「科学者」デカルトと仮説によるアプローチ

Last-modified: 2024-04-29 (月) 03:50:50

※ここは形式上「妄想に陥らないための情報の調べ方」の子ページですが、先にこっちを読んでも構いません。


デカルトのおっさんについては後々哲学(理神論)方面でまとめて触れる予定だったが、少々予定が変わった*1

科学者としてのデカルトについて部分的ながら単独のページ、すなわちここを立てる

「仮説」って何だと思う?

お通し

おっさんは処世術をこう説いた

どれがもっとも真なる意見か見分ける能力がわれわれにないときは、もっとも蓋然性の高い意見に従うべきだということ。

(ルネ・デカルト『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫)

もっとも蓋然性が高い意見=最も「それらしい」意見

今日の辞書的な説明(日国)

か‐せつ【仮説】
〘名〙
① いろいろな事柄の間の関係が実際には確かめられていない場合、それを統一的に説明するための理論的な仮定。また、一般に、ある事柄を理由づけるための仮の見解。仮設。
(精選版日国、たぶん精選版じゃない日国にも同じ事が書いてある)

ついでにOED

原文

hypothesis /hʌɪˈpɒθɪsɪs /
▸ noun
(plural hypotheses /hʌɪˈpɒθɪsiːz/)
a supposition or proposed explanation made on the basis of limited evidence as a starting point for further investigation:
his ‘steady state’ hypothesis of the origin of the universe.
▪ Philosophy a proposition made as a basis for reasoning, without any assumption of its truth:
[with clause] the hypothesis that every event has a cause.

仮説[hypothesis]
▸ 名詞
(複数形はhypotheses /hʌɪˈpɒθɪsiːz/)
さらなる調査の出発点として、限られた証拠に基づいてなされた仮定または提案された説明:

宇宙の起源に関する彼の「定常状態」仮説。

▪ 哲学 推論の基礎としてなされた命題であり、その真実性を前提としない:

すべての出来事には原因があるという仮説。

要するに

「そう考えることで目の前のよくわからん物事を(とりあえず)論理立てて理解できるが、事実として確認されたわけではない仮の説明」
が、日常生活でもより狭い学問の世界でも仮説と呼ばれている

 

なにそれ↑

デカルトのおっさんは大意として
①決めたら迷うな堂々と支持しとけ
②ただし裏ではより確からしい(蓋然性の高い)それが無いか常に油断なく探せ
③見つかった場合は見逃すことなく乗り換えろ
と続ける


なにそれ??

分からん事にはまず論理上矛盾しない仮説を立てればいい、個々の証拠は後から探せ
②仮説は常に暫定的だがとにかく一番それらしいのを引っ掴め、掴んだら迷うな
③ただし隙あらば真偽をデータ方面から検証し、より確からしい仮説が確認されたら乗り換えろ、仮説の放棄や乗り換えは恥ではない


なにそれ???

①「不確かな物事に説明を付ける際は不確かだが論理上矛盾しない仮説を積極的に許容しろ、実験による検証は最悪後世に託してもいい
②「知見の更新に伴って常に確からしさを再検証しろ
とする態度

これは今日の学問全般における「未知に対する演繹的(わからんものにはまず仮説で立ち向かう)アプローチ」と完全に一致している
ビッグバンも邪馬台国奈良or九州説も作者の死を前提とするテクスト論も、現代の「未知を説明する理論」は全てこうした土台の上に建築されている

  • ただ分野の性質やデータの検証可能性に応じて、立てた仮説の扱いに関するグラデーションがあるだけ
    • テクスト論においては矛盾しない仮説(読解)さえ立てばとりあえず仕事終了
      医学だとそうはいかない、といった話

デカルトは「仮に俺が志半ばで死んだとしても、別の誰かが同じやり方でずっと引き継いでいけるような方法を考えた」と宣言した
上記「方法」は、現代において「科学的手法」あるいは「科学」と呼ばれている

デカルトが死んでもうすぐ400年*2だが、いわゆる科学的手法の基底には今なおデカルトのおっさんが眠っている事になる

 

実践

デカルトのおっさん

デカルトのおっさんは『方法序説』後半章で「心臓が血液を循環させる原理」に言及し、心臓の構造についてだいぶ分かりやすく説明してくれた上で

デカルトが生きていた当時の最新医学基準では論理上あり得たが、結果的には後世で否定された仮説

「心臓の熱で血液が瞬時に気体となり、心室が膨張する事でポンプの役割を果たすのだ」

自信満々に「理詰めで」説いてみせる

結果的には大ハズレだったが、ここでデカルト赤っ恥とはならない
仮説とは(日本語としては文字通り)「仮の説明」であるため、「決定的な反証が出たなら否定され放棄されるべし、今までありがとな」まで含めての役割を持っている

結果的に間違っていたとしても、検証を重ねた結果間違っていたと分かるのであればそれで何も問題ない、人類はまた一歩前進したぞ!

