No515 ヴォロシロフ/元ネタ解説

Last-modified: 2022-04-28 (木) 17:58:18
所属Военно-морской флот СССР
艦種・艦型26型計画軽巡洋艦→実験艦(1961)→浮き兵舎(1972)
正式名称Ворошилов→ОС-24(1961)→ПКЗ-19(1972)
名前の由来Климент Ефремович Ворошилов​ ソ連邦元帥・国防大臣・最高会議幹部会議長(=国家元首)を歴任したソ連英雄
起工日1935.10.15
進水日1937.6.28
就役日(竣工日)1940.6.20
除籍日(除籍理由)1972.10.6
全長191.3m
基準排水量7845英t(7970t)
出力Yarrow式重油専焼缶6基ТZ-7型ギヤードタービン2基2軸
126600PS(124868shp)
最高速度36.7kt(67.96km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/2140海里(3963km)
乗員734名
装備(1943)180mm57口径Б-1三連装砲3基9門
100mm56口径Б-34単装高角砲8門
ЗАУ37mm61-K機関砲x10(10x1)
ДШК12.7mm機関銃x4(4x1)
533mm三連装魚雷発射管2基6門
爆雷投下軌条x2
機雷x90
艦載機x2
装甲舷側:102~305mm 甲板:50mm 砲塔:100~150mm バーベット:50~75mm 艦橋:100~150mm
建造所Черноморский судостроительный завод, Николаеве
(スマート海上グループ社黒海造船所(ソ連 第198号海軍工廠) ウクライナ国ムィコラーイウ州ムィコラーイウ市)
  • ヴォロシロフはソ連が建造した26型巡洋艦の2番艦。姉はキーロフ
  • 1935年10月に起工、37年6月進水、40年6月就役。
    姉と異なり機関部の一部をソ連国内で賄うこととなったが、肝心の機器の納入が遅れたため進水から就役までタイムラグを生じている。
  • 1941年6月、黒海艦隊に所属していたヴォロシロフはドイツの侵攻に対応するため、枢軸入りしていたルーマニアの黒海沿岸都市コンスタンツァへと出撃(=コンスタンツァ襲撃)。
    艦砲射撃を行ったものの、途中で現地防衛戦力の迎撃に遭いソ連攻略部隊は混乱状態に陥る。
    ヴォロシロフも損傷、僚艦にも被害が出始めていたため作戦は中止とされ撤退した。
    その後も黒海艦隊の一員として、ノヴォロシースクやオデッサなど北部黒海を中心に砲撃支援を行った。
    時には触雷だけでなく空襲によって小さくないダメージを負ったヴォロシロフであったが、どうにか生還しては修理を受けて再び前線に…と繰り返していった。
  • しかし43年10月に駆逐艦3隻を一挙に失った情報がスターリンのもとに届くと、以降の海軍艦艇損失を防ぐため大規模な作戦行動は禁止されることになってしまう。
    終戦まで幾度か停泊地こそ変えたものの、ついぞ本格的な反抗作戦に出ることはなかったのであった。
  • 戦後、定期整備が行われたヴォロシロフでは海軍の近代化に合わせて大規模改造が計画されていたが、再度の検査にて不適格とみなされてしまう。
    しかし新兵器=ミサイルの開発のテストヘッドとして「プロジェクト33」の名の元実験艦とされることになった。
    大規模かつ長期間の改造工事(上部構造物は完全に一新され以前の艦容をとどめなかった)の末、1961年に艦名を「OS-24」として再就役した。
    以降も適宜近代化計画に合わせて改装が施されながら10年を過ごし、72年に浮き兵舎「PKZ-19」に改名、翌年スクラップとして売却された。