No268 峯風/元ネタ解説

Last-modified: 2018-03-04 (日) 19:34:10
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型峯風型駆逐艦
正式名称峯風(みねかぜ)
名前の由来峯風 山の峰に吹く風
起工日1918.4.20
進水日1919.2.8
就役日(竣工日)(1920.5.29)
除籍日(除籍理由)1944.3.31(1944.2.10沈没)
全長(身長)102.57m
基準排水量(体重)1215英t(1234.5t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶4基Parsons式蒸気タービン2基 38500shp(39034.0PS)
最高速度39.0kt(72.22km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/3600海里(6667.2km)
乗員154名
装備(1943)45口径三年式12cm単装砲4門
三年式機関銃x2
53cm連装魚雷発射管3基6門
爆雷投下軌条4基
爆雷投下台2基
装甲なし
建造所舞鶴海軍工廠 (現 ジャパン マリンユナイテッド社舞鶴事業所)
  • 峯風型は大正6年(1917年)から始まった八四艦隊案により建造が承認された一等駆逐艦で、来るべき海軍の悲願八八艦隊計画において、二等の樅型と並んで主力駆逐艦として配備された。
  • 1300t級の船体に4インチ単装砲4基、53cm連装魚雷発射管3基を一直線に備え、片舷斉射4門、6射線を確保していた。
    さらに強力な機関により最大速力は39ktを発揮、特に4番艦島風は当時日本最速の40.7ktを発揮して関係者を驚かせた。
    しかし航続距離の短さは用兵上の不満であったという。
  • 一番艦峯風は1920年竣工し、上海事変や日中戦争で主に中国北部の沿岸部作戦に従事した後、対馬周辺の哨戒を行う。
    1942年からは佐世保に配備され近海の哨戒を行っていたが、やがて南方の占領地域から物資を運搬する船団の護衛に付くようになる。
    太平洋戦争の開戦時点で艦齢20年を超す老朽艦であったが、海上護衛の必要性から旧式であっても問題ないとされ使われていた。
    しかし戦局は悪化の一途を辿っており、1944年2月、北九州の門司を出港して台湾の高雄まで船団を護衛する途中、米潜水艦ポーギーの雷撃を受け魚雷2発が艦橋と後部に命中、あえなく沈没した。