No540 イズメイル/元ネタ解説

Last-modified: 2022-11-18 (金) 18:05:04
所属Российский императорский флот
艦種・艦型ボロジノ(イズメイル)級装甲巡洋艦→巡洋戦艦(1915)
正式名称Измаил
名前の由来Штурм Измаила 第二次露土戦争イズメイル攻囲戦
起工日1912.12.19
進水日1915.6.22
就役日(竣工日)未就役(1931.解体)
全長(身長)223.85m
基準排水量(体重)32500英t(33022t)
出力Yarrow式ボイラー25基蒸気タービン4基4軸 66915PS(66000shp)
最高速度26.5kt(49.1km/h)
乗員1174名
装備356mm三連装砲4基12門
130mm単装砲24門
64mm単装砲4門
450mm魚雷発射管6門
装甲水線部:125-237.5mm 甲板:37.5-75mm 砲塔:300mm
艦橋:250-400mm バーベット:147.5-247.5mm 隔壁:75-300mm
建造所Балтийский завод,Ленинград\Санкт Петербург
(バルト工場社(ソ連 第189号工場) 旧ソビエト連邦レニングラード 現ロシア連邦北西連邦管区サンクトペテルブルク連邦市サンクトペテルブルク)
  • イズメイルはロシア帝国が一次大戦直前に建造を開始したイズメイル(ボロジノ)級巡洋戦艦の1隻。
    建造に際して海外からの輸入や国内工場の能力不足によって工期は当初から遅れ、一次大戦やロシア革命といった国内外の動乱に左右されて建造が中断されてしまった。
    ソ連海軍がのちに引き継ぎ空母としての就役を目指すも、資金不足を理由に計画は頓挫し完工することはなかった。

  • 1905年の日露戦争で手ひどい敗北を味わったロシア帝国海軍は、日本海海戦での日本海軍の戦術を会得すべく、敵の戦列の先頭に立てる高速な艦艇を欲した。
    はじめは高速装甲巡洋艦として設計がスタートし、その際のスペックは305mm砲搭載、最高航速28kt、水線部装甲190mmのものであり、1911年に皇帝の承認を経て…建造されなかった。
    ロシア帝国における実質的な国会であるドゥーマが閉会してしまい、建造計画は暗礁に乗り上げる。
  • 予備として民間にも入札をかけたはいいもののあまりに値が張り過ぎることが判明したためスペックダウン…と思いきや、今度はドイツが巨砲を搭載した戦艦を作るらしい噂を耳にし誤報であった、一気に主砲口径を356mmにグレードアップ。
    国内外の情勢に左右されながら、1912年に三連装4基12門で設計が確定し、これらの砲塔を背負配置にせず分散して配置することでダメージ極限と艦の小型化を図るものとした。
    今度こそドゥーマの承認も得ることができ装甲設計の致命的欠陥を修正しながらも、1912年年末に建造を開始した。
  • 建造予定数は4隻、それぞれ「イズメイルИзмаил」「ボロジノБородино」「キンブルンКинбурн」「ナヴァリンНаварин」と命名され、いずれもロシアにとって象徴的な勝利*1を飾った戦地の名にあやかっている。
  • イズメイルは1912年12月に起工、1915年6月に進水した。
    第一次世界大戦が勃発し帝国の財政は決して芳しい状況ではなかったものの、イギリスから取り寄せた主砲やタービン、ボイラーは三分の二が準備出来ており、同型艦4隻の中では最も進捗していた艦であった(建造中止時点で6割強)。
  • しかし2月革命により建造ペースは急激にダウン、10月革命により完全に中止とされてしまった。
    兵装や機関の多くをイギリスに頼っていたイズメイルは、その輸入が途中で絶えてしまった現状においてまともに建造が進められるような状況ではなかったのだ。
    主砲の砲身が足りない356mm砲ではなく、410mm砲を連装4基で搭載するという案*2さえ出るほどだったが、国内の技術力不足・国外から購入できる術がないなどで却下。
    結局国内動乱がようやく一息ついた段階でも巡洋戦艦としての完成は半ばあきらめられ、完成度の低い同型艦3隻は政府の資金繰りのため売却された。
  • イズメイルだけは辛くも留め置かれ、1925年にソ連海軍作戦本部より空母化改装の検討の対象とされる。
    最高航速27kt、搭載機数50、183mm砲8門を搭載するなどのプロジェクトで、人民委員会議長の承認を得るまではよかったものの、海軍へのこれ以上の出費を抑えたかった上層部の判断でこの計画は頓挫してしまった。
    もはや中途半端に完成されたイズメイルは、ロシア帝国改めソヴィエト連邦が保有する他の戦艦の改修の際の部品取りや、主砲身の列車砲転用ののち、同型艦同様政府の資金捻出のため1930年にスクラップとして売却されたのであった。

*1 「ボロジノの戦い(対ナポレオン)」は正確には勝ったとは言い難いのだが、敵軍に大きく損害を与えたとして軍事的栄光の象徴となっている
*2 356mm三連装砲と410mm連装砲が重量的にはほぼ同じであったことから生まれた発想