ナザレのイエス

Last-modified: 2024-04-14 (日) 16:59:22

名称

「キリスト」
日本ではどのみちキリスト教への関心がほぼ無いためごちゃまぜに使われているが、これは救世主を指す宗教ワードとなっている
「ナザレのイエス」
イエスは教祖の本名、現実を生きた教祖本人をキリスト教世界の外から指す場合はこう呼ぶ
イエスは珍しくもない名前だったため、出身地域込みでナザレのイエスと呼ぶ

要するに麻原彰晃こと松本智津夫がマハー・グル・アサハラを名乗っていたようなものだが外で言うと思わぬ所に爆弾が埋まっているので注意

生前のイエス

とりあえず何かを主張し処刑された男は実際にいた

ナザレのイエス(ナザレは現パレスチナ地方の地名)
なる男が実在した点はほぼ確かであると確認されている
お通しを流し読みしてほしい
 Wikipedia:ナザレのイエス
 Wikipedia:史的イエスの資料

  • 本人的には終始ユダヤ教徒として活動
  • 貧しい層の側に立ちつつボトムアップ型で活動
  • 当時のユダヤ教主流派であるファリサイ派の司祭らと論戦
  • 「あいつらは立派な律法を説いているから言葉はよく聞いておけ、でも自分らじゃろくすっぽ実践してねえから態度は参考にするな」的に舌戦を挑んだ

……といった点までは概ね合意されている

本人の著書などは無く確かな史料は乏しい

30そこらで活動(ファリサイ派司祭相手のレスバ等)開始⇨数年でユダヤ教司祭NG下の処刑コースへ入ったため、特に本などは書き残していない

  • 仮に本人が何か残していたとして即ち信憑性に繋がるわけではないが、いずれにせよ現代に残るほとんどの関連史料は又聞きスタイルになる

福音書

とは?

キリスト教における聖典(新約聖書)の中核となる文章群
①イエスは生前こんな風に生きあんな話をした

  • ②……と直接の弟子や近しい立場の人が個々に書き残した
    • ③………という体で後年書かれた文

各福音書については伝統的に②(本当に弟子たちが書き残したテキスト)と考えられていた
科学的手法が持ち込まれた今日では③(イエス処刑後だいたい50年くらい経った頃に無名の信者らが書いた)と見なされている

内訳

とりあえず「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四種類がワンセットで一軍扱いされている
他にも近い時期に書かれたと推定される類似の文章はナンボかあるものの、フィクション要素が露骨すぎたり他との矛盾(相違点)が多すぎたりカトリック的な教義に合わなかったりと様々な理由でNG、その後のキリスト教世界におけるオフィシャルルール下では無かった扱い(or二次創作扱い)にされたりしている

様々な理由でNG
大雑把に分けてキリスト教世界の内側において「事情があってオフィシャルな聖典には含められないor異端扱いだけどよく書けてるね」が外典、「これは単なるファンメイドの二次創作だね」と切り捨てられているのが偽典
みんなだいすきグノーシス主義も外典由来
偽典
今日の学術的知見(↑の福音書×4は実際の著者≠謳っている著者)と偽典の原義的な定義(著者を偽っている怪しげな内容の文章)を掛け合わせると正典も全滅するが、キリスト教世界的にはその辺りノーコメントを貫いている

主要な主張内容

内部での温度差はある(一応は著者が伝記の体を取ろうとしている『マタイ』、全力でスピリチュアル入っている『ヨハネ』等)ものの、ワンセットで考えるなら概ね以下のような理解になる
①イエスなる男がいた、ダビデの子孫だ
➁ファリサイ派に弁論挑んだが政治的に処刑された
③イエスは弱者の味方だった
④しかも色々奇跡を起こした
⑤さらに産まれ方もなんか凄かった
⑥おまけに死んでから復活した!救世主だ!
⑦終末の時は迫っている、信じる者は救われる
⑧悔い改めよ(ババババババーーン!)

内容の信憑性

推定成立年代が下るほど話が盛られていく上、書いている要素も少なからずズレがある
一種の藪の中(羅生門)状態であり、実態としての生前のイエスについて考えるには少なくともそれぞれのバリアントを比較する必要がある
(書き手が揃ってウソを書いていたらどうにもならないが、とりあえず相対的に地に足の付いた信憑性が高そうな要素から拾う形になる)

話が盛られていく
弟子や信者が教祖の伝記を書き残さんとした際、「現実のエピソードとしてミラクル起こしていたにもかかわらず記述しない」可能性はきわめて低い 当たり前だね
それゆえ「一部の福音書or後発の福音書だけが書き残しているすんげえ奇跡の数々!」などは新興宗教にありがちな創作と捉えてバッサリ切り捨てる形になる

