「キリスト教」の誕生時期
イエス本人はユダヤ教の文脈で司祭とバトルしていたと考えられる(律法の重要性を説く等)ため、同時代的には「なんかユダヤ教の中に変な一派が出てきたらしい」程度の認知
Wikipedia:原始キリスト教
なにぶん昔の事なので怪しい部分はあるものの、
「福音書(および後にカトリック的な正典から弾かれてしまう類似の文書)がポコポコ著され始めた1世紀後半を経て100年ほどの間に各地へ広まったらしい」
と理解されている
Wikipedia:初期キリスト教
周囲の同時代的な反応
現地のユダヤ教(旧約聖書)司祭階級
放っておいたらアカン層であるため手の届く範囲で潰しに掛かる、だって聖書にもそう書いてあるから
現地の庶民
後代で散々逆恨みされたあげく『実際の著者がマタイ作って事にした福音書』の著者に虐殺エピソードを捏造されてしまうヘロデ大王*1の死後、変な奴が後継者になるよりはマシだからと(自主的に)ローマ直轄領となっていた
福音書の著者が恨みがましく記すところでは「司祭に扇動されて」喜んでイエスの処刑を見物した事になっているので、人はパンのみにて生くるにあらず/サーカスもまた必要なのだろう
元からそんな情勢不安定地域であったし、しばらく経つとローマ帝国に対しても宗教性の違いから反乱を企て始める
- そもそも宗教的に一切他と妥協する気の無いユダヤ教勢力なのだから、宗教面をなあなあに済ませつつ世俗的に諸地域を纏めていたローマ帝国の傘下に加わる判断が完全に間違いだった
イスラム教原理主義勢力がアメリカ合衆国に加わるのと同程度以上に根本から判断を誤っている*2、上手くいくわけがない
現地の人々はイエス登場以前と変わらずユダヤ教徒をやっているが、どう見ても力関係として無理筋だった反乱に大勢乗っかった以上支配階級への不満(あるいは生活上の困窮)はそれなりに燻っていたと考えられる
ローマ市民
知っての通り当初の古代ローマ帝国はギリシャ神話を好き勝手アレンジした多神教中心の文化圏
歴史的にもこの規模の帝国では珍しい異宗教に寛容な政策を採用していた地域であるがゆえ、
一神教かつ個人崇拝のキリスト教は市民目線でも完全に厄介カルト枠だった
一神教であるユダヤ教も五十歩百歩
まーたカルトが内輪揉めしてやがるぜ的な目
- 五十歩百歩
- しばらく後になってエルサレムの神殿が再びぶち壊されユダヤ教徒が現パレスチナ地方を追い出されたのも、当該地域のユダヤ教徒が繰り返し反乱を起こした結果に過ぎない
ユダヤ教・後年のキリスト教世界的にはなんか悲劇的弾圧イベント扱いだが、ローマ史的には地下鉄サリン事件後のオウム真理教などと概ね同じ=迷惑カルトの大規模テロに対する後始末イベントとなっている
ローマの為政者
キリスト教が一生根に持っているネロことネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスについても、ローマ帝国のボスとしては通常業務の範囲内で処理している
いわゆるローマ五賢帝ら名だたる皇帝らもカルト活動にウンザリしていたらしい様子があれこれ記録に残っている
- 厄介カルト枠
- そんな迷惑なグループの一派であったキリスト教が時と共に広まる程度には当時のローマ帝国為政者なり現地の司祭なりにも相応の問題があったのだろう、十分に治安が良ければわざわざカルトは流行らない
あとカトリックとして信仰の組織化を進める過程において必死で政治トップに取り入るカルト的最善手をしっかり選べた影響も大きい
アウグスティヌスなる男が大立ち回りを繰り広げるのはもう少し後の話
バラバラだったキリスト教
何しろ教祖たるナザレのイエスは教典を書き残す暇もなくとっくの昔に死んでいるため、どこまで行っても個人崇拝である最初期キリスト教は一本化から程遠い状態にあった
- ブルアカ的にもトリニティ総合学園成立以前の諸派乱立による内乱時代として反映されている
「で、キリストって何者だ(ったんだ)?」
宗教的な大前提となるこの疑問について、(特に現代まで記録が生き残らなかったマイナーグループも含めれば)それはもう多種多様な主張が展開されていたと考えられる
いわゆるカトリックなキリスト教がある程度纏まった組織を形成するに至るはより時代を下った3~4世紀頃となる