 
 

そして残酷時代劇の真章が開幕する

 
 

次巻「シグルイ」をうち震えて待て!

『シグルイ』と『駿河御前試合』 チャンピオンRED編集部

(省略)

第四巻

 前巻までのあらすじ

濃尾無双の岩本道場において双竜と呼ばれた二人の剣士・藤木源之助と伊良子清玄。
天賦の才をたのみ自身の栄達を夢見る美貌の伊良子に対し、藤木は師の娘・三重への
ほのかな思慕を胸に秘め、異常な鍛錬をみずからに課して剣力を極限へと高めようとする。
結局、師・岩本虎眼による峻別のすえ虎眼流の跡目に選ばれたのは伊良子の方であった。
許婚とされた三重の心をも掴み、すべてが順風と思われた伊良子。しかし虎眼の妾・
いくとの不倫が発覚し虎眼流一門による恐るべき仕置きを受けることとなる。
何も知らぬまま昆嶽神社に呼び出された伊良子は、不意をつかれるまま師範・牛股、
続いて藤木と立ち会って敗れ、滅多打ちにあう。さらに高弟たちに薬づけにされ
朦朧となるなか、怒りに燃える師・虎眼みずからの斬撃により両眼を切り裂かれた。
こうして稀代の天才剣士・伊良子清玄は光をうばわれたうえ、いくとともに追放となる。
そして3年が過ぎる……。

次巻予告

 見参 復讐の魔剣士

 

  激突 巨剣三虎

 

運命は待たず。許さず。
次巻 残酷無惨加速無限「シグルイ」第5巻
悪夢を研ぎ澄まして待て!

第五巻

 前巻までのあらすじ

ライバル・藤木源之助を制して一度は虎眼流の跡目に選ばれ師・岩本虎眼の娘・三重との
祝言を待つばかりの身であった伊良子清玄。この稀代の天才剣士が、虎眼の妾・いくとの
密通発覚で、虎眼と一門の手による苛烈無惨な仕置きを受け、両眼を切り裂かれたうえ、
いくとともに追放されてから既に3年が過ぎた。
今や魔君・徳川忠長の駿府着任により、血に飢えた者たちの蠢きが激しさを増す掛川に
あって、圧倒的な強さを示し無敵を誇る虎眼流一門。しかしその最強剣士団は、謎の
超剣士の手による恐るべき挑戦を受けることとなる。
次々と一刀のもとに斬り伏せられてゆく、無双と謳われた虎眼流高弟たち。藤木源之助は
この連続惨殺事件が、復讐の鬼となって戻った伊良子清玄の襲撃によるものであり、
それを庇護する黒幕に盲人組織「当道座」の権力者・賎機検校がいることをつきとめる。
検校から金を受け取り裏切りを働いていた虎眼流・興津を倒した藤木は、兄弟子・牛股
権左衛門とともに、伊良子迎撃を決意するのだが…。

第六巻

 前巻までのあらすじ

 濃尾無双をうたわれた不世出の剣士・岩本虎眼。その屈強な弟子たちが、何者かの
手によって次々と屠られていった。犯人はかつての虎眼の弟子であり、虎眼に両眼を
潰され、復讐鬼として舞いもどった伊良子清玄だった。そのことを突き止めた、かつての
同輩・藤木源之助だったが、同時に伊良子の背後に盲人組織「当道座」の権力者・
賎機検校がいることを知り、手を出せないままでいた。
 そんなある日、賎機検校の呼び出しを受けた虎眼と藤木は、検校の屋敷に赴いた。そこに
待っていたのは、いすぱにあの剣術を使う奇怪な男・夕雲。検校の前で試合をした虎眼は、
変幻自在のいすぱにあ剣術に苦戦しながらも、これを討ち果たした。
 検校に謁見する虎眼を、控えの間で待つ藤木と牛股の前に、伊良子が姿を現した。二人に
酒をかけ、復讐を予告する伊良子。屋敷に戻った藤木に、伊良子よりの果たし状が届けられた。
牛股もまた、資金調達の旅の最中、伊良子の手下に襲われ倒れた。伊良子との決着に赴いた藤木。
かれを待つのは果たして…!?

