No409 ニュージャージー/元ネタ解説

Last-modified: 2021-02-21 (日) 15:10:26
所属United States Navy
艦種・艦型アイオワ級戦艦
正式名称USS New Jersey (BB-62)
名前の由来State of New Jersey アメリカ合衆国ニュージャージー州
愛称Big J, Black Dragon
モットーFirepower for Freedom
起工日1940.9.16
進水日1942.12.7
就役日(竣工日)1943.5.23
退役日(除籍後)1991.2.8(博物館船として保存)*1
全長(身長)270.4m
基準排水量(体重)45000英t(45722t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶8基General Electric式蒸気タービン4基4軸 212000shp(214940.4PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/14890海里(27576.3km)
乗員1921名
装備(竣工時)16inch50口径三連装砲3基9門
5inch38口径Mk.12連装両用砲10基20門
ボフォース40mm機関砲x80
エリコン20mm機関砲x49
装備(1968)16inch50口径三連装砲3基9門
5inch38口径Mk.12連装両用砲10基20門
装備(1982)16inch50口径三連装砲3基9門
5inch38口径Mk12連装両用砲6基12門
BGM-109トマホーク巡航ミサイル発射管8基32発
RGM-84ハープーン対艦ミサイル発射管4基16発
20mmファランクスCIWSx4
装甲舷側:12.1inch 甲板:1.5~6.0inch 砲塔:19.7inch バーベット:11.6~17.3inch 艦橋:17.3inch 隔壁:14.5inch
建造所Philadelphia Naval Shipyard, Philadelphia, Pennsylvania
(フィラデルフィア海軍工廠 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア郡フィラデルフィア市)
勲章Combat Action Ribbon(1 star)
Navy Unit Commendation(1 star)
Navy E Ribbon(2 Battle Es)
Navy Expeditionary Medal
China Service Medal
American Campaign Medal
Asiatic-Pacific Campaign Medal(9 battle stars)
World War II Victory Medal
Navy Occupation Service Medal
National Defense Service Medal(2 stars)
Korean Service Medal(4 battle stars)
Armed Forces Expeditionary Medal(1 star)
Vietnam Service Medal(3 stars)
Navy Sea Service Deployment Ribbon(3 stars)
Philippine Presidential Unit Citation
Korean Presidential Unit Citation
Vietnam Cross of Gallantry
Philippine Liberation Medal(2 stars)
United Nations Korea Medal
Vietnam Campaign Medal
  • 1度目の就役 ~第二次世界大戦~
    • ニュージャージーはアイオワ級戦艦の2番艦。"Big J"の名で親しまれたニュージャージーは1940年に起工、1942年に進水、1943年に就役した。
    • 就役後第5艦隊(=中部太平洋方面)に加入、マーシャル諸島攻撃に携わる。
      1944年には同艦隊旗艦としてトラック島の日本艦隊へ砲撃・航空攻撃を僚艦とともに行った。
      航空攻撃を行う空母の護衛を行いつつ砲撃を行ったニュージャージーは、引き続いてマリアナ諸島攻略にも参加、マリアナ沖海戦において自身の対空火力の高さを見せつけた。
      攻撃目標がヴィサヤ諸島(中部フィリピン)や硫黄島、南西諸島へ移っても基本的な任務は変わらず、特に戦争末期においては空母への特攻機突入を防御するなどしている。
    • 戦後は日本占領軍旗艦を一時期務めたほか、北欧水域を巡航する練習艦隊の旗艦を命ぜられた。その後ニューヨーク海軍造船所にて不活性化処理が施されると、1948年6月に予備役となった。
  • 2度目の就役 ~朝鮮戦争~
    • 1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、ニュージャージーは朝鮮戦争参加のため再就役となる。
      慣熟訓練ののち1951年5月から活動を始める。主に朝鮮半島中東部の江原道(現・南北朝鮮の日本海側の軍事境界線近辺)を砲撃する。
      地上砲とは比較にならないほどの重砲撃をその機動性とともに遺憾なく発揮し、海上移動砲台として国連軍を支援した。
      1953年7月に休戦となると、日本及び台湾近海にて作戦活動に従事したのち、帰路につく。
    • その後地中海への訓練航海やNATOの練習に参加し、1955年に不活性化、1957年8月に予備役となった。
  • 3度目の就役 ~ベトナム戦争~
    • 1968年4月にニュージャージーは、当時アメリカと交戦状態にあったベトナムに対する重砲撃艦としての役割を求められ、3度目の就役と相成った。
      電子兵装の更新やヘリ運用機能の改善がなされたほか、ボフォース40mm機銃は全撤去された。もはや艦船に対する砲撃は行われなくなっていたが、それでもニュージャージーは当時世界で現役任務に就いている唯一の戦艦であった。
      またベトナムへ向かう前に、給兵艦から16inch砲弾と装薬をヘリを経由して受け取るなどしており、戦艦のヘリコプターによる初の海上補給の事例となっている。
      半年間に及ぶ火力支援においてニュージャージーは、16inch砲を12万回弱、5inch砲を100万回以上発射したとされ、二次大戦以来の激しい艦砲射撃となった。
    • その後1969年12月に不活性化処理がなされ予備役入りとなる。経済的理由により予備役入りとなったとされるが、南ベトナム解放民族戦線(所謂ベトコン)がニュージャージーのベトナム砲撃中止と引き換えにパリ和平会談の席につくことを主張したためともいわれている。
      予備役入りに際し、艦長は艦のモットーとも絡めた次の言葉を艦に送っている。"Rest well, yet sleep lightly; and hear the call, if again sounded, to provide fire power for freedom."(「よく休め。ただし眠りは浅く。そして、呼ぶ声を聞いたならば、自由のために火力を提供せよ」)
  • 4度目の就役 ~レバノン内戦~
    • レーガン大統領の600隻艦隊構想に基づき、1982年12月、ニュージャージーは再就役する。この時、姉妹艦ともどもミサイルを搭載するなどの近代化が行われた。
      レバノン内戦が激化、米国の権益・米国籍の船舶保護のため海軍が1983年から展開することとなる。ニュージャージーも9月にはレバノンの首都ベイルートの沖合に停泊した。
      以降もニュージャージーは停泊をつづけ、シリア軍陣地への幾度かの艦砲射撃を行う。
    • 1986年には佐世保に寄港するが、トマホークミサイル搭載艦としては初の寄港となったことでデモ船や取材機が押し寄せることになった。
    • 1990年代初めにはソ連が崩壊し、冷戦が終結する。これにより国防予算の徹底的削減が行われることとなったが、戦艦は運用に多数の乗員を要するためにすぐさま予備役化が決定された。
      1999年に姉妹艦含め艦の保存方針が固まると、ニュージャージーは自身の艦名のもととなったニュージャージー州カムデンへ送られ、2年後の2001年に博物館として公開された。

*1 48年退役、50年再就役・57年再退役、68年再々就役・69年再々退役、82年再々々就役