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Last-modified: 2007-03-29 (木) 19:29:58

第九景 傀儡 

武家にとって婚礼は家名を残し後嗣を
生むための厳粛な儀式であり
恋という概念の入り込む余地はない
相手は当主の一存で決まるのだ

 
 

「お父上 どうせよと?」
「た 種え」

 

たね…

 

「おそれながら三重さま…
 先生はこの場にて
 三重どのとそれがしに男女の契りを
 結ばれるよう望まれておられるご様子」

 

男女の契り…
「お痛ましゅうござりまする」

 

武家の娘にとって貞操は誇りそのもの
胸の中に輝く 真白き打掛
それを実の父親が泥足で踏みにじったのだ

 

「下がらせていただきます」
「三重どの!」
「大事ない 今日の父上はいつにも増してお痛ましい御容体…
 皆もひとまず ここを離れるが身のため…」
「権…」
「う 牛股 道をあけよ」
「お戻りあそばされますよう」
「先生は伊良子清玄を婿にお選びなされた」
「全ては虎眼流安泰のため」

 

幼き頃から嫌というほど見てきた
父の仰せとあらば意志をなくした
傀儡となる高弟たち

 

「藤木…」
あの時と同じ顔…

 
 

三重が十の頃――
入門したばかりの藤木源之助に虎眼が
焼け火箸を握らせたことがある

 

肉の焼ける臭いが部屋にたちこめたが
藤木は手を離さずゆっくりと灰をかきまぜていた
「出来ておる」

 

その時と同じ顔をしているのである

 
 

傀儡…
男はみな傀儡
三重は産むための道具
生まれてくるのは蛭子

 

「い~~~~」

 

死のう 舌をかんで死のう

 

「お許したまわりますよう
 今 この場にて事を及べば
 三重さまは命をお断ちになりましょう
 さすればお家が絶えまする
 虎眼流と三重さまのために
 この儀 祝言の後あらためて

 

「うわああああああああああああん」

 

三重は泣いた 生まれたばかりの赤児のように

 

「う うま うまれたぁ」

 

伊良子清玄は傀儡ではない
もっとおぞましい何かだ

 
 

その夜

 

道場の煤払いを終えた
源之助が外出して二刻半

 

剣士の生命線である指先の感覚はすでに失い

 
 

今宵はめでたきにござる…
めでたき日にござる…

 

先生はお選びになされた
伊良子…

 
 

気がつけば相手の間合いの中にいた

 

舟木流の刺客 信楽伊衛門は
居合いの名手である

 

大刀の抜き討ちを一閃すれば
ちょうど首が飛ぶ距離に
源之助はたたずんでいた

 

懐中の温石によって充分に温められた右手と
凍てついた右手

 

抜き合いとなれば勝負の行末は明らかである

 

「貴様ではないな 貴様の腕では兵馬数馬は討てぬ」

 
 

馬鹿な…
速すぎる!

 

この時源之助の放った脇差の一閃は
まさに神速と呼ぶべきものであったが
凍えた指が偶然に生み出した新手
この掴みこそ 虎眼流奥技流れ星の
骨子となる技法である

 

剣はまだ藤木源之助を見放していなかった