次巻予告

『シグルイ』次巻予告

 

無双とうたわれた虎を屠った伊良子。
暴君・忠長の寵愛と言う翼を得て、
さらなる高みを目指す!

 

一方、虎の遺児たちは、
汚名にまみれながら
闇の中ひそかに
その牙を研ぐ!

 

『シグルイ』戦慄の第7巻
刮目して待て!

 

 

 「秘剣」

 
 

若き士(さむらい)ども嗜むべきことあり。

 

剣術に秘剣と称するものあるなり。

 

必勝不敗を謳い 何事をするぞといへば

 

我は相手の刃を貰わず 我の刃のみ相手に当てんと

 

身をよじり七転八倒する術理なり。

 

まこと沙汰の限りなり。

 

我のみ助からんとして 相手の目をかすめたる様は

 

盗人の働きと大差なきものなり。

 

曲者の用いる術理は ただの一通りなり。

 

太刀を担ぎ 届くところまで近寄りて振り下ろすばかりなり。

 

これは智慧業も入らざるなり。

 

我の刃が届くからには 相手の刃もまた届くものなり。

 

要は踏みかけて切り殺さるる迄なり。

 

仕果たすべきと思わば 間に合わぬものなり。

 

曲者といふは勝負を考えず 無二無三に死狂ひするばかりなり。

 

これにて夢覺むるなり。

 

第七巻

 前巻までのあらすじ

 不世出の剣士・岩本虎眼の道場で、共に剣を磨く同門の相弟子、伊良子清玄と藤木源之助。
二人は双竜と並び称される虎眼流の跡目候補であった。
 過酷な鍛錬を不屈の闘志で克服する実直な藤木。ありあまる天稟をたよりに剣名による
立身出世を夢見る野心の伊良子。二人の力量は互角であったが、師・虎眼が流派の後継者として
選んだのは伊良子の方であった。
 しかし、天才児の破滅はまもなく訪れた。妾・いくとの密通を察知した虎眼は、高弟を率いて
両者に制裁を加えて追放。双眸を切り裂かれた検視の未来は、ただ暗黒が広がるばかりかと
思われたが…。
 三年の後、伊良子は恐るべき魔剣を会得して復活した。次々と屠られる虎眼流の高弟たち。
免許皆伝者・牛股と藤木は
厳戒態勢をしいて岩本家を守るが、満月の夜、牛股は伊良子の放った刺客の毒に倒され、藤木は
偽の決闘状に陽動されて秋葉山中に。
 そうしておいて岩本家を堂々と訪れた伊良子は、娘・三重の眼前で虎眼の頭部を瓜のごとく割り、
脳漿の入り交じる海に沈めるのだった…。

次巻予告

 

双竜、ついに激突!

 

宿怨の敵・虎眼を屠った伊良子
だが、さらに恐るべき若き虎子、
藤木が牙を研いでいた!

 

伊良子の魔剣を、
藤木の秘剣が迎え撃つ!
互いの運命が血を流す時、
あまりに凄惨な結末が待ち構える!

 

この闘い、一刻たりとて見逃すこと能わず!

 

『シグルイ』第八巻、乞御期待!

第八巻

 復讐――死を報ゆるに死を以ってする――

 徳川幕府によって制度化された仇討には、詳細な記録が残されているものが数多く存在し、
その復讐の有様が大衆によって美化され、芝居や講談の演目となったものも少なくない。
 寛永元年に行われた伊賀上野の仇討、江戸大炊殿橋の仇討はつとに有名であるが、寛永五年掛川領に
於ける岩本家若党・藤木源之助と賎機家使用人・伊良子清玄の果し合いは、弟子が師の仇を討つという
大衆好みの事件であったにもかかわらず、決して物語に称されることはなかった。
 これは、美化することが不可能なほど、凄惨な死闘となったためである。
 仇討場一体に云い様のない死臭が漂い、その場に居合わせた殆ど凡ての人間が、嘔吐感と目眩を感じたと
記されている。

次巻予告

双竜の死力を尽くした闘いに、
ついに決着の刻が!
秘剣・奥義を出し尽くした闘いには
死より恐ろしい結末を!
刮目して見届けよ、その瞬間を!

