第一景 駿府城御前試合
寛永十年十二月六日
駿府領主徳川忠長
自刃
忠長が将軍徳川家光の実弟でありながら
自刃という名目で切腹を申し付けられたのは
大国の領主にあるまじき乱行をとがめられてのことである
忠長の暴虐伝説は数多く
殺生禁断の神山で千二百四十頭の猿を射殺したとか
生きた妊婦の腹を切り裂いた等があるが
それらは俗説であり史実であることを証明できない
「駿河大納言秘記」に収められた駿河城内の御前試合の記述のみが
忠長の驕暴を世に知らしめる唯一の信憑すべき記録である
『 シ グ ル イ 』
出場剣士十一組二十二名
敗北による死者八名
相討ちによる死者六名
射殺二名
生還六名 中二名重傷
手島竹一郎家伝 写本「駿河大納言秘記」より
寛永六年 駿府城
鳥居土佐守成次
「殿に一言申し上げたき儀がございまする 」
駿河大納言徳川忠長
「臭うな 」
「何としても聞き入れてもらわねばならぬことゆえ 」
鳥居どのは陰腹を召して
殿にあの件を諫言なさるおつもりだ
「来たる九月の二十四日 城内にて行われる御前試合を
真剣を持ってせしめるの儀 お取り止めくだされい
剣技の優劣は木剣にて充分見てとれるもの
真剣を用いては折角の一芸の者が… うぶ! 」
ひ…
ごくり ごくり
「天下はすでに泰平 かかるご時世に東照大権言様ゆかりの
この駿府城の庭先を血で汚せば御公儀への叛意と受け取られましょう
さすれば、お家の一大事
されば…
御前試合の剣士になりかわりそれがしがお見せつかまつる
真剣試合がもたらすものはつまるところこのようなもの 」
ずぶぶぶ
「それとも殿は…駿河三十五万石を引き換えにされてもこのようなものが
ご覧になりたいと仰せられるか? 」
「暗君… 」
寛永六年一月 家中の二名切腹
同年四月 御前試合出場剣士は藩主忠長の面前で見苦しき様のなきよう
駿河藩武芸師範により身体を改められた
「虎眼流 藤木源之助にござる 」
「岩本虎眼の娘 三重と申しまする 」
日向半兵衛正久
「ほう濃尾無双とうたわれた虎眼流の…
藤木源之助どのは家老三枝伊豆守様のご推挙であったな
念のため躰を改めさせて頂く 」
「真剣勝負の経験がお有りのようだ 」
「一度 」
「これは 」
「その折に 」
不覚傷!
このような者を殿の御前に立たせて良いものだろうか
家老はなぜこの男を…
なんたる異様な盛り上がり
藤木源之助の背面の隆り
腕一本の働きは充分にするものと覚えたり
寛永六年九月二十四日
この日渡城におもむく藩士たちの胸中は一様に沈痛であった
忠長に招かれた近在の郷士たちの胸中もまた同様
試合場へ向かう重臣たちの表情は弔辞のそれである
朝倉筑後守宣正
三枝伊豆守高昌
「用意万端整いましてございまする」
通常の武芸上覧には木剣を用い 直接身体に打突することは許されない
御前試合に選ばれるほどの一能の士を損失することは全くの無益である
だがこの日尋常ならざる領主をひととき喜ばせすめるために
前代未聞の真剣試合が行われようとしていた
この暴挙をもはや誰も止どめ得ず
士の命は 士の命ならず 主君のもの なれば
主君のために死場所を得ることこそ 武門の誉
封建社会の完成形は
少数のサディストと
多数のマゾヒストに
よって構成されるのだ
陣幕の外側に配備された鉄砲隊は不測の事態への備えである
「御武運を 」
「三重殿いかがなされた? 」
「見えました 藤木様のお勝ちになる姿が 」
「藤木源之助どの お出番にござる 」
ド オ ン ド オ ン ド オ ン
城内南広場 巳の刻
渡辺監物
行司役が忠長の会釈を確認すると
剣士呼び出し役に合図がなされた
広瀬京平
「西方
藤木源之助 」
う…左腕(うで)はどうした
「東方
伊良子清玄 」
伊良子清玄
「いく もう良い 」
いく
「お気をつけて 」
は…跛足の剣士!
いやそれだけではない
隻腕と盲目の剣士
このような取り組みが
「藤木源之助 伊良子清玄
いざ両名とも心置きなく
御殿のため存分に剣技を尽くされよ 」
「この取り組み三枝どのの差配であったな 」
「いかにも 」
「血迷われたか 」
「何と? 」
「隻腕の剣士に骨を立つことはできぬ
盲目の剣士には皮を切ることすらできぬ
ならばこの勝負… 」
「このような武芸と呼ぶに値せぬ見せ物にてお庭先を汚したとあれば
いよいよもって御公儀に申し開き出来ぬ破目に陥り申す 」
「否! 」
「… 」
「見られい朝倉どの 」
ざくっ
「…… 」
「不屈の精神を持った剣士にあっては自己(おのれ)に
与えられた過酷な運命(さだめ)こそ
かえってその闘魂(たましい)を揺さぶり ついには… 」
「……… 」
それはおおよそ一切の流派に聞いたことも見たこともない
奇怪な構えであった
ああ あれこそは伊良子さま必勝の構え
無明逆流れのお姿
藤木さま 斬ってくださいまし
憎い 憎い憎い伊良子を
「怪物め 」