No21 グアム/元ネタ解説

Last-modified: 2020-11-16 (月) 00:21:24
所属United States Navy
艦種・艦型アラスカ級大型巡洋艦
正式名称USS Guam (CB-2)
名前の由来Guam アメリカ合衆国グアム島
起工日1942.2.2
進水日1943.11.12
就役日(竣工日)1944.9.17
退役日(除籍後)1947.2.17 1960.6.1除籍(1960年売却後解体)
全長(身長)246.4m
基準排水量(体重)29779英t(30257t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶8基General Electric式蒸気タービン4基4軸 150000shp(152080.5PS)
最高速度33.0kt(61.11km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/12000海里(22224km)
乗員1517~2251名
装備12inch50口径Mk.8三連装砲3基9門
3inch58口径Mark12連装両用砲12門
ボフォース40mm機関砲x56
エリコン20mm機関砲x34
艦載機x4
装甲舷側:5~9inch 甲板:3.8~4inch 砲塔:5~12.8inch バーベット:11~13inch 艦橋:5~10.6inch
建造所New York Shipbuilding Corporation, Camden, New Jersey
(ニューヨーク造船所 アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン郡カムデン市)
勲章Navy Combat Action Ribbon
China Service Medal
American Campaign Medal
Asiatic-Pacific Campaign Medal(2 stars)
World War II Victory Medal
Navy Occupation Medal(ASIA clasp)

アメリカ海軍が建造したアラスカ級大型巡洋艦二番艦。艦名はアメリカ領だったグアムから取られているが、起工してから竣工する直前まで日本軍に占領されていた。
アラスカ型は、帝國海軍が建造中の秩父型大型巡洋艦(偽情報だった)やドイツ海軍のシャルンホルスト級巡洋戦艦に対抗するため建造された艦だった。
巨体でありながら33ノットの快足を発揮、重巡を駆逐できるだけの火力を持ち合わせていた。しかし巡洋艦以上の相手は難しく、しかも細長い船体は小回りが利かず操舵の邪魔をした。
クルーザーキラー(巡洋艦殺し)として期待されていたアラスカ級であったが、就役した頃には帝國海軍の目ぼしい大型艦は葬られた後で、アメリカ海軍からは厄介者扱いされてしまっていた。
厄介者を示す白い象という仇名まで付けられたとか。それでも彼女たちは祖国のために最前線へ赴く。

 

船体をキャムデン造船所に、機関をジェネラルエレクトリック社に発注し、1942年2月2日に起工。1943年11月12日に進水し、1944年9月17日に竣工した。ちなみにグアムが奪還されたのは先月の事だった。
竣工後、太平洋艦隊に編入され対日戦に参加。トリニダード沖で訓練を行い、1945年1月17日にフィラデルフィアを出港。太平洋艦隊と合流するためパナマ運河を通過する。
その間にジェームズ・フォレスタル海軍長官が来訪している。3月3日、ハワイを出港して前線基地のウルシーへ移動。第58任務部隊に入り、日本近海へと向かった。
1945年3月18日、沖縄攻略作戦を容易なものにするためグアムは呉軍港の攻撃に参加。グアムの初陣は、突入してくる特攻機の迎撃であった。グアムは対空砲火で1機撃墜した。
戦闘の結果、空母フランクリンが大破炎上したため、3月22日までその護衛を務めている。3月27日には南大東島の飛行場やレーダー基地に対し艦砲射撃を行った。
ウルシーで艦体の整備を行うと、レイテ湾へ回航。4月6日、戦艦大和以下第二連合艦隊の攻撃作戦に参加したが出番は無し。
7月16日、日本の補給路を締め上げるため黄海と東シナ海で通商破壊に従事。限定的ながら戦果を挙げ、23日に艦隊へ復帰した。また揚子口にも侵入している。
8月7日、沖縄へ到着。現地で第95巡洋艦隊の旗艦になり、このまま支那方面に展開する残余の日本艦艇を掃討する筈だったが、すぐに終戦を迎えている。
日本が降伏しなかった場合、日本本土侵攻作戦に参加する予定だった。

 

無事に戦勝へと導いたグアムは、1945年9月8日に仁川へ入港。占領任務のため朝鮮半島・中国東北部で活動する。11月14日からはアメリカ陸軍兵をサンフランシスコに連れ帰った。
1946年初頭、大西洋艦隊に編入。1947年2月17日に姉のアラスカともども予備役に編入される。ミサイル搭載艦に改装する案が出たが、実行はされなかった。
1950年、朝鮮戦争が勃発しグアムは艦砲支援を行った。1960年6月1日に除籍され、翌年の5月24日を以ってボストン金属に売却された。
戦勲によりグアムは従軍星章を2つ受け賜った。