デカルトが説いたのはそうした方法論
ゆえに『方法序説』

ゆえに
デカルトのおっさんはコンパクトに圧縮されたページの中でもっと色々説いている
カトリックがガリレオ・ガリレイにクソみたいな難癖を付けていたリアルタイム17世紀社会に対する忖度も(当該ニュースへの言及込みで)防衛手段として積極的に含まれている
しかし大半の論理展開は今日でも有効、学問のフィールドにおいてなお十分な説得力を持って生き長らえている


物理科学

最もよく知られる「放棄済みの仮説」として、エーテルが存在する(存在した) 言い出しっぺはデカルトのおっさん
今日では「より確からしい仮説」が発見され、しかも無数の実験によって確からしさを追認されている
よって誰もエーテル論を支持していないが、当時の知見においては立派な仮説であり科学的アプローチだった

 

Re:*3妄想に陥らないための情報の調べ方

「〇〇だ」と「〇〇かもしれない」は天と地ほど責任が異なる
既に所与の事実として人類に共有されている(検索したら一瞬で確かなソースがわんさか出てくるor信頼性のある辞書に資料が載っている)物事を除き、前者の記述には明確かつ検証可能なソースが求められます。
後者は論理上矛盾していない限りにおいて学問上の立派なアプローチですが、
前者でありながら出典不明の記述は容赦なく言えば迷惑なだけのゴミです。

ここまで目を通してくれた人なら言わんでも分かると思う
俺やこのWikiが勝手に考えてこのような節を主張しているわけではなく、学問というフィールドがそもそもそういったレギュレーションで動いている
このWikiは「日本版Wikipedia以上真面目な学問未満」と据えた水準をターゲットにしているので引用したような標準的レギュレーションにも準じますよ、という但し書き

  • もっと敵を作らない穏便で賢明な書き方がいくらでもあるのは重々承知している まあ攻撃的な記述があったっていいじゃない、初期福音書の著者が描くナザレのイエスだって散々敵を罵倒して呪いまで掛けてるぞ

Re:「天と地ほど責任が異なる」

Wikiとして忖度レスの攻撃的な書き方を選んでいる分相応の反発/反撃は覚悟していたが、ここ(所与の事実と仮説と妄想をそれぞれ混同しないための一般的な注意事項)に物言いが飛んでくる反応は想定していなかった

しかし実際に物言いが付いた以上は言葉足らずだったと捉えざるを得ない*4

  • なぜ一般にそう見なされているのか、という話(つまりこのページの中身)までセットで書いてあげるべきだった ギャップを埋める努力を怠るのは俺の悪い癖だ


「〇〇かもしれない」
演繹的アプローチ
「事象〇〇は論理上矛盾しない仮説Xによって説明され得るかもしれない仮に真とするなら論理上Yも導かれるし、この前提においては既知のZが傍証となるだろう。おそらく実験A、B、Cが真偽の検証に繫がるはずだ」
⇨まず仮説を立て、のち検証(実験)する
帰納的アプローチ
「傍証(or実験/検証/測定の結果)A、B、Cから導かれる仮説Xならば事象〇〇を説明できるかもしれない仮に真とするなら論理上Yも導かれるし、既知のZにも関連するはずだ」
⇨まず検証(実験)し、のち仮説を立てる

これら二種類の「かもしれない」は今日の(科学含めた)あらゆる学問において、現役かつ原液そのままに「仮説」として用いられている

「〇〇だ」
STAP細胞はありまぁす!
これは検証過程をすっ飛ばし断定しているため仮説ではない

「十分な実験あるいは資料的に確認され、疑う余地も議論の余地も同時代において残されていない(と合意されている)物事」についてのみ断定形で指すべし、が基本ルールとなっている

「妄想に陥らないための情報の調べ方」とのみ書いて「妄想に陥る」の定義を説明していないが、ここまで書けばもはや説明は不要だろう

Re:Wikipedia [独自研究]と[要出典]

もはや誰も気にしていないが、Wikipediaは一応体裁として百科事典を名乗っている
ゆえに、少なくとも本来的には「〇〇だ」と断定できる物事だけがWikipediaの取り扱い範囲となる

[独自研究]
仮にお前を信用するのであれば解説に露骨な矛盾は見当たらない
②でもお前の書いた話がお前以外の誰にどのくらい支持されているのか確認できなかった
③ここは一応百科事典であるため、個々の『〇〇かもしれない』(=仮説)を何もかも載せているときりがなくなる
④だから、仮説を書く場合は分野の内側で一定程度コンセンサス取れているような有力説だけを載せてくれ、そうじゃない新鮮な仮説はWikipediaじゃなくて然るべき場所に投稿してくれ
の言い換えが「独自研究は載せないでくれ」となる
[要出典]
「断言するならソース示せバカ」の穏便な言い換え
事実上お前の記述はゴミだと他人が宣言している

どちらもWikipedia的には取扱範囲外だがかなり温度差がある

 

話をまとめる︰

学問とは同時代においてもっとも蓋然性の高い(それらしい)仮説の集合である、と大きく出てもよいだろう
これは今日的な学問において分野を問わず概ね標準的な理解となる

  • 近所に住んでる科学者でも捕まえてこの定義について訊ねてみるといい 彼らは「〇〇と考えられている」までなら嬉々としてなんぼでも言うが「〇〇である」とはなかなか言わない

このWikiは精度の保証について
「日本版Wikipedia以上真面目な学問未満
と堂々言い切っている*5が、仮説を用いたアプローチに寄り添う態度に限っては現代の学術畑が標準的に支持するそれを踏襲している

「現代の学術畑が標準的に支持するそれ」は少なくともデカルトのおっさんまで遡り、なおかつ近現代の人類社会へと直接至る方法論に他ならない

仮説を認めない立場は非科学的・宗教(特に原理主義)的な態度と見なされる
俺はノーセンキュー そうした態度の先に生ずる特定の言説が一般に教義dogmaと呼ぱれるが、そういうのはインターネット上ではなく教会地下のカタコンベとかでやってくれ*6

仮説を認めない立場は非科学的
これは「他から独立した単独の仮説」を前提とする話
=それが仮説であると正しく認識しており、論理的に矛盾しておらず、決定的反証も示されない限り、
どんな仮説をどれほど作ってもよい/仮説にいくら仮説を重ねても問題ない

科学というか現代の学問はそういうルールになっている

「環境や遺伝子の変化に生物が適応する過程で、種そのものが変化し進化していくのかもしれない」という
「宇宙を創ったのは酔っ払った空飛ぶスパゲッティ・モンスター、あらゆる科学的計測はヌードル触手が実験結果を改竄しているのかもしれない」というも、
単独で考えるなら共に有効な仮説
ただし、両者の地位は対等ではない


「仮説同士の比較」となれば、話はまったく変わる

そんなわけでこのWikiでは積極的に仮説を立てるし、仮説を扱うし、場合によっては仮説を放棄する
全て堂々と行うし、(個々の仮説への物言いは聞き入れるが)「仮説を立てる態度」それ自体への物言いには一切応じ(られ)ない

 

補足

デカルトのおっさんは「俺以外の奴が俺について書いている記述は何かしら誤読してるかもしれないから疑ってかかれ、俺の文を直接読め」とも書き残している

  • 「話が大きくなって教会に訴えられたら困るからそういう方向には持っていくな」の言い換え

今日的には「又聞きを信じるな、孫引きもやめろ」と読み替えられるが、本当に完全に従うと二次的な解説は全滅してしまう



(あらゆる一次ソースを辿っているとそれだけで一生が終わるほど複雑化してしまった)今日的世界における一種の妥協として、
ある論における(クリティカルな論拠を除いた)細々した引用については

  1. 検証可能性=ソースへの誘導さえ付せばそれでよし
  2. お前が社会的信用をベットした上で正確な引用を行ったものと仮に信用しておく
    とやや甘めに扱われている

この「社会的信用をベットした上で」の部分が匿名であったりWikiスタイル=編集者不明であったりすると大概怪しくなる(ので真面目な学問ではWiki引用NGとなっている)が、
WikiがWikiNGに準じると身も蓋もなくなってしまうのでインターネット的には個々のページの自治や良心に委ねられている


*1 はるひ板プリコネ💩スレにて当Wiki他ページの「仮説」に物言いが付いたため 文句を言いたいわけではなく順番が前後したに過ぎない、いつか書くであろうページだった
*2 1650年没
*3 このRe:は別にはるひ板プリコネ💩スレへの嫌味とかではない
そもそも彼らはプリンセスコネクト!Re:Diveを投げ捨てて久しいため仮に嫌味のつもりでこう書いても一ミリたりとも機能しない

*4 世間一般において用いられる尺度を引用する文章なのだから、俺個人がはるひ板プリコネ💩スレの読解力をあまり信用していない話とは次元がまったく異なる
*5 非専門的な物事については何の躊躇いもなくWikipediaをベタベタ貼っている
*6 カタコンベは教義を説く場ではなく死体を放り込む墓地 ここではキリスト教原理主義派を念頭に置いて強めの罵倒を書いている