No46 夕張/元ネタ解説

Last-modified: 2018-03-04 (日) 19:26:40
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型二等巡洋艦夕張(軽巡)
正式名称夕張(ゆうばり / ゆふばり)
名前の由来夕張川 北海道
起工日1922.6.5
進水日1923.3.5
就役日(竣工日)(1923.7.31)
除籍日(除籍後)1944.6.10(1944.4.28沈没)
全長(身長)138.99m
基準排水量(体重)2890英t(2936.4t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶8基Parsons式蒸気タービン3基3軸 57900shp(58703.1PS)
最高速度34.7kt(64.26km/h)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/3310海里(6130.12km)
乗員328名
装備(1944)50口径三年式14cm連装砲2基4門
45口径十年式12cm単装高角砲1門
九六式25mm機銃x25(3x3+4x2+8x1)
61cm連装魚雷発射管2基4門
爆雷投下軌条2基
装甲舷側:38.1+19.05mm 甲板:25.4mm
建造所佐世保海軍工廠 (現 名村造船所社佐世保造船所/佐世保基地) (日本国長崎県佐世保市)
  • 大日本帝國海軍が建造した夕張型二等巡洋艦。1921年、ワシントン海軍軍縮条約により川内型軽巡洋艦綾瀬を小型試作巡洋艦に設計変更。
    同年12月23日、軍艦夕張と命名。夕張型二等巡洋艦として建造する事が決まった。1922年6月5日、佐世保工廠で起工。翌1923年3月5日に進水し、7月31日に竣工を果たす。
    杉浦大佐を初代艦長に据え、佐世保鎮守府に編入された。
    • 無茶な設計を実現した軽巡洋艦。約3000トンの船体に5500トン級の武装を施した事から世界を驚かせた。この設計を実現するために居住性がバッサリ切り捨てられたが、
      本土近海での艦隊決戦を想定していた帝國海軍には大して問題ではなかった。
  • 1923年9月1日、関東大震災が発生。横須賀に停泊していた夕張は、大破した横浜港へ急行。被災者の移送に従事する。10日からは横須賀方面を訪問する摂政宮の乗艦として使用。
    12月1日、五十鈴や多摩とともに第三戦隊を編成。
  • 1924年夏、煙突頂部を2メートル延長。
  • 1925年4月、横須賀を出港。南洋警備艦となり、ハワイで演習中のアメリカ艦隊を監視。6月23日に佐世保へ帰投した。
  • 大東亜戦争勃発時には既に老朽艦となっていたが、最前線を駆け回る。第一次ソロモン海戦では自ら参加を志願して大戦果を残している。
    最期はパラオへの輸送作戦中に受けた魚雷で沈没。曳航が上手く行っていれば助かった可能性もあったが無茶な設計が祟って重量が凄まじく、曳航は不可能だった。