No149 エムデン/元ネタ解説

Last-modified: 2018-12-17 (月) 01:21:07
所属Reichsmarine→Kriegsmarine(1935)
艦種・艦型軽巡洋艦エムデン
正式名称Emden
名前の由来Emden ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州エムデン市
起工日1921.12.8
進水日1925.1.6
就役日(竣工日)1925.10.15
除籍日(除籍後)不明(1945.5.3自沈)
全長(身長)155.1m
基準排水量(体重)5400英t(5486.7t)
出力Marine式石炭専焼缶4基Marine式重油専焼缶6基Brown Boverie式蒸気タービン2基2軸 46500PS(45863.9shp)
最高速度29.5kt(54.63km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/6700海里(12408.4km)
乗員630名
装備(1944)15cm48口径SK C/36単装砲8門
10.5cm45口径SK C/32単装高角砲3門
8.8cm45口径SK L/45単装高角砲3門
3.7cmSK C/30機関砲x2
2cmC/30機関砲x20
53.3cm連装魚雷発射管2基4門
装甲舷側:50mm 甲板:10~40mm 砲塔:20mm 艦橋:100mm
建造所Kriegsmarinewerft,Wilhelmshaven
(ヴィルヘルムスハーフェン海軍造船所 ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヴェルヘルムスハーフェン市)

ドイツ海軍が建造したエムデン級軽巡洋艦一番艦。エムデンという艦名は当艦が三代目。
1921年12月8日にヴィルヘルムスハーウェン工廠で起工。1925年1月7日に進水し、同年10月15日に竣工した。
就役後、後部煙突を改修し、訓練生用の練習艦となる。1926年11月11日、第一次練習航海を実施。喜望峰を回ってココス諸島*1、インドネシア、日本、アメリカ、チリ、ブラジルに寄港。
そんな中、ミンダナオ島北東約80キロの地点で世界最深の海淵(水深10400メートル)を発見。艦名から取って、エムデン海淵と名付けられた。

 

1928年3月14日、母港のヴィルヘルムスハーウェンに帰投。マストの縮小、第二煙突の延長といった改修工事を受ける。
その後も練習航海は続けられ、第11次まで行われた。この途中、エムデンは何度か日本に来訪している。

 

第二次世界大戦が勃発した1939年9月1日。ヴィルヘルムスハーウェンで開戦を迎えたエムデンは4日、停泊中にイギリス空軍のブレニム爆撃機から攻撃を受ける。
戦闘の結果、艦首に1機が突入し今次大戦初の戦死者を出す。さっそく修復作業が行われ、16日に完了。ドイツ湾へ機雷を輸送する。
1940年4月6日、ノルウェー作戦に参加し兵員輸送に従事した。オスロ攻略中、触雷して損傷。前線から後退してコッデンバーグに移動。
1940年9月、東部戦線を支援するため僚艦のケルンとともにソ連の沿岸砲台を攻撃。同月27日、僚艦ライプツィヒと協同でソ連の魚雷艇83号を撃沈する。
1941年9月には再びソ連軍の沿岸砲台を砲撃。しかし旧式艦だったためか11月にはもう練習艦に指定され、その後は整備や機雷敷設に従事する事となる。

 

戦局が怪しくなってきた1944年冬、シーシャウ社のドックで修理を受けていたエムデンはソ連軍の侵攻で退却を余儀なくされる。
1945年1月23日、ソ連軍の進撃により戦況が逼迫。ピラウに取り残された難民を乗せ、破氷船に曳航されながら脱出した。
2月6日、キールに到着し改修工事を受ける。4月3日、キール軍港にランカスター爆撃機が襲来し、エムデンは大破座礁。26日に除籍となり、ドイツ敗北寸前の5月3日に自沈処分された。

 

ドイツがヴェルサイユ条約を順守して建造した唯一の巡洋艦であった。


*1 第一次大戦初期の通商破壊戦で有名な初代エムデンの最期の地でもある