 

死闘決着!

 

「シグルイ」第九巻 戦慄して待て!

第九巻

 寛永五年掛川領に於ける仇討試合、岩本家若党・藤木源之助と
賎機家用人・伊良子清玄の果たし合いは、“三合斬り結んだ末に
一方が伏した”と、何の修飾もなく簡潔に「掛川事件史」に記録
されているが、その後に続く記述はあまりに不可解で、ある種
怪談めいた不気味な内容である。
 これらは、現代の観点から推察するに、仇討場に居合わせた者たちの
困憊した精神状況がもたらしめた集団幻覚であると考えるのが妥当であるし、
もう一つの推理は、仇討場が竜巻などの天災に見舞われた可能性である。

次巻予告

吹き荒れる牛鬼の暴虐の嵐!
立ち向かうは無明なる白竜!
凄絶なる戦いの幕を引くのは
魔剣なるか、暴剣なるか!

「シグルイ」第10巻 刮目して待て!

第十巻

 寛永六年九月二十四日、駿河大納言徳川忠長の
面前で行われた駿府城内の剣術試合は、そのままの
形で世に流伝されるのを禁止された。
 理由の一は、忠長が幕府によって領地を没収され、
自殺の名の下に事実上の切腹を仰せ付けられるに
至ったからであり、他の一つはこの試合自体
空前絶後の凄惨な真剣勝負であった為である。
 太平の時代にも、真剣を以て試合した例は少なくないが、
大国の領主が公に開いた御前試合に於いて、十一番の勝負を
悉く、殊更に真剣を以てせしめたと云う例は全く他にない。
 当日、巳の刻、その最初の対戦者が東西の幕を排して
試合場に現れた時より、異常な緊張感が席上を包んだ。
 西方の剣士、藤木源之助は左腕のつけ根から無く、
東方の剣士、伊良子清玄は両盲いた上に、右足を
引きずっていたのである。
この二人の剣士は、かつて同門の相弟子であり、
藤木源之助を幕外で見守る乙女・三重は、
両名の師・岩本虎眼の一人娘。
伊良子清玄に付き添って来た凄惨な美女・いくは、
かつて虎眼の愛妾であったと云う。

第十一巻予告

伊良子に敗れすべてを失った藤木と三重
死を覚悟した二人の男女の元に
現れし使者が告げしは死より過酷な凶報であった

 

シグルイ十一巻、新章開始。

月下腥風に 虎、眠る

第十一巻

久能山 徳川家康廟

驕児 徳川忠長
 世に駿河大納言の名で呼ばれる徳川忠長は、第二代将軍秀忠の次子である。
忠長の幼名は国千代と称し、才気も容貌も兄の竹千代に勝る存在であった。
当時はまだ長子相続制は確立しておらず、秀忠も兄の秀康を置いて将軍家を
継いでいる。このため、御台所(秀忠夫人)於江与は、国千代こそ将軍家の
後嗣として溺愛を注ぎ、下の者もそれに倣った。
 しかし、神君家康の“長幼の序を誤るは家門の乱るる基”の裁断により、
長子竹千代が将軍家の後嗣と宣明された。これは竹千代の擁する春日局
(竹千代の乳母)の画策であったとされる。
 忠長は、第三代将軍家光の実弟として大領国を与えられ、何の不足もない
身分となったが、かつて将軍の後嗣として寵愛された驕児の胸中には、
得体の知れぬ不満が渦巻いていたのである。

次巻予告

失意の日々を送る藤木と三重。
敗れし者らに吹く風はどこまでも冷たく…。
一方、伊良子はさらなる高みを目指す。
双竜の道が交わる日は再び訪れるのか…?

緊迫の十二巻、戦慄して待て!

第十二巻

前巻まで

 濃尾無双・岩本虎眼を討ち果たした剣名によって、
駿河五十五万石領主・徳川忠長との謁見を果たした
盲目の剣士伊良子清玄。
 その両目こそ闇に包まれていたものの、その
前途は目映いばかりに明るく照らし出されていた。
 一方、師を討たれた虎眼流の跡目・藤木源之助は、
虎眼流の一人娘・岩本三重と共に、武門の誇りを
賭けて伊良子清玄との仇討試合に挑むが、秘剣・
無明逆流れの前に完敗を喫する。
 激戦によって左腕を失った源之助は、潔く清玄の
才気を認め自刃を決意。
 三重もまた、武家の娘としてその生涯を終える
ことを選択するが、二人の前に駿河藩からの密使が
訪れ、思いも寄らぬ命が告げられる。

第十三巻

次巻予告

名剣を入手した伊良子の野望は天を目指す!
一方、傷つきし藤木は病に冒される…!
刻一刻と迫る真剣御前試合。
生き残るのは、ただ一人!
次巻第十四巻、戦慄が走る!

第十四巻

次巻予告

駿河城の白き砂は赤き血を待ちわびる。
剣士たちの運命、恩讐、因縁、全てはここに極まれり。
次巻十五巻、真剣御前試合、開始。

第十五巻

 
 

 

「南條範夫について」    山口貴由

 南條範夫の小説に出会ったのは、十代の終わり頃であった。
 それは戦国時代の武士の物語でありながら、ごく近代の太平洋戦争中の悲話の記録であるかのような生々しい臨場感が鮮烈であり、「拷問」「斬首」「磔刑」などの言葉に血が通っているのは、戦時中の大陸での非情な体験を基盤とした事実性の裏打ちにあると解説されていた。
 歴史学者である南條範夫は「日本の歴史の殆どは、支配者の立場から書かれた歴史である。支配された側に理があり、必死に抵抗する庶民がいても、これを弾圧によって完封した者が優れた政治家として賞賛されている」と述べている。氏の小説は、そのような理由で一切記録に残されなかった人間達に想いを馳せ、その尊厳を蘇らせようとする闘争のようにも思える。

 

 平成十四年の初夏、「駿河城御前試合」の原作使用許可を得るため、南條邸に向かう私と編集者の胸には、緊張と高揚と不安があった。
 氏の作品がどれほど自分を魅了したかを語るのは、幸福な時間に違いない。しかし、劇画化に際して、作品の名称を改変し、すでに研ぎ澄まされた物語に脚色を加えたいと申し出るのは不遜に違いないのだ。まして私は「原作もの」を描くのは初挑戦の身の上であり、創刊間もない掲載誌が市場に定着するかどうかは今後の奮闘にかかっている状況である。
 結論から言えば、我々の不安は杞憂に終わった。「駿河城御前試合」への真摯な情熱が伝わったというよりは、我々があまりに若過ぎたゆえに、全て許されたのである。南條範夫との年齢差は半世紀以上、そのような若輩に作家としての慧眼が向けられることは無かった。
「苦労知らずだな、お前達は」笑顔がそう物語っていた。我々は恐縮しながら、巨匠にもてなされた炭酸飲料を飲み干した。

 

 新連載「シグルイ」の第一話が完成した時、またも厚かましく南條範夫邸を訪問し、単行本用の写真撮影をお願いした。
 椅子に深く腰掛ける巨人の傍らの床に、私は背筋を伸ばし正座して臨んだが、ぽんと肩を叩かれ、隣に座るよう促された。
 それが南條範夫の思想なのだと思う。

 

平成二十二年七月