所属 | 大日本帝國海軍 |
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艦種・艦型 | 長門型戦艦 |
正式名称 | 陸奥(むつ) |
名前の由来 | 陸奥国 旧令制国 (日本国青森県 岩手県 宮城県 福島県 秋田県北東部) |
起工日 | 1918.6.1 |
進水日 | 1920.5.31 |
就役日(竣工日) | (1921.11.15) |
除籍日(除籍理由) | 1943.9.1(1943.6.8沈没) |
全長(身長) | 215.8m→224.94m(1936) |
基準排水量(体重) | 32720英t(33245.1t)→39050英t(39676.6t)(1936) |
出力 | ロ号艦本式重油専焼缶16基ロ号艦本式石炭重油混焼缶6基艦本式蒸気タービン4基4軸 80000shp(81109.6PS) →ロ号艦本式重油専焼缶10基艦本式蒸気タービン4基4軸 82000shp(83137.3PS)(1936) |
最高速度 | 26.5kt(49.07km/h)→25.28kt(46.81km/h)(1936) |
航続距離 | 16.0kt(29.63km/h)/5500海里(10186km) →16.0kt(29.63km/h)/10090海里(18686.68km)(1936) |
乗員 | 1333~1475名 |
装備(建造時) | 45口径四一式41cm連装砲4基8門 50口径四一年式14cm単装砲20門 40口径三年式単装高角砲4門 53.3cm魚雷発射管8門 |
装備(1936) | 45口径四一式41cm連装砲4基8門 50口径四一年式14cm単装砲18門 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基8門 九六式25mm機銃x20(10x2) 艦載機x3 |
装甲(1936) | 舷側:76~305mm 甲板:70+127mm 砲塔:228~457mm バーベット:229~305mm 艦橋:178~330mm 隔壁:76~330mm |
建造所 | 横須賀海軍工廠 (現 米海軍横須賀基地) (日本国神奈川県横須賀市) |
- 長門型戦艦二番艦として1918年に起工。しかし建造途中の1921年にワシントン海軍軍縮条約で陸奥が俎上に上がることになった。
条約国で未完成の戦艦はすべて破棄することとしていたが、日本は陸奥が完成していると主張。
未完成を主張する英米視察団を接待漬けにするなど涙ぐましい努力の結果、陸奥は完成していると認められた。
(代わりに英米に同規模艦2隻の保有を認めさせている)
かくて完成した16インチ砲搭載艦は世界に7隻となり、世界七大戦艦(ビッグセブン)の名を轟かせることになる。
長門・陸奥は日本最大にして最新鋭の戦艦であり、子供たちにも親しまれた。 - 戦間期に長門とともに近代化改修を受けた。水平装甲の多重化や艦尾の延長、バルジ装着などで戦艦としての能力を上昇させていった。
- 太平洋戦争の開戦後、陸奥の初の本格出撃はミッドウェー海戦となったが、空母機動部隊壊滅により敵を見ることなく転進。
その後アメリカ軍のガダルカナル島上陸を受け出撃したものの戦闘の機会がなく、搭載していた重油は駆逐艦隊の補給に使われ、旅館、燃料タンクなどと陰口を言われる始末であった。
1943年1月には内地へ戻るが、強力な戦艦であるが故に温存された陸奥は出撃の機会がなく、5月にはアッツ島支援任務を受けたが出撃前にアッツ島守備隊は玉砕した。 - 1943年6月8日午後0時10分、昼食を終え、煙草盆を出し休憩をしたり、新兵が皿洗いをしたり、午後1時から長門との錨地変更作業の準備を進めていたころ、3番・4番砲塔付近から煙が上ったかと思うと大爆発を起こし、轟音とともに沈没した。爆発の衝撃で三番砲塔がすっぽぬけ、艦橋と同じ高さに持ち上がるところを見たものも居るという。
当初は敵の潜水艦による攻撃を疑われたが発見できず、直ちに査問委員会が設置された。
過去にも戦艦での爆発事故は度々起きており、様々な点から事故原因が検討された。
三式弾の自然発火説は当初有力であったが、大金を投じて陸奥と同じ環境を再現した実験の結果、原因として否定された。
敵国のスパイ説もあったが弾薬庫の鍵を盗まれた形跡もなく、今日までその詳細な原因はわかっていない。
浮揚、修復も検討されたが、桂島水域の水深が深く、水流も早くて作業が困難なうえ、損傷が甚大な為、不可能と判断された。 - 結果的に陸奥は軍縮条約で敵艦を増やし、自らは活躍を果たせず爆沈するという、あまりにも無念の最後を遂げた非業の戦艦であった。
- 陸奥の爆沈は戦局の悪化が見え始めた時期の出来事であり、国民に親しまれた陸奥が戦わずして爆沈という事実は戦意・世論に影響を与えかねない事態だった。
このため民間に対しては箝口令が敷かれ、死亡した乗員の遺族に給料の送金を続けるなどの隠蔽工作が行われたという。 - 戦後になって陸奥の浮揚が試みられ、船体後部など7割は引き上げられたが、艦首や1,2番砲塔は未だ海の底である。
陸奥の鋼材はコバルト60などのトレーサーが含まれていないため、実験機器の放射線遮断剤などに使われている。