No160 ムールマンスク/元ネタ解説

Last-modified: 2018-12-09 (日) 19:36:20
所属United States Navy→Военно-морской флот СССР(1944)→United States Navy(1949)
艦種・艦型オマハ級軽巡洋艦
正式名称USS Milwaukee (CL-5)→Мурманск→Milwaukee
名前の由来City of Milwaukee アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー市→
Мурманск ロシア連邦ムルマンスク州ムルマンスク市→元に戻る
起工日1918.12.13
進水日1922.3.24
就役日(竣工日)1923.6.20
ソ連就役日1944.4.20
米国へ返却日1949.3.16
除籍日(除籍後)不明*1(1949.12.19売却後解体)
全長(身長)169.3m
基準排水量(体重)7050英t(7163t)
出力Yarrow式重油専焼缶12基Westinghouse式蒸気タービン4基4軸 90000shp(91248.3PS)
最高速度35.0kt(64.81km/h)
航続距離10.0kt(18.52km/h)/9000海里(16668km)
乗員458名(米時代) 805名(ソ連時代)
装備(1942)6inch53口径連装砲2基単装砲6基10門
3inch50口径単装高角砲8門
21inch三連装魚雷発射管2基6門
エリコン20mm機関砲x8
機雷x224
艦載機x2
装甲舷側:3inch 甲板:1.5inch 砲塔:1.25inch 艦橋:2.5inch
建造所Todd Shipyards, Tacoma, Washington
(トッド・パシフィック造船所 アメリカ合衆国ワシントン州ピアーズ郡タコマ市)
  • ソ連海軍の巡洋艦であるが、前述の通りレンドリースで貸与された艦であり、元はアメリカ海軍のオマハ級軽巡洋艦ミルウォーキー
    実はソ連海軍として活動した期間の方が短く、彼女はあくまで貸与された艦であったため、最終的には母国アメリカへと返還されている。
  • 艦の構造、武装、開発経緯に関してはオマハを参照。
    1922年3月24日に進水、1923年6月20日に就役した。
  • WW1とWW2の戦間期に出たため、ミルウォーキーは平時の作戦活動などに使用されている。
    この頃の特筆すべき活動としては1926年10月に起こったハリケーンでの災害派遣と1937年12月のパナイ号事件での派遣がある。
    • 1926年10月、カリブ海を襲ったハリケーンの際にグアンタナモ湾のピノス島へ友軍駆逐艦と共に派遣。
      被災者への援助物資を送り届け、さらに現地で医療や通信インフラ整備の支援を行った。
      この献身的な働きにより、乗員らは現地住民から深く感謝されたと言う。
    • 1937年12月、日中戦争によりアジアでの情勢が悪化する中パナイ号事件が発生。
      中国の揚子江上で米軍の砲艦パナイ号が日本軍機の攻撃により撃沈された事件であり、両国の緊張が高まった。
      この最中、ミルウォーキーは極東へと派遣。日米開戦にすら発展する可能性があったが、この事件は日本の謝罪と賠償の対応で決着を迎えた。
      ミルウォーキーは事態が収まると同時に本国へと帰還した。
       
  • 1941年末、太平洋戦争勃発によりアメリカが第二次世界大戦に本格参戦すると、ミルウォーキーは実戦へ参加した。
    しかし、他のオマハ級と同じくすでに旧式化していた事から後方の支援任務や哨戒任務へと割り当てられている。
  • ミルウォーキーは大西洋を拠点に活動、時にはアフリカ大陸近海にまでその活動を広げていた。
    42年5月はドイツ海軍の攻撃を受けて損傷したブラジル商船「コマンダン・ライラ」の救出活動を行った。
    また、同年11月にはドイツの密航船「アンナリーズ・エッスベルガー」を発見、これを撃沈した。
  • その後、ミルウォーキーは活動の場を北海へと移した。援ソ輸送船団の護衛任務であったが、それは同時にレンドリース法による軽巡の引渡しも兼ねていた。
    JW58船団を護衛しながらミルウォーキーはソ連へと向かったが、ここで彼女はアメリカ海軍の手を離れ、異国の地ソビエトで新たな名前を受ける事になる。
    • レンドリース法とは、当時アメリカが行っていたプログラムの一つである武器貸与法。
      ソ連、イギリスなどの対独・対日戦を行う国家に対する武器や物資の援助支援であり、
      有り余るほどの物資と兵器を有したアメリカだからこそ出来た法であった。
      小さいものでは歩兵用火器、大きいものでは護衛空母などの艦船が連合国に貸与され活躍、戦争の勝利に貢献した。
       
  • 1944年4月30日、ミルウォーキーは正式にソ連海軍に貸与され「ムルマンスク」の名を与えられた。
    艦名はロシアのムルマンスク州の州都にちなんでいる。
  • ソ連海軍艦として活動した期間の戦歴は資料が少なく不明瞭な点が多い。
    少なくとも北方艦隊に配備後、大西洋航路の船団護衛や偵察任務に使用されている。
    この間、ムルマンスクは他のオマハ級と同じく無事に戦争を生き抜いている。
  • 1945年、ドイツが降伏し、続けて日本が無条件降伏した事により第二次世界大戦は終結。
    1946年に入り、すでに旧式艦として十分に仕事を終えたオマハ級はすべて除籍・解体された。
    一方、ムルマンスクはまだソ連海軍に籍を置いており、1949年3月16日、ミルウォーキーとしてアメリカに返還された。
    結果として、ミルウォーキーはオマハ級で最後に退役した艦となり、同時にオマハ級で最も長命の艦となった。
     
  • 余談だが戦後、ソ連海軍の巡洋艦68-bis型(スヴェルドロフ級)の一隻が彼女の名を引き継ぎ、14番艦ムルマンスクとして就役している。
    こちらは北方艦隊に配備され、1970年の原潜K-8救出活動、北海での軍事演習やエジプトへの軍事支援などの活動を行った。
    ちなみに二代目ムルマンスクは除籍後の1994年、解体のため回航中ノルウェーにて座礁。約20年間放置、2013年に解体された。
    かなり陸に近い浅瀬に座礁しており、「座礁した軍艦」として写真に残っているためネット記事などで目にした人も多いだろう。

*1 返却後米海軍に再所属していない?