所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | ギアリング級駆逐艦→ミサイル駆逐艦(1956)→駆逐艦(1962) |
正式名称 | USS Gyatt (DD/DDG-712/DDG-1) |
名前の由来 | Edward E. Gyatt アメリカ海兵隊二等兵 フロリダ諸島の戦いで身を犠牲にし勇敢に戦い戦死した。彼の勇気を称えSilver Starが授与されている。 |
愛称 | Semper Primus(Always First) |
起工日 | 1944.9.7 |
進水日 | 1945.4.15 |
就役日(竣工日) | 1945.7.2 |
退役日(除籍後) | 1969年 1969.10.22除籍(1970.6.11標的艦として沈没) |
全長(身長) | 119.0m |
基準排水量(体重) | 2336英t(2373t) |
出力 | Babcock & Wilcox式重油専焼缶4基Westinghouse式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS) |
最高速度 | 36.8kt(68.15km/h) |
航続距離 | 15.0kt(27.77km/h)/5690海里(10537.9km) |
乗員 | 336名 |
装備(建造時) | 5inch38口径Mk.12連装両用砲3基6門 21inch五連装魚雷発射管2基10門 ボフォース40mm機関砲x16(4x4) エリコン20mm機関砲x20(10x2) 爆雷投射機x6 爆雷投下軌条x2 |
装備(1957) | 5inch38口径Mk.12連装両用砲2基4門 3inch50口径連装高角砲2基4門 RIM-2 Terrier艦対空ミサイル連装発射管x2 12.75inch三連装対潜魚雷発射管2基6門 |
装甲 | なし |
建造所 | Federal Shipbuilding and Drydock Company,Kearny, New Jersey (フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社 アメリカ合衆国ニュージャージー州ハドソン郡カーニー町) |
- ギアリング級駆逐艦3番艦。
1944年9月7日、フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドックにて起工。翌年45年4月15日に進水、7月2日に就役した。 - 艦名はガタルカナル島の戦いで戦死、シルバースター勲章を死後に授与した海兵隊員、エドワード・E・ジャイアット(1921年~1944年没)に因む。
余談だがこの艦名を命名したのは同人物の母親であった。 - 例によってジャイアットは他のギアリング級と同じく、実戦を経験しないまま第二次世界大戦を終えている。
戦後の1940年代後半から1950年代前半にかけ、ジャイアットは平時の作戦活動に参加。
47年にはウルグアイ大統領就任式に参加するために南米まで向かった他、地中海にも展開している。 - 1956年、ジャイアットは歴史的な駆逐艦として名前を刻む事になる、世界初のミサイル搭載駆逐艦として改造される事になったのだ。
ボストン海軍造船所入りしていたジャイアットは、一旦予備役になった後に改修を施された。
そして、テリアミサイルランチャー*1を装備、同時に幾つかの兵装を下ろしている。
史上初のミサイル駆逐艦として生まれ変わったジャイアットは1956年12月にミサイル駆逐艦を意味するDDG-712の艦種を与えられ、その記念すべき1隻目となった。 - その後もデータ収集や開発試験などの作業をこなし続けたジャイアットはDDG-1の艦番を1957年に与えられた。
60年にはアメリカ海軍第6艦隊へと合流し、海外展開した初のミサイル駆逐艦となっている。
更には1961年には宇宙開発計画であるマーキュリー計画*2の回収担当艦として、宇宙開発にも関与した。
もっとも、こうした平和な活動へ常に従事していたわけではなく、ベルリンでの東西緊張が高まった際は、地中海で有事に備えるため出動する等、戦闘艦としての任務も果たした。 - 1962年、ミサイル駆逐艦であったジャイアットはオーバーホールを行うも、その時点でミサイルシステムが撤去された。
これによりジャイアットは再び普通の駆逐艦を意味するDD-712に変更され、また元の艦種へと逆戻りした。
とはいえミサイルシステムを運用した初の駆逐艦という事もあり、オーバーホール後は主に実験任務などに参加。
新型機材、新システムなどの運用を行い実験艦として活動し続けた。 - 1968年に選択予備役入りしたジャイアットは、翌年69年10月22日に除籍。
戦後のアメリカ海軍で精力的に活動した駆逐艦は、70年6月11日にバージニア沖で標的艦として沈められ、その職務を全うした。