No49 ケルン/元ネタ解説

Last-modified: 2019-01-02 (水) 15:09:32
所属Reichsmarine→Kriegsmarine(1935)
艦種・艦型ケーニヒスベルク級軽巡洋艦
正式名称Köln
名前の由来Köln ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン市
起工日1926.8.7
進水日1928.5.23
就役日(竣工日)1930.1.15
除籍日(除籍理由)1945.4.5(1945.3.31着底)
その後1946浮揚後解体
全長(身長)174.0m
基準排水量(体重)6650英t(6096.3t)
出力Schulz-Thornycraft式重油専焼缶6基Germania式蒸気タービン4基2軸68200PS(67267.0shp) MAN製10気筒ディーゼルエンジン2基1軸 1800PS(1775.4shp)
最高速度32.1kt(59.44km/h)
航続距離14.5kt(26.85km/h)/5500海里(10186km)
乗員514~850名
装備(1935)15cm60口径SK C/25三連装砲3基9門
8.8cm76口径SK C/32連装高角砲3基6門
3.7cmSK C/30機関砲x8(4x2)
2cmC/30機関砲x8
53.3cm三連装魚雷発射管4基12門
艦載機x2
装甲舷側:76~101mm 甲板:20~40mm 砲塔:20~30mm バーベット:30mm 艦橋:30~100mm 隔壁:15mm
建造所Kriegsmarinewerft,Wilhelmshaven
(ヴィルヘルムスハーフェン海軍造船所 ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヴェルヘルムスハーフェン市)

ドイツ海軍が建造したケーニヒスベルク級軽巡洋艦三番艦。
1926年8月7日、ヴィルヘルムスハーウェン工廠で起工。1928年5月23日に進水し、1930年1月15日に竣工した。

 

竣工後はバルト海や北海で慣熟訓練に従事し、練習航海としてスエズ運河を通って東南アジアや日本を訪問している。
スペイン内乱の際はケルンも出動し、スペイン沿岸で活動した。アルメリア沖で禁輸品を運ぶ輸送船が無いか監視を行った。
第二次世界大戦が勃発して間もない1939年10月8日、ケルンは駆逐艦9隻とともにノルウェー方面に進出したが、偵察機に発見され、イギリス本国艦隊が出動。慌ててバルト海へ引き返した。
その後、僚艦グナイゼナウ等とともに出撃し、北海で作戦行動を取る。また12月12日夜に駆逐艦と共同で機雷敷設も行っている。帰路に英潜水艦ウスラに雷撃され損傷。
1940年4月、ヴェーザー演習作戦に参加しノルウェー攻略を支援。この戦闘で二隻を失い、ケルンはただ一人生き残った。
1941年2月、ヘリコプターの運用試験を実施。同年10月からは継続戦争でソ連と戦うフィンランドを支援するため、デゴ島上陸作戦に参加。
その後は戦果を挙げることなく戦場を駆け抜け、1943年3月にバルト海で予備艦となる。それから約1年ほど過ごしたが、1944年4月1日、士官候補生の練習艦として再就役。
再び前線を駆ける事になったケルンは、9月にノルウェー沖で機雷敷設を行う。10月1日からは船団護衛に従事するが、12月13日の空襲で大破。さらに31日に再び空襲を受けている。
1945年1月、満身創痍になったケルンはヴィルヘルムスハーウェンに回航される事となったが、その途上でまた空襲を受けて損傷。
2月14日、命からがらヴィルヘルムスハーウェンに辿り着く。が、翌月31日にイギリス空軍の夜間爆撃に遭い、5発の爆弾が命中し大破着底。もはや航海できない状態だったが砲台として最後まで活用された。
4月6日、除籍。同月30日の空襲でトドメを刺された。