その上で、共通して書いてある内容についても信者フィルター込みでの信憑性を疑う形になる
「弟子(の名を借りた無名の信者)が書き残した内容から生前の教祖について探ろうとする」という作業スタイルからしてかなり苦しいわけで、それを科学的手法のもと行うとなると非常に面倒くさい
  • 「******や*****や****や****の信者たちが書き残した文章(しかも何十年も後に書かれたもの)だけを頼りに生前の教祖の人物像を探る」という作業を想像してみてほしい
    そんな面倒くさい研究を試みる人々はキリスト教世界の内外問わずよくやっている
新興宗教にありがちな
というより後代の新興宗教が「既存宗教を利用した個人崇拝」のモデルケースとして露骨に参照しているため、******とか*****とか****とか***とか*****とか***などイエスをベースに取りつつ自身の掲げる教祖に権威を持ち込もうとするスタイルは現代のカルトでも非常に人気が高い
バッサリ切り捨てる
有名どころではマリアの処女懐胎も2/4である上に描写がズレているため史学的切り捨て対象となる
(そらそうだ)

個々の主張の吟味

①イエスなる男がいた、ダビデの子孫だ
ナザレのイエスなる男はいた(一応記録は残っている)
DNA鑑定が無い時代の血統書がどの程度信憑性を持っていたかみんなで考えてみよう
②ファリサイ派の司祭らに弁論挑んだが政治的に処刑された
信者側の視点ではあるが話の筋は共通している
ファスト聖書ページで散々触れたような司祭サイドの理屈(信仰を乱す(権力を脅かす)ような奴は即座に粛清すべし)としても十分に筋が通る
  • 「イエス本人が何派寄りの立場であったか」については今日まであれこれ議論されており、実はサドカイ派寄りだったとかいや本人的にはファリサイ派のつもりだったとかいやいや師匠共々エッセネ派だったとか色々と仮説が立てられている
③イエスは弱者の味方だった
一般市民の生まれでろくすっぽ後ろ盾もなく主流派に挑む以上立場は弱者寄りだった可能性が高い
④しかも色々奇跡を起こした
仮に真なら一部の書き手しか記述しないなんて事はあり得るだろうか?
⑤さらに産まれ方もなんか凄かった
仮に真なら一部の書き手しか記述しないなんて事はあり得るだろうか?
⑥おまけに死んでから復活した!
なぜ「同時代の人々が書き残したびっくりエピソード」ではなく「50年ほど経ち関係者が一通りいなくなった頃に著者名を借りて/成立年代を偽って文章化された」のか、みんなで一緒に考えてみよう
⑦終末の時は迫っている、信じる者は救われる
2000年ほど経過したが今のところ終末論は実現していない
→福音派勢力は終末論に描かれる最終戦争を実現させるべくイスラエルあたりにせっせと軍事支援している
⑧悔い改めよ
バババババババババババァァァーーン!

さすがに死後の復活を主張する新興宗教は今日まず無いが、イエスを****とか****とか***とか好きな教祖に置き換えればだいたい今日のそれと互換性を持つ(これは因果関係が逆)

終末
申し訳程度に擁護しておくとユダヤ教も…というか大抵の宗教がこの概念は採用している
いつか来ると説く宗教と間近に迫っていると説く宗教で温度差があるに過ぎない
  • まあ今日の科学的知見でも太陽オワコン化以前に恒星間飛行とテラフォーミング技術を達成できない=宇宙的タイムリミットだが、うっかり滅びることなく億年単位で生き延びる人類史を自信持って描ける人は果たしてどれほどいるだろう?
復活した
「そんなに凄い奇跡の数々を起こした救世主様がなんであっさり捕まって処刑されたん?」
という当然の疑問に必要だったアンサー
「お前たちの(原)罪を背負うべくあえて処刑されたのだ」
の副産物と言える
  • そんな立派な志で処刑されるなら無関係な地方の行政官とか巻き込むなよという外の声は勿論届かない
原罪
名もなき四人(四グループ)が初期福音書を著した段階では言い訳理論未完成だったらしく、生前イエスの言行録として描かれる内容にこの手の主張は含まれていない
主に教会の組織化の過程で整理された言い訳理論であるため、イエス当人の台詞としては紋切り型の「悔い改めよ(ババーン!)」みたいな発言が僅かにある程度となっている

「最初期の教え」争奪戦

後のキリスト教世界(カトリック教会)が生前のイエスや福音書置いてきぼり気味に進んでいくのは歴史が示す通り
一方で「我(ら)の教えこそが原初の教えである」と唱える新興宗教も近代以降無数に出現し、日本でもよく名前を聞くあれやこれやのカルトも多くはその手のグループとなっている

Q.結局生前のイエスって何をどう唱えてたの?
A.推論は可能だが確かなことはイエスが蘇りでもしない限り史料不足でわからん
が学術上のステータスであるため、断定形であれこれ語る怪しげな団体に騙されないよう注意深く生きよう