データベースにWiki管理者の立場もクソもあるかどうでもええわとわざわざ書いていなかったが、そういえば大人の責任コーナーは俺が個人で書いておりまったくデータベースではなかった
むしろ大人の責任コーナー*1の読み手に対して公平性を保つ上では真っ先に書いておかないといけなかったページ
既にWiki立ち上げから50日前後経過しており今更感はあるが、遅ればせながら書いた
大人の責任コーナーは大カテゴリーとして歴史*2だが、読むなら一応以下を読んでおいてほしい
大人の責任コーナー読む人はあらかじめ目を通しといてください
- 読まない人にとっては本気でどうでもいいページ
誤訳や誤読調べに来ただけなら俺の情報なんか知って何になる
Wiki管理者=大人の責任コーナー執筆者の立場
このページ名を「宗教に関する」ではなく「宗教に対する」とした時点でまあそういう立場にはなる
- キリスト教が嫌いなのは他のページ見りゃ言わんでも分かるだろうから深くは触れない
- 特に深遠なバックグラウンドストーリーがあるわけではない
個人的な倫理上の尺度に由来するキリスト教世界への義憤こそ山ほどあれど、福音派のクソみたいな勧誘行為を除いて直接キリスト教関係者に何らかの嫌な目に遭わされたあるいは何らかの嫌な行為を受けた経験があるわけではないこの点は特にカトリックの坊主どもに対する最低限の公平性としてしっかり強調しておく
教義のナチュラル傲慢さや西暦通じて現代まで続く組織的蛮行に個人的な倫理上の義憤を覚えてはいるが、カトリックの個別具体的な坊主や信徒に対する個人的な恨みエピソードは何も無い あまりこういう言い方はしたくないが知り合いの中には一人か二人キリスト教徒もいる *3
福音派は違う、いい加減勧誘してくんのやめろ鬱陶しい通り越して普通に怖いわそろそろ警察呼ぶぞ
直接の個人的な経験体験で言えばむしろ****みたいな仏教系カルトの方へ腹を立てているが、このWikiには一切関係ないし他所のページで触れてもいない/触れる予定もない - 「本当はキリスト教が大嫌いなのにさも中立ですみたいな顔で立場を偽って文を打つ」方がむしろ問題で、「ああキリスト教大嫌いな人間が書いている文なんだな」と思いながら読んでもらえるなら読み手に対する公平性は十分に担保されるし担保されていると思う
バイアス掛かってるから気を付けて読めよと公言している文の方がいっそ公平じゃね?
少なくとも事実レベルでのデタラメは書いていない(書かないよう気を付けている)つもりだが、個々の文で述べている評価についてはあなたの立場に応じて足したり引いたりしながら読んでくれればいい 別に悔い改めよ(ババーン!)的に教義を押し付けるつもりはない
- 特に深遠なバックグラウンドストーリーがあるわけではない
- 「お前が何を信じようとお前の勝手だが俺を勧誘すんな邪魔すんな踏み入ってくんなぶち殺すぞ」
この態度が学術的な区分としてどう表現されるべきかChatGPTに相談してみたら「まあ分類するなら反宗教か非宗教なんじゃね?」と言われた
道理である
- 反宗教
- リチャード・ドーキンスが代表選手として最前線を張っている立場
キリスト教文化圏の中からアブラハムの宗教をまとめて非難する立場であったり、あるいは個人的信念としての無神論を通り越して「宗教は社会に害を与える」とはっきり言い切るような立場(主にインテリジェント・デザイン論に対する科学からの反撃)もここに分類される*4
実質的には「反アブラハムの宗教および他人の脳みそに迷惑を掛け得るあらゆる原理主義的な宗教」と言い換えて問題ない- リチャード・ドーキンス
- 『神は妄想である』という直球の有名な本を書いたりもしたビッグネームな科学者・生物学者
普通に有名人だがインターネット的には「ミーム」という概念の発明者と書く方が通りが良いかもしれない
- 非宗教(無宗教)
- 「俺やお前の頭の中はどうでもいいけど、とにかく俺は無神論も含めて特定の政治的宗教勢力に仲間入りする気はねえから寄ってくんな」という立場
日本人の過半数はこの立場を自称しているが、キリスト教文化圏目線だと「いやお前らどう見ても思いっきり仏教徒じゃね何言ってんの?」とツッコミが入る事になっている
↑で道理と書いたがこれも元を辿れば儒教あるいは仏教由来の用語 キリスト教文化圏から見た日本が仏教文化圏にしか映らないのも道理である
まあそんなわけで
大人の責任コーナーについてはご覧のスタンスに基づく提供でお送りします 読んでくれる人は各自調整しながら読んでね