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Last-modified: 2007-03-31 (土) 13:04:59

第二十五景 約定

立ち上がった夕雲の形相は一変していた

 

いや 一変していたのは形相だけではない

 

刺突剣の切先が向けられたのは
対手である岩本虎眼ではなかった

 

忠義を理解できぬ夕雲の本性が
剥き出しになっていたのだ

 
 

蝉丸という名の中間の腕には手甲鉤と
呼ばれる忍具が嵌められていた

 

さらに友六が懐中で手にしたものは
馬上筒と呼ばれる鉄砲である

 
 

酸鼻なる鮮血の臭いが美剣士の鼻をついた

 
 

「夕雲め そこもとに敗れた無念を主人たるわしに向けるとは…
 彼奴の如き不忠義者に扶持を与えておったはわしの未熟
 虎眼 よくぞ成敗してくれた 礼を言うぞ」
「へぇ」

 

へつらいの笑みはなかった

 

検校に酌をしている女はかつての自分の情婦

 

いく…

 
 

一向 検校に謁見する身分のない源之助らは
控えの間にて師の身を案じていた

 

「兄弟子お久しゅうござる!」
「場をわきまえよ藤木 ここは賎機さまのお屋敷
 波を立てれば先生にもお咎めがあろう」
「牛股師範 まずはご一献」

 

パッシャァ

 

「失礼 目が悪いゆえ」

 

「伊良子 南蛮剣法をけしかけ
 先生を亡き者にしようとしたは
 うぬか」
「濡れ衣にござる
 夕雲は藤木源之助を屠る手筈であった
 それを あの老いぼれが救ったのだ
 藤木では危ういと見てな

 藤木 それでも虎眼流の跡目か?」

 

「ちがうぞ 伊良子
 賎機さまは戯れよと申された……
 ゆえに先生は藤木を下がらせたのだ」
「何が言いたい」
「藤木源之助は戯れの出来ぬ男よ!」

 
 

この虎の拳は友六の目をもってしても
鮮明ではなかった

 

「戯れの出来ぬ男だと 笑わせるな
 よってたかって 女の乳房を焼き
 己の目を潰したうじ虫の分際で」

 

藤木… 次はおぬしだ

 
 

虎眼と弟子二名が岩本家に戻ったのは
夜 5ツを回った頃である

 

ひとしきりわめいた後
老虎は獣のごとく
うつぶせに眠った

 
 

留守の間に何者かが置いた文

 

その芳香は 初めて清玄と会った あの日
源之助を悩ましめた あの芳香であった

 


  来たる満月の夜

 

  松葉の社に

 

  影は 唯二つ

 

         伊良子清玄

 

                  』

 

一対一の決闘の申し出である