No443 阿賀野/元ネタ解説

Last-modified: 2020-08-15 (土) 18:13:39
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型阿賀野型二等巡洋艦(軽巡)
正式名称阿賀野(あがの)
名前の由来阿賀野川 日本国新潟県 福島県
起工日1940.6.18
進水日1941.10.22
就役日(竣工日)(1942.10.31)
除籍日(除籍後)1944.3.31(トラック島空襲/Operation Hailstone 1944.2.17沈没)
全長(身長)174.50m
基準排水量(体重)6651(もしくは6652)英t(6757/6758t)
出力ロ号艦本式缶(空気余熱器付)6基艦本式タービン4基4軸 100000shp(101387PS)
最高速度35.56kt(65.85km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/6000海里(11112km)
乗員乗員700名 + 司令部26名
装備50口径15cm連装砲3基6門
九八式8cm連装高角砲2基4門
25mm機銃3連装2基6挺
13mm連装機銃2基
61cm四連装魚雷発射管2基8門
九五式爆雷18個
九八式水上偵察機1機*1+零式水上偵察機1機
21号電探*2
装甲機関部舷側:60mm 弾火薬庫舷側:55mm 舵取機室舷側:30mm 操舵室舷側:30mm 甲板 20mm
建造所佐世保海軍工廠 (現 名村造船所社佐世保造船所/佐世保基地) (日本国長崎県佐世保市)
  • 第132号艦として佐世保海軍工廠で起工された阿賀野は1941年10月に進水する。そして丸一年後の1942年10月には竣工するが、すでに戦局は悪化しつつあった。
    12月にはトラック進出に合わせて第十戦隊旗艦に任命され、第二航空戦隊とともにウェワク攻略を支援した。
  • 1943年になると旗艦の任を解かれ、1月下旬~2月上旬にかけて行われるガダルカナル島撤退作戦「ケ号作戦」の前進部隊に組み込まれる。
    ケ号作戦が成功裏に終わるとトラックで待機し、5月下旬に第十艦隊とともに内地へ帰投した。
    内地帰投後の数か月間で電探装備や機銃増備を行った阿賀野は7月にトラックへ再び向かい、輸送作戦従事のためラバウルに向かう。
    しかしラバウルでの配置換えにより以降の輸送作戦には参加せず、トラックに戻った。
    第十戦隊の駆逐艦部隊は戦闘に参加していたが、阿賀野自身は最前線で戦うことはなかった。
  • 11月1日には阿賀野に出撃命令が下り連合襲撃隊の第二警戒隊に配置され、2日未明に米艦隊に遭遇、夜戦を行った(ブーゲンビル島沖海戦)。
    しかし米輸送船団の撃破に失敗し、ラバウルに帰投した。
  • 11月5日・11日にはラバウル空襲が米機動部隊によって行われ、日本艦隊は多大な被害を被る。
    その後水上艦艇のトラック回航が行われたが、阿賀野は回航中に米潜水艦に捕捉・雷撃され、船体後部喪失・缶室浸水によって沈没寸前にまで追い込まれた。
    工作艦明石の応急修理で事なきを得た阿賀野は、翌年2月に内地で本格修理を行うことになる。
    しかし内地への回航が始まって間もなく米潜水艦にまたしても捕捉・雷撃された。
    応急修理ということもあって十分な回避運動をとれなかった阿賀野は雷撃をもろに食らい、沈没した。
  • 阿賀野の護衛を勤めた駆逐艦や救援に向かっていた巡洋艦も米機動部隊によるトラック島空襲によって沈められ、阿賀野生存者が多数戦死することとなった。

*1 1943年以降零式水偵に更新
*2 1943年6月以降搭載