No162 逸仙/元ネタ解説

Last-modified: 2018-03-15 (木) 00:14:43
所属中華民國海軍→大日本帝國海軍(1938)→中華民國海軍(1946)
艦種・艦型軽巡洋艦逸仙→雑役船阿多田(1939)→軽巡洋艦逸仙(1944)
正式名称逸仙(Yi Xian)→阿多田(1939)→逸仙(1946)
名前の由来孫文(号 逸仙)(1866-1925) 中国の政治家、革命家 中華民国、中華人民共和国で国父と呼ばれ尊敬されている。中華民国を建国し初代臨時大総統となった。
→阿多田 広島県大竹市 有人島
起工日1930.4.10
進水日1930.11.12
就役日(竣工日)(1931.5.25)
日本海軍接収日1938.5
中華民国海軍返還日1946.8.25
除籍日(除籍後)1958.6.1(1959.5.19売却後解体)
全長(身長)82m
基準排水量(体重)1623.9英t(1650t)
出力メーカー不詳石炭専焼缶3基メーカー不詳複式蒸気レシプロ機関2基2軸 4000shp(4055.5PS)
最高速度19.0kt(35.18km/h)
航続距離
乗員182名
装備(建造時)152mm単装砲1門
140mm単装砲1門
75mm単装高角砲4門
47mm機関砲x1
装備(1939)12cm単装砲1門
ヴィッカース2ポンド機関砲x4(2x2)
25mm91式機関砲x5
7.7mm機関銃x6
装甲なし
建造所江南造船厂,上海 (江南造船所 現中華人民共和国上海市)
  • 1931年に中華民国上海江南造船廠にて完成した。
    ゲーム上では当時の中華民国での登録に従い軽巡洋艦とされているが、
    基準排水量1650t、武装は15cm単装砲、14cm単装砲各一門、7.5cm単装高角砲4門、47mm速射砲1門と
    カタログスペック上はほぼ砲艦である。
  • 1937年支那事変(後の日中戦争)が勃発すると、9月24日に撃沈された寧海、平海に代わり旗艦となるが、その翌日日本軍機16機の空襲を受け、2機を撃墜するも沈没(大破着底)した。
    翌年寧海らと共に日本軍が浮揚して持ち帰り、それぞれ武装などを改修して日本海軍船として再就役することになる。
    しかし寧海らと違い、魚雷もなく速力も最大20ktとある意味どうしようもない性能だったため、兵学校の練習船となった。
    1939年に撮られた写真では高角砲と機銃ばかり林立しているため、おそらく対空射撃の練習用だったと思われる。
    実戦参加することもなかったため、終戦を生き延びた逸仙は中華民国へ返還された。
    1949年海軍の大半が中国共産党に投降した第二艦隊叛乱事件では白旗を揚げて降伏に見せかけ包囲網を突破して台湾へ脱出。
    以降台湾の貴重な戦力として10年間勤務した後、旧式化により除籍、解体された。

小ネタ

  • 逸仙は孫文の号の一つで主に英米亡命時代に名乗っていたもの。日中時代は中山を号している。
    字とする資料も多いが、本来の字は載之らしい。
    もっぱら中国台湾では孫中山、英米では孫逸仙と称される。
  • 寧海平海も彼女と同じく日本海軍によって浮揚させられ日本艦として使われた経歴を持つが、図鑑の説明文には記載されていない。国の事情を考えればやむなしである。
    逸仙のみ図鑑に日本軍に鹵獲された記述が存在するのは、彼女のみ元の国へと戻れた唯一の艦である事が理由なのかもしれない。