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Last-modified: 2007-03-29 (木) 14:53:54

第五景 夜這い

伊良子清玄が虎眼流に入門してはや一年余
この頃掛川の娘たちの間で岩本道場の美剣士の噂が上がらぬ日はなかった

 
 

いーじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼうに れんこん

 
 

女ばかりではない

 

おお… おおお

 
 

木剣による"鉢巻切"は師範牛股の得意技である
一年前まで藤木源之助こそが虎眼流の跡継ぎと
ささやかれていたことを何人の門人が覚えていよう

 
 

"練り"と呼ばれる鍛錬法は小半刻(※30分)かけて
素振りの一挙動を仕終える

 

くわえられた手拭は踏ん張りによって奥歯が粉砕するのを防ぐためだ

 
 

「お父上! 三重にございまする いくではございませぬ いくでは」

 

………

 

「旦那様」
「権左を呼んで参れ」

 

「湯」

 

虎眼が心の平衡を取り戻すのは秋から冬にかけてが最も多く
持続時間は長くて半日そのわずかな期間に虎眼流の活動方針を示唆するのだ

 

三重め ようやく器が整いおった…

 
 

「権左… 虎眼流の跡目 藤木と伊良子いずれかの?」
「藤木源之助かと」
「なにゆえ」
「三重どのを敬もうておりますれば」
「面(おもて)を上げい」

 

「今 何と申した? 三重が何だと?
 あやつさえ男子(まとも)も生まれておれば…… 今頃…
 申せ  わしは藤木 伊良子いずれが強い種かと尋ねておる」

 

ブク ブク

 

「互角か 互角と申すのだな」

 
 

「日坂の舟木一伝斎の息子(せがれ)は たしか双子であったのう
 あれと藤木 伊良子を真剣で仕合わせい」

 
 

舟木一伝斎は掛川城下に慶長以来名人と謳われた剣客である
一伝斎の下あごは上覧試合の際 岩本虎眼に削ぎとばされたものであるが
これは逆に当てた虎眼が掛川城主・安藤直次より「無作法」との誹りを受けている

 

その舟木道場に"兜投げ"と云われる特殊の武技がある
通常の兜割りが安置された兜を叩き割るのに対して
これは斬手の横から投げられた兜を
眼前を横切る瞬間に斬り下げるものである
――舟木家伝書

 

「兄者」
「応」

 

舟木兵馬 舟木数馬

 

数馬と兵馬は兜投げの極意を身につけ
舟木流免許皆伝の業前を持つ剣士である

 

「あの折 殿の御前にて恥をかかされた恨み
 忘れようとて忘れられぬわ
 舟木一伝斎が流派 根絶やしにしてくれる」

 

果たして虎眼は正常なのだろうか
かつて倒した相手におう吐をもよおすようなこの執念

 

「首級(くび)じゃ権左 舟木の息子の首級をこれへ
 伊良子 藤木のうち 仕遂げた方を 種とする」

 

天下はすでに泰平 仮に虎眼流と舟木道場の間で
真剣勝負の合意がなされたとして合戦さながらに
首級を獲るなどという蛮行を藩庁が許す筈がない

 

はたおりの町 掛川を血に染める猟奇事件
"小夜中山鎌鼬"の幕開けであった。