第三十一景 死閃
いくの目に見えたものは
ただ清玄が倒れる姿のみである
勝てり…
我 流れ星に勝てり!
手応えは十二分 あとは老虎が
どうと倒れる音を聞くばかりである
ちがう これはいくの伏せたる音
ちがう! これは石燈籠の…
な…何じゃ?
そこにおるのは一体何じゃ?
死に体であった筈の虎眼は
人でも獣でもない
正体不明の"何か"に変質していた
ひゅ ぅ ぅ ぅ ぅ
清玄の耳に聞こえるものは生あたたかい風の音
魔神と化した虎眼がさらなる変貌を遂げたのか
その場を這いずり去るべく
踏ん張った清玄だが
体が鉛のごとく重く動かない
この時
岩本家公用の間に何者かの足音
血の海など意に介さぬ歩み
三つ指をついての膝行は武家の子女の嗜み
「お父上 この佳き(よき)日を迎え 幸せにございまする」
三重か… 美しゅうなった喃
清玄の一閃により
虎眼はすでに顔半分を
失っていた
風の音と思われたものは
血泡の詰まった老虎の呼吸音
娘の眼前で
うどん玉の如く大脳がこぼれた
濃尾無双とうたわれた剣客の右顔面は
屋根の上で空しく空を睨